第92話 懐かしい顔

「たっだいまぁ!」


 必死で仕事をしようとする兵士をうるさいと言って押しのけて、颯爽と登場した彼女の声は凛としていて威勢が良い。束ねられた鮮やかな金髪を揺らし、大きく一つ伸びをする。工場の入り口の前に立っている私たち一団を見つけると、意気揚々と手を振って近づいてきた。


「帰ったよ、工場長! 今回も問題なく全部護衛した! 感謝してよねん」


 あれ? この声……。もしかして……。

 ブラッドリーさんに気さくに話しかける横顔を、私はヴェルトの背中からこっそり見上げた。

 門の方から童話の国の軍服を着たおじさんが走って来た。


「ちょ、ちょっと、お姉さん。これ! 入場証! 毎度毎度頼むよ。一応ルールなんだし、お姉さん童話の国の軍の偉い人なんでしょ?」

「いーじゃんさ。あたしだって、あたし。もう顔パスでしょ? ねぇ、ブラッドリーさん」

「はは。そうはいかないな」

「かたくるしー」


 女性は渋々といった様子で兵士から入場証を受け取り、首から掛けた。


「あれ? 君はどこかで見たことあるぞ?」


 お姉さんの興味がヴェルトに映る。


「その無駄のない筋肉、隙のない立ち姿、精悍な顔つき……。こんないい男をあたしが忘れるはずないんだが……。うーむ。誰だ? あたしが捨てた男か?」

「勝手に捨てるな。あんたの男であったこともねぇよ」

「おや? そっちの後ろに隠れてるのは?」

「こっちの顔を見たら思い出すだろ」


 ヴェルトに背中を押されて、私が前に出る。

 こっちとは失礼な! と、抗議しようとしたけれど、それよりも、目の前の人物が想像した通りの人だったことに驚いて、そんな些細な事すぐに忘れてしまった。


「……リリィちゃん?」

「レベッカ!」


 私の口からは歓喜の声が漏れていた。


「リリィちゃん!? リリィちゃんじゃん! なになにどうしたん? なんでこんなところにいるのさ!」

「レベッカこそ! 童話城旅立つ前に会って以来だから、えっと、半年ぶりくらい? こんなところで再会できるなんて、まるで童話みたいだね!」

「ひょっとして、……愛の力!?」

「それはない!」


 懐かしいやり取り! 嬉しさのあまり、私は周りが見えなくなっていた。

 だって、レベッカだよ? 童話城に籠っていた頃の私にとって、唯一の同性の知り合いといってもいい。小さい頃から私にとっての姉貴分だ。

 私がレベッカに抱き着くと、レベッカもギュッと抱きしめ返してくれる。懐かしい匂い。郷愁が胸を掠めたのも束の間、背中に回されたレベッカの腕が力を増して、私の背骨が悲鳴を上げる。


「あぁ、この温もりが、桃源郷……」

「い、痛いからっ! っていうかくっつき過ぎ!」


 いつもこんな風に自分の都合を押し通そうとする勝手気ままな自由人であるが、その実態はなんと童話軍軍隊長の一人である。剣を握らせたら右に出る者はいないほどの実力者で、かつてグスタフと闘って引き分けたという伝説をもっている。でもこれは、グスタフの方が手を抜いていた説も出回っていて、真偽のほどは定かではない。

 誰にでも壁を作らず、ずる賢いのに憎めない性格は、性別年齢問わず童話の城の中では人気が高い。その人気にかこつけて私と遊ぶようになり、いつの間にか仲良くなっていた。

 ヴェルトが依頼した湖の村の護衛を任命され、私たちとは別に軍引き連れて旅立った。あの別れは、お父様やグスタフと別れる時と同じくらい悲しかったけれど、心のどこかで、旅の途中に出会えるかもしれない、なんて淡い期待を抱いていた。まさか本当に会えるなんて!


