第96話 失せ物

 悪い予感というものはよく当たる。

 昨日よりも少し遅い時間に起き、洗面台へ向かうと何やらリビングが騒がしかった。頭が完全に起きていない私は、誰もいない洗面台の前で歯を磨いた後、寝ぼけた頭で一度部屋へ戻り、着替えをしてキャメロンを装備し、リビングへ向かった。ヴェルトの部屋をノックしたら、すぐに行くと声があったから置いて行くことにする。

 リビングではレモアが暴れ回っていた。


「うわあああん。ないよ。ないよおお。どこにもなあい」


 リビングの中心にレモア、それをぐるっと囲むように子供たちが遠巻きにしていた。いつもは懐いていてレモアに助けてもらってるダグラスやエドナも手が付けられないと言ったように、ただ見ているだけだった。

 レモアはそのうち、遠巻きの子供たちに何か短い質問をし始めた。涙と鼻水で汚れたその顔を近づけられて、子供たちは蜘蛛の子のように散り始める。


「何の騒ぎだ?」

「私も来たばっか。何か探しているみたいだけど」


 話しかけてきたのはヴェルトである。振り返ると寝癖を手で押さえて直そうとしているいつもの顔があった。

 思い当たる節は一つしかない。バートたちだ。

 昨日レモアの部屋に侵入していた彼らが何か良くないことをしでかした結果だろう。ぐるりと顔を見回してみても、バートたちはリビングにはいなかった。

 またあの童話に何かされたのかと思ったけれど、どうやらそうではないらしい。昨日身を挺して護った童話は、今もレモアの腕の中にある。それよりも大切なものを無くしてしまったのだろうか……。


「レモア、何がないんだ?」

「あ、ヴェルト……」


 もともと喋りが上手ではないが、嗚咽が混じったレモアの言葉はいつも以上に幼く、拙かった。

 泣きじゃくるレモアが言うには、ヴェルトからもらった髪留めを無くしてしまったということらしい。暴れているように見えたのは、まとまっていない獣の様な髪が好き放題に跳ねて遊んでいたからだろう。重量感のある黒髪が、レモアのシルエットを膨らませている。


「ヴェルトに、ヴェルトにもらった、大切な、宝物、なんだ。なくしたら、ボク……」


 好きな人からもらった、大切なもの。ヴェルトへの愛を示すため、ヴェルトが来てから毎日つけていたお気に入りの髪留め。


「ヴェルト」


 私は、目に力を込めてヴェルトを見上げた。けれどヴェルトは首を横に振った。そしてレモアの肩を掴んで優しく言う。


「宝物にしてくれてたんだな。無くしたって気にするな。また新しいのを買ってやるよ」

「で、でもお……」

「ほら、もう飯だ。涙を流しながら食う飯はまずいだろ」


 そっと肩を押して、食堂へといざなう。本当に、弱っている人に対しては紳士的なのだ。私ももう少しか弱さを出した方が大事にされるのかもしれない。

 今この瞬間に、私たちがバートのことをバラすこともできる。けれどそれは、火に油を注ぐ行為そのもので、大火事になりかねない。レモアは冷静じゃない。少し時間を置いて、それから緩やかな解決へ導くのが妙案なのかなぁ……。

 モヤモヤを一旦飲み込むことにして、ヴェルトに続いて食堂へ向かった。

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