第79話 ポラーノ孤児院
「誰だ兄ちゃん!」
声がしたのはその時である。声変わり前の透き通った高音が建物の方から聞こえた。
「だれだ、にいちゃん!」
続けてたどたどしい別の声が同調する。
屋根にばかり気を取られていたけれど、門の向こうでは、小さな子供が二人、こちらをじっと見つめていた。
私よりも背の低い男の子と、さらに小さい女の子。鉄の門の支柱を両手で掴んで、力いっぱい叫んでいる。男の子の方は、ミヨ婆のところにいたカグヤちゃんと同じ歳かな。
ヴェルトが近づいて子供たちの前で膝を折った。
「ヴェルトだ。憶えてないか?」
「ヴェルト?」「うぇうとー?」
「ま、無理もない。ダグラスに、エドナ、だったよな」
「な、なんで知ってるんだ!? エスパーかよ?」「えすぱーかお?」
「そんなところだ。――マムを呼んでくれないか?」
子供たちは頷くと、とてとてと拙い歩き方で孤児院の奥へと入っていった。しばらくしてさっきの二人の反響した声が聞こえて来た。
「今の子たちが今回のターゲット?」
私はヴェルトの背中に声を掛けた。
「いや、違う。あの歳の子供じゃあ、碌に記憶なんてないだろう。俺との思い出も忘れちまってる」
ガロンが、確かにな、と声を上げる。
「ヴェルトが一方的に覚えていようと、相手に記憶がなければキャメロンを使う意味はねぇ」
私は少しだけほっとした。いくら何でもあんなに小さな子供たちの記憶を盗むのは気が引ける。消去される記憶が局所的だったとしてもだ。
「この孤児院にいる人間は、みんな俺のことを知っている。金がなくなって野垂れ死にしそうになってるところを拾われて、その恩に報いるために一カ月ほど働いていたからな。飯の時も寝る時も、ここでは一緒。家族みたいなもんだった」
「家族……」
「今回のターゲットは、その中でも一番懐いていた女の子だ。レモアっていう。リリィと同じ歳ぐらいの、童話が好きな女の子」
ヴェルトの言う、家族という言葉に引っ掛かりを覚えた。
一カ月滞在した孤児院の子供たちを家族というヴェルト。その家族を責務のために童話の原石にしようとしている。じゃあ……。
じゃあ、本当の家族を前にした時、ヴェルトはどうするつもりなんだろう……。
急に不安が襲ってきた。ヴェルとの故郷、湖の村は、すぐそこだというのに……。
「あら? ヴェルトさんじゃないですか! よく無事で帰って来てくれました」
大人の女性の声がして、私は伏していた目を前に向けた。
「私、ずっと祈っていたんですよ。ヴェルトさんの旅が何事もなく果たせますようにって。祈りは届いたようですね。よかったです」
「その節はどうも」
門を少しだけ開いて、一人の女性が立っていた。歳は三十手前ぐらいだろうか。清潔な白いブラウスに、建物と同じクリーム色のエプロンドレス。長い髪は一つの大きな三つ編みにまとめられている。右手をダグラス君に、左手をエドナちゃんに引っ張られて連れて来られたようだ。
優しさの象徴のような垂れ目が、嬉しそうに細くなった。
「長旅でお疲れでしょう。休んで行ってください。子供たちも喜びます」
「はい。すみません。お言葉に甘えます」
年長者に対して遠慮を一切しないヴェルトは珍しい。きっと、それだけの関係がこの人との間にもあったんだ。
それを思うと、私は少し悔しくなった。
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