第108話 ヒミツの恋バナ

 言われるがままに連れて来られたレモアの部屋はなかなか散らかっていた。

 普段ヴェルトに注意される私の部屋と比較しても、レモアの部屋は散らかっていると言える。脱いだ後なのか洗濯済みなのかわからない服が床に投げ捨てられ小山を築いているし、机の上は無秩序に物が多い。雨の日に窓を開けっぱなしだったのか、出窓付近は水滴の後がくっきりと残っていた。

 マムの話では、一週間に一度、部屋の掃除をする時間があるはずなのだが、いったいこの部屋はどれくらいの間掃除されていないのか、推測するのが難しかった。

「うく。くくく。座って、ね。どこでもいいよ」

「……うん」

「一度ね、言ってみたかったんだあ。このセリフ。うくくく」


 満足そうなレモアの顔を見ると、片付けてとは言い出せない。

 生活するスペースは散らかっているのに、童話が収められた棚だけは整頓されていた。ポラーノ氏の書庫と同じで、シリーズ物が並んではいない。レモアの境遇を考えたら、童話を読み始めたのはここに引き取られた後だろう。だとすると、童話の面白さを伝えたのは旅立つ前のポラーノ氏だ。本棚が似通うのも納得である。背表紙の劣化具合から、レモアが自分で買ったものではなく、書庫から勝手に持って来たものであることが分かった。

 身を挺して守ろうとしていたあの童話も、自分のものではなくポラーノ氏に借りたものだったから体が動いてしまったのかもしれない。

 私が適当に開いたスペースに腰を下ろすと、レモアがその正面に座った。

 視線が低くなったことで気が付いたけれど、部屋の隅にあの日持って帰って来た得体のしれない袋が転がっていた。黒い繊維のようなものがたくさん入っている。私は見なかったことにして、レモアに話しを促した。


「で、恋バナって?」


 人を見た目で判断するのはいけなというけれど、私の中で、どうしてもレモアと恋バナというキラキラしたワードが結びつかない。

 そりゃ、ヴェルトに憧れを抱いていて、好意さえ抱いていて、それを隠しもしていないのは知っている。でも、本当に恋愛対象としてヴェルトを見ていたと聞かされてもしっくりこなかった。塩の街で出会ったアリッサの時と何かが決定的に違う気がする。

 うきうきしたレモアに連れていかれる間、ずっと考えていたけれど、結論は出ていない。


「ね、ね、リリィさんは、ヴェルトのことが好き?」

「……えっ、と」

「ボクはね、大好きなんだあ」


 単刀直入な質問にたじろいでしまった私とは裏腹に、レモアは嬉しそうに宣言する。素直とか無垢とか、そういう感じかな。なんかちょっと違う気もするけれど。


「う、うん。大丈夫。気付いていたよ」

「リリィさんは?」

「わ、私は……。えーっと……」

「どうなの? どう?」

「私も言わなくちゃ、ダメ?」

「ボクは、リリィさんの気持ちも、知りたいなあ」

「……。……私も、好きか嫌いかで言ったら、す、好きに入るかも……」


 うわぁ、なんか滅茶苦茶恥ずかしい。なんだこれ! なんだこれ! 罰ゲームか! ガロン連れて来なくて、本当によかった。

 耳の先まで真っ赤になっていると思うけれど、レモアは私のそんな微細な変化など気にも留めていない。


「やったあ。一緒だね。お揃いだね」

「う、うん」


 相変わらず何を考えているか読めない反応をする。恋のライバルって、もっとこう、殺伐とするものじゃないのかな? 少女向け童話の知識しかないけどさ。……あと、ライバルでも何でもないけどさ。


「先生もね、いつも言うんだ。自分の気持ちに素直になりなさいって。うくく。その通りなんだよなあ。本当に先生の言うことはその通りなんだよなあ」


 遠い目をしてレモアが言う。そして、膝の前に置いてあった童話を取り上げ、胸の前で抱きしめた。


「リリィさんにだけ少しお話しちゃうよ。これがね、私のバイブルなんだあ」

「バイブル?」


 えっと、教典の国で使われる言葉だっけ? 愛読書みたいな意味があった気がする。


「それって、『歩き真似ヒツジ』だよね?」


 レモアが片時も話さず持っていたポラーノ氏の童話。恋愛の指南書にするにはいささか尖り過ぎている。『歩き真似ヒツジ』のテーマは恋愛じゃない。努力は種族を超える、みたいなものを説いているという説が濃厚だ。レモアのセンスは独特だ。


