第78話 ポラーノ氏と孤児院

 まだ日は高いはずなのに、梢の街は随分と薄暗かった。

 空に向かってそびえたついくつもの煙突から、モクモクと吐き出される煙は、空の雲と繋がって、分厚い層を作り上げている。雨こそ降っていないけれど、以前降った際にできた水たまりは乾くことなく石畳のあちこちに点在していた。ブーツで踏みつけると泥が跳ねて、ズボンの裾に黒いしみを作った。

 街の外観がどことなく童話市に近いのは、童話の国が手を加えた証拠だろう。童話を国策に制定したお父様が、紙の供給を確保するために力を注いだのだと思うと、石畳の街路を胸張って歩きたい気分になった。

 地図で見た通り道路は南北と東西に向かって規則的に引かれていて、私の方向感覚を奪っていく。さらに言えば、地図上からはわからなかったけれど、この街は起伏が多い。工場の排水ができるだけ低い位置を流れるように、至る所に階段や橋がある。子供たちがかくれんぼをするには最適な環境ともいえそうだ。


「匂いに慣れるまでに三日はかかるね、これは」

「いい経験だろ?」

「そういう考え方もないことはない」


 ヴェルトに地図を渡して目的地へと進む。白く塗られた急な階段を登ると、その先も同じ石畳の街並みが続いている。


「歪の天才、ポラーノ氏と、ヴェルトがお世話になったっていうポラーノ孤児院って、関係があるの?」


 私は街に入る前に聞いた話を蒸し返した。

 もし本当なら凄いことだ。あの有名な童話作家に会えるのかもしれないのだから。考えると、緊張で心臓が高鳴ってくる。


「あぁ、間違いない。あそこはポラーノっていう童話作家が建てた孤児院だった」

「ホントに!?」

「でも、もういない」

「えー」

「風の噂で旅立ったって聞いたんだよ」

「なんだよー。期待させておいて」


 ポラーノ氏と言えば、旅作家としても有名だ。国内だけに留まらず、歴史の国や教典の国にまで赴き、知識と経験を積んで物語に反映させる。物語の舞台に共通点がないのは、思いついたその場で執筆しているからだと聞く。今もこの大陸のどこかにふらりと立ち寄り、奇想天外な経験を童話にしたためているのかもしれない。

 ともすると、この街に彼の名前を冠した孤児院があることが不自然でもある。

 この場所が活動の拠点だったのかな? でも、孤児院ってなんだ?

 身寄りのない子供を親の代わりに育てる施設だってのは知っている。食事が幸福であることを思い出させくれる傑作『温かいミートローフ』の舞台や、好きな女性を襲い続ける悲しい殺人鬼の一生を描いた『あれが僕の星』の、主人公も孤児院の出身だった。一国の王女として、大人が我が子を捨てる現実を認めたくはないけれど、まだまだすべての国民が幸福であるとは言い切れないのが現状。社会のしわ寄せを受けてしまった哀れな子供たちの受け皿は、あってしかるべき施設である。

 ポラーノ氏が子供好きだったという情報はない。作家性というものは、その人本人の性格とは別のものなのだろうか?

 製紙工場の巨大な影の中をしばらく歩くと、住宅街の一角に丸みを帯びた建物を見つけた。プリンをひっくり返したような形の屋根に、小さく丸い小窓。周囲の家と同じクリーム色をしているのに、その場所だけ違和感が際立つ。

 違和感の正体は、正面に回ったときにわかった。その建物は、門を中心として綺麗なシンメトリーだったのである。


「こいつぁいったいどこの文化だ? 歴史の国にも教典の国にも見ねぇ形だ」

「右半分が大きな鏡に映った虚像だよって言われても、私は信じると思う」


 ガロンと私の感想が重なる。人間的な温かみを排除した無機質な形状。完成された彫像のような姿に、私は呆気に取られていた。


「詳しくは知らんが、ポラーノってのは、相当几帳面だったって話だ」


 興味深い。キャメロンの魔法なんかに頼らず、自分の頭の中の世界を自由に表現できる人間は、童話に限らず、至る所にその片鱗を見せるのだろうか。きっと、私たちとは思考回路が違うのだ。


「誰だ兄ちゃん!」


 声がしたのはその時である。

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