第95話 悪ガキバート

 バートは捨て子だったらしい。

 雨の強く降る季節に、孤児院の軒先で泣いていた。ようやく言葉を覚え始めた子供は、驚いたことに自分の置かれた状況を正しく理解していた。

 切り捨てられた。

 当時のバートにはその理由はわからなかっただろうし、十年経った今でも、きっと親が子供を捨てる理由なんてわからないだろう。

 でも、自分が必要とされなくなったということは理解していた。彼が泣いていた理由を後に聞くと、生きていくために何をすればいいかわからなかったから、と答えたそうだ。親を頼るとか甘えるとか、そういった感情は一切持っていなかった。

 バートは自分で生きていく道をはじめから理解していた。誰にも頼らず、誰かを信頼せず。自分が信じるに足ると思ったものだけを信じて生きて来た。

 夕食を終え、子供たちがお風呂に行った後、マムは私たちをマムの部屋に招いて聞かせてくれた。

 マム自身は、バートが決めた信頼しうる人間に含まれているという。たまにああやって爆発することはあるけれど、反省すると言うことを聞いてくれる。

 けれど、レモアに対しては違うらしい。


「レモアはレモアの価値観だけで生きているんです。バートが信頼できないと切り捨てたものを、それでも信じて生きている。時には失敗し、騙されてもいる。それを笑って流しているのが、許せないんでしょうね。性根はとてもいい子なんですよ」


 マムの視線の先には子供たちが描いてくれたというマムの似顔絵があった。誰も彼も絵心があるとは言い難いけれど、愛のこもった絵になっている。バートの絵はとりわけトリッキーで、目隠しをして人の顔を作ったんじゃないかという出来栄えだった。

 愚痴とも相談ともつかないマムの独白を聞いて、私たちもどんな言葉を掛けたらいいかわからなかった。ヴェルトはともかくとして、私は特殊なコミュニティで育ったため、子供同士の喧嘩なんて未経験だ。レモアやバートのように孤児院で育ったというマムが悩んでいるのだ。全てをまるっと解決するようなアイデアを私たちが持っているわけがない。

 あんまり刺激し過ぎないようにお願いします、という懇願を受諾して、私たちはマムの部屋を後にした。


「難しい問題だね」

「そうだな」


 風呂場で反響した子供たちの声が遠くに聞こえる静かな廊下を、私とヴェルトは口数少なく歩いて行く。なんとなくしんみりした空気。まるで水草の揺れる湖底を歩いているようだ。


「がっはっは。ガキが一丁前に悩んでやがるぜ」


 何も言い出せない空気を打ち破ったのは、濁った笑い声だった。


「二人とも頭を悩ませすぎなんだよ! あのマムって女もな。子供ってのは勝手に育つもんだ。外野がとやかく言うのはお門違いだぜ。自分を大切にする心も、相手を敬う心も、他者と関わるときに芽生える。今いがみ合ってたっていつかは思い出になるんだよ」


 つまらない下ネタが飛び出してくるのかと思って身構えた替えれど、ガロンが思いのほかまともなことを言った。ちょっと意外。


「ガロンはもしかして、子育ての経験があるの? 歴史の国に子供がいたとか?」

「あ、いや……。子供はいねぇが……。まぁ、あれだ。歴史の国には、かわいい子供は谷に突き落とせって諺があるぐらいなんだぜ? 俺様が言おうとしてるのはそういうこった」

「……それ、間違ってない?」


 私が読んだことがある歴史の国の童話には、かわいい子には旅をさせろってのと、獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすって言うのはある。どちらも本当に愛情を込めて接するなら、大きな試練を与えてやれ、という意味の格言だ。ヒトを突き落としたら死んでしまうし殺人だ。


「ガロンは甘やかしすぎるなって言いたいのか」

「そうそう。その通り。放任でいいんだよ。大人が介入したからどうにかなるもんでもねぇし、悪化させちまうこともある。ぶつかるのは結構。一番最悪なのは疎遠になっちまうことだ。――ほら見て見ろよ」


 ガロンの言葉に、私は視線を上げた。階段を登り切った廊下の先には、例の悪ガキ三人組がたむろしていた。階段を登った左側の通路。そこは女子用の寝室が並んでいる区画である。


「案外謝りに来たのかもしれねーぜ?」

「そういう雰囲気かなぁ」


 悪ガキたちは、声を顰めて何かを相談していた。バートが言ったことに対して、ヴィッキーが囃し立て、ロニーは焦って止めようとする。気が立っているバートは抵抗する反発因子に機嫌が悪くなり頭をぽかり。痛みと怒鳴り声に委縮したロニーが渋々頷くのが見えた。

 きょろきょろと辺りを見回す二人を待機させて、バートは女子部屋のドアを開けて入っていく。足を止めた私たちが隠れてその様子を窺っていると、入ったばかりのバートがすぐに出て来た。そして、三人で目配せをしたかと思うと、走って男子側の部屋の方へと逃げて行った。


「絶対に謝りに来たわけじゃないよね」


 あそこはレモアの部屋だ。レモアは今、一階でお風呂に入っている。照れくさくなったバートが顔を合わせて謝れないから、こっそり謝罪の手紙を置いて行った、なんて素敵な展開だったらいいけれど……。そんなわけ、ないよね。


「どうしよう。私が言って怒ってこようかな?」

「首を突っ込むなって。二人の間の問題がより複雑になっちまうぞ」

「うーん……。そうなんだけど、気になる」


 一番最後を走っていたロニーが自分の足に躓いて転んだ。派手に顔からいったけれど、鼻血は出ていないようだ。音に気が付いたバートが戻って来て、顔を抑えるロニーの腕を掴み、引っ張って逃げて行った。

 曲がり角に消える寸前、ロニーがこちらを振り向いた。

 目が合った、気がする。

 けれど何も言わず、引っ張る力に任せて廊下の角へと消えていく。

 本当にいいのかな、放っておいて……。

 私には、バートとレモアの関係がまだ序章であるように思えてならない。

 そして何より、もう私たちだって部外者じゃないと思うんだ。

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