「私はヒツジ。ヴェルトが飼い主」

「そうやって見立ててるの? 見立てると何か変わる?」

「変わるんだよ。とっても、とおっても。世界が変わって見える。すべてがね、ボクの思い通りに動いている気がするんだあ」

「……」


 なんか、思想が怖い。大丈夫かな、レモア。

 でも、それがマムの教えだというのなら、正しいのかも……。

 私は天井を見上げた。

 バイブル、ね。

「好きな童話は?」と聞かれたら、「『あひるの王子』シリーズ!」と即答できるけれど、「自分の人生の指針にしているような童話は?」と聞かれると迷ってしまう。さっき、目標という話をヴェルトとしたからか、焦燥感がこみ上げてきた。

 ……と、いかんいかん。

 私は頭を振った。完璧にレモアのペースに取り込まれているじゃないか。

 私がここに来たのは、あくまでヴェルトの責務の手助け。レモアの恋愛相談に乗る振りをして、原石回収までの道筋を立てる材料にしようと思っていたのだ。ペースに呑まれて心をかき乱されてい手はダメだ。

 ヴェルトの素晴らしさを滔々と語り続けるレモアを、私は一歩引いた視点から見つめた。


「ねぇ、レモア。もし。もしだよ」

「ん? なあに?」

「ヴェルトとの恋が成就できないってなったら、レモアはどうする? それが、努力ではどうにもならない理不尽が原因だったとして。天災とか、そういう類の」


 私たちがこれからやろうとするのはそう言うことだ。


「うーん。うーん。うーん」


 レモアは整えていた足を崩して、楽な姿勢になる。童話なら頭から湯気を噴き出しそうなほど、真剣に悩んでいた。


「どうするかなあ。そんなことは考えたこともなかったなあ」

「考えてみて。もしかしたら、そういう状況にレモアも陥るかもしれない。恋しくても恋しくても叶わない恋。そういう童話、いっぱいあったでしょ?」

「そうだねえ」


 たぶん、この回答がレモアの原石回収の役に立つはず。私はそう信じて回答を待った。


「……そしたらね、ボクはね」


 レモアが答える。


「ボクが、ヴェルトになるよ」

「……へ?」


 静かな夜に、不気味な静寂が忍び寄る。


「ボクがヴェルトになる。そうすれば、ボクはボクで、ヴェルトもボクになる。うくく。それ、楽しそう。うくく」

「ちょ、ちょっと待って。どういうこと?」

「ヴェルトとボクがボクになれば、もう周りに振り回されることもないんだね。それはとっても、素敵なことだと、ボクは思うんだあ」

「レ、レモア!」


 レモアの目を見てはっと息を呑んだ。レモアの目はまったく冗談を言ってはいなかった。それが正しいと信じて疑っていない綺麗な瞳。純粋で、無垢な光が溢れている。ヴェルトのことを好きだと言った時と同じ目をしていた。

 私は形容しがたい恐怖に襲われて視線を落とした。もうレモアの目を見ることはできない。あの吸い込まれそうな真っ黒に輝く瞳を見てしまったら、心を食べられてしまいそうな気がしたから。


「どうしたの、リリィさん?」

「ご、ごめんね。ちょっと、体調が悪いみたい……」

「そっかあ。始まったばかりだったのにね。体調が悪いのは良くないね。ロニーもこの前休んでいたし、流行っているのかなあ」


 気付いていない。レモアは自分の異常さに気が付いていない。

 その事実が、私をさらに締め付けた。

 顔を上げないまま何度もごめんを言って、私はレモアの部屋から退散した。出る直前、またあの黒い得体のしれない何かが目に入った。もはやそれすら、悪魔を召喚するための小道具なんじゃないかと思えてしまう。

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