「あたしは、アレ」


 レベッカは私を解放すると、親指を立てて門の方を差した。見ると、大きな荷車が馬に引かれて通過するところだった。汗を流した二頭の馬が、土の地面を力強く踏みしめていることから、荷台の中身が相当な重量であることが想像ついた。


「何か運んできたの?」

「そ。あれはね、古紙を集めている業者なんだよ。古い紙。読めなくなった童話とか、いらなくなった手帳とか、包装紙の切れ端とか。これも童話の国の軍のお勤めなのさ」

「古紙、かぁ」


 今日見学させてもらった施設の中に、木材から紙を作る工場とは別に、古い紙を再利用する工場もあった。繊維を抜き出し、漂白し、再び圧縮して紙にする。もちろん、木材から作った新品の紙の方が質はいいが、再利用紙は原料が安く手に入る分、安く売ることができ、重要な供給源となっていると、説明があった。

 私がその話をすると、「おぉ! 詳しいねぇ、リリィちゃん!」といいながら、頭を撫でまわされた。流石にもう恥ずかしいけれど、何度言ってもレベッカはこの癖を止めてくれない。

 私は代わりに今街に来た経緯を遠回りに説明した。もちろんブラッドリーさんの手前、キャメロンに関するところをぼかすのは忘れていない。

 聞き終えると、意味深な笑みを浮かべ、視線を背の高いヴェルトの方へと移した。


「なるほど。君がそうだったかー。なるほどなるほど。そりゃ覚えていないわけだね。あたしとのつながりじゃないんだから」

「だから最初に言っただろ。というか、湖の村の警護のあなたが何故ここに? 俺の村は大丈夫なのか?」

「急くねぇ、青年。大丈夫に決まっているでしょ。あたしの可愛い部下たちがちゃんと守っているさ。心配はごむよーよ」


 ずずいと突き出された胸のふくらみは自身に満ち溢れていた。

 ヴェルトの胸のあたりに人差し指を押し当てて、ひょいっと軽く押す。


「まったく、似た者同士だねぇ。君と、君の妹は。心配性というか、過保護というか。ずいぶん世話を掛けさせられているよ」

「……あいつは、そういう奴だ」


 妹。そう言えば、ヴェルトに妹がいるという話を随分前に聞いたことがあった。

 早くに両親を亡くし、ヴェルトは妹と二人で生活してきた。ヴェルトが話題に出さないから、あんまり話聞いたことはなかったけれど……。


「それでもわからんな。たかが古紙の回収の護衛にどうして軍隊長が付いて来るんだ? ここから湖の村なら治安も悪くないし、動物も襲ってはこないぞ」

「そりゃ、あれだよ。可愛い部下たちの雑務を、肩代わりする尊敬すべき上司だからさ。誰もやりたがらない安全な護衛任務を自ら率先してやる。うーん、健気だねぇ」

「秘密の任務っていうののせいなの?」

「む? ううん?」


 レベッカは、少しの間不思議そうに首を傾げた後、ヴェルトから私へ視線を泳がせて、ブラッドリーさんを視界に入れた。唇の端が悪戯っぽく持ち上がる。


「へぇー、ブラッドリーさん。この子たちに言っちゃったんだぁ。あたしが特別な用事で来るって。あららぁ、これは軍機違反ですかねぇ」

「い、いやぁちょっとからかっただけだよ。僕だって、レベッカさんがどうして古紙の護衛にここまで来るのか、気になってしょうがないんだ。リリィ王女が工場を訪ねてきたものだから、てっきり、ね」


 焦っているような口調だけれど、ブラッドリーさんはその実、大して焦っていないようだった。涼しい顔には汗一つ書いていない。まぁ、レベッカのことだ。些細な事でいちいちお父様に報告したりはしないだろう。


「で。何なの? その秘密の任務って?」

「うーん、ごめん! リリィちゃんでも話しちゃいけないんだよねー。おねーさん、これでも軍の偉い人だから」

「えー、つまんない。昔のレベッカはもっと柔軟だった」


 唇を尖らせて無理を言うと、レベッカはたははと笑った。


「レベッカが隠すってことは、それなりに理由があるんだ。俺らが関わっちゃまずいのかもしれない。リリィはこれでも王女だからな」

「ポンコツって……あれ? 言ってない?」

「軍人さんの前でポンコツ王女なんて言ったら、一太刀で切り捨てられちまうだろ」

「あ、言った! 今言ったから!」




 結局私は誤魔化されてしまった。レベッカは手続きがあるからと言って、名残惜しそうにブラッドリーさんに連れていかれた。まだしばらく梢の街に滞在するらしいから、改めてお茶でもしようと誘われた。私もいっぱい聞いてほしいことがある。


「帰るぞ」


 曇天の空の下を、ヴェルトが少し先を歩く。私もしばし無言でその後ろを歩いた。

 街には火が灯り始め、温もりが膨らみ始めていた。

 私たちも帰るべき場所に帰ろう。

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