第91話 母を知る人

「リリィ王女だよね? 童話の国の」

「……へ?」

「その反応、やっぱりそうだ。大きくなっていて確信が持てなかったんだ。再び相まみえることができて光栄だ」

「ほ? へ? い、一体何の話をしていることやら。わ、私、リリィ王女ではナイデスヨ?」


 不意打ちだった。私は完全に油断していた。

 まさかこんな辺境の街で、王女であるなんて疑いを賭けられるなんて……。想像すらしなかった。だって、この旅の間、一度だって私は王女だと見抜かれたことがなかったんだよ?

 片言になってしまった私の言葉を、ブラッドリーさんは楽しそうに笑った。


「王女がまだ赤ん坊の頃、僕は童話城で会っているんだ。この製紙工場を正式に国営にするための式典でね。まさか旅をして梢の街に来るまでに成長していたなんて」

「あ、いえ。だから、ですね。リリィ王女ではなく……」

「そう言うことにしておこう。君にも理由があるんだろう」


 弁明は拙く、ブラッドリーさんには何を言ってもダメだった。王女であることを隠す理由もないのだけれど、ここまでずっと隠し通してきた真実なので、なんだか公言しづらい。

 あっ! ってことはもしかして……。


「わた……じゃなくて、リリィ王女が赤ん坊の時に会っているってことは、おかあ……じゃない。えっと、デイジー王妃にも、会ったんですよね……」


 私が見上げると、ブラッドリーさんは少しの間私の目を見つめた後、あぁ、と小さく頷いた。


「お会いした、なんておこがましい。僕は列席者の一人として遠くから眺めていたに過ぎない」

「どう、でした?」

「素敵な方だったよ。立ち居振る舞いは高貴なそれなのに、口を開くととても腕白なんだ。王妃が出席される式典は常に笑いが絶えなかったらしい。……そうだね、目元は君にそっくりだ。口と鼻は童話王から受け継いだものかな」

「……ふふ」

「お気に召したかな?」

「はい」


 お母様の話を聞ける相手なんて、本当に数えるほどしかいない。お父様もグスタフも言葉を濁すし、古くからいるお手伝いさんに至っては、あからさまに避ける。私が気付いていないと思っているのかもしれないけれど、コミュニティが狭いからこそ、そういう勘は鋭くなる。

 だから、嬉しかった。


「ありがとう、ブラッドリーさん!」


 私のお礼を、正面から受け止めてくれるブラッドリーさん。橙色の暖かい空気が彼の周りにだけ見える気がした。

 どうやらマムのお小言は終わらなかったようで、レモアだけが首根っこを掴まれて連行されていった。猫のように扱われているにもかかわらず、まだ懲りずに不気味な笑い声をあげていた。ヴェルトが疲れたようにその背中を見送っている。


「あ、そうか」


 思い出したようにブラッドリーさんが言う。


「彼女の秘密の任務ってのは、もしかして君たちの護衛だったりするのかい?」

「彼女?」


 私は首を傾げた。


「もしそうなら、僕は大変な秘密を知ってしまったことになるね。参った参った」


 彼女と言われて頭に浮かぶ女性は、マムとレモアぐらいしかいない。私たちの旅は二人と一台だし、私の知り合いがこんなところにいるはずがないし……。


「誰のことですか?」

「あれ? 違った?」


 ブラッドリーさんは予想が外れたことに、残念そうに言う。「結構確度の高い推理だと思ったのに」と付け足した。


「もうすぐ到着するって連絡があったから会えるんじゃないかな。よくリリィ王女の話をしていくんだ、あの人は。ホントもう、うるさいくらいに」

「私の!? ……あ、いや。リリィ王女の……」


 だ、誰だ!? 心当たりがなさ過ぎて怖い。知名度は確かにあるけれど、王女の話をうるさいくらいしていく人なんて、絶対碌な人じゃない。熱狂的なファンかな……?


「なんだ? 誰か来るのか?」


 ヴェルトが鉄門の近くから戻ってくる。話の流れを途中から聞いていたようだ。


「危ない人が来たら、ヴェルトが守るんだよ!」

「なんだそりゃ?」

「いいから!」


 その時、工場を囲う塀の向こうがにわかに騒がしくなった。門のところにいた兵隊さんの声が聞こえ、それに答える男の人の声と、賑やかな女性の声が木霊する。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る