第56話 語り継がれない英雄譚 その1

 ガロンという言葉の威力は想像以上だった。

 私たちを一瞥すると、それまでの騒ぎが狂言だったかのように冷静になり、ついて来いと言って記念館のさらに奥に招いてくれた。

 ヘトロさんのお父さんはリストンと名乗った。本館と離れた先に小さな離れがあり、そこがリストンさんの住居なのだという。息子夫婦が本館を改築し記念館を作ってしまったため、リストンさんは自ら離れに住むことにしたのだと、歩きながら語ってくれた。


「ガロン……。おぬしがレンテの戦友のガロンか」

「ああ。あんたの歳なら紅の夜明けは知ってるだろ? あの魔女に魔法をかけられてそれ以来こんな姿だ」


 ありもしない嘘を堂々と言ってのけるヴェルト。

 紅の夜明けってなんだ? もはやヴェルトの存在自体が曖昧に揺らいでる。

 ガロンもガロンで何も言わない。ヴェルトに事の成り行きを任せるつもりなのかな。




 離れの中は静かだった。お祭りの喧騒もここまでは届かない。板張りの床に靴を脱いで上がり、イグサで編まれた敷物に腰を下ろした。

 生活感の薄い部屋だ。ヘトロさんの母親は随分前にあちらの世界に旅立たれたと言っていたから、リストンさんが一人で生活している空間なのだろう。どこに行っても見かけたレンテグッズは、一つも飾られてはいなかった。


「紅の夜明けか。それもまた、懐かしい名前だの。あれはまだこの国が童話の国と呼ばれるよりも前だったか……。わしらの世代でその名前を知らんもんはおらん」

「因縁があってな。――っと、その話はどうでもいい。歴史の国を離れて随分になるが、まさかこんなところでレンテの名前を聞けるとは思わなかった」

「バカ息子の宣伝効果とやらも、所詮この辺境の村までって話か。ははっ」


 初めてリストンさんは笑った。それはできの悪い息子の伸びしろを確信した、期待に満ちた笑いだったようにも見える。

 それにしても、である。

 リストンさんは、まったくボケてはいなかった。ヘトロさんによると、年齢のせいで頭の方にガタが来ているという話だったけれど、そんなことは全然ない。冷静で論理的。客人に対しても不躾に当たり散らしていた老人とはとても思えない。


「本当のレンテの話、と言ったか?」

「そうだ。俺の目から見て、この村のレンテ像は狂っている。人に優しく、協力的で、滅私奉公の精神に溢れている。……そんなのあいつじゃない」


 ヴェルトはきっと、昨日聞いたガロンの話を思い出しているのだろう。ガロンが感じた違和感を、ヴェルトが代弁している。


「もっと残虐で、自分の正義に忠実で、他人の弱さを是としない奴だった。だがどういうわけか、この村では善人のように語られている。村のために熊を退治したとか、狩りの仕方を教えたとか……。あんたの息子に話を聞いたが、……はっきり言おう、気色が悪い」

「まさしく、そうだなぁ」


 リストンさんは疑うことなく同意する。


「奴は凶暴で残忍だった。わしを含め、当時の村人で奴を恨んでいない人間はいない。貧困に喘いでいたこの村に、奴は唐突に現れて、傍若無人の限りを尽くし、そして死んだ。多くの人間を巻き込んでな」

「それがどうして、こんな大きな祭りが開かれるようになったのか。俺はそれが聞きたい」


 リストンさんは遠い目をした。

 ずっと昔、頭が白くなる前の若かりし日を夢想しているような、そんな哀愁が漂っている。


「村には、希望が欲しかったんだ……」

「希望……?」


 ヴェルトの聞き返しには答えず、自分で淹れて来たお茶に口を付けると、滔々と語り始めた。


「皮の村がアバランタと呼ばれるクモの怪物に怯えていたのは聞いたな。我々は森で自由に狩りもできず、細々と畑を耕し暮らしていたんだ。厳しい日々だったが、村人は協力してギリギリの均衡を保てていた。日照りや長雨に備え備蓄をする術を磨き、実りに偏りが出たら惜しみなく分け合う。……そんな日々暮らしていくのがやっとの村に、奴はやって来た」


 ヘトロさんが話してくれた村の貧困事情。その貧困を体験した人間の言葉には、言葉以上の重みがある。


「レンテは、自分は歴史の国の元騎士であると名乗った。そのうえで、村を壊されたくなければ、食べ物を差し出せと言ってきた。――脅迫、だったな。ただでさえ飢えに苦しんでいた村人は反発したよ。よそ者にやる食料なんてないってな。そして、村の代表としてレンテを追い出そうとした村長は、いとも簡単に殺された」

「ころ……」

「国も法もない時代の話だ。よくある話だ。――レンテは見せしめにちょうどいいと思ったのだろう。力を誇示して村人に平伏するように言った。わしは繰り上がりで村長になってしまった。まだ若者だったわしに、正しい判断などできるはずもない。レンテに従う以外、村人を守る手段を知らなかった」


 リストンさんの声は静かに響く。


「狩りをしに行ったり、熊を退治したというエピソードはでたらめだ。本当は、狩りに行かされ、熊退治に行かされた。無理だといくら説明しても、レンテは貧弱だと言って村人を追い出した。たまに成功して獲物を抱えて戻ってくる者もいたが、ほとんどは熊や野生動物、そしてアバランタの餌食になった」

「ひどい……」

「村の男手は減る一方だ。わしは死を覚悟してレンテに直訴した。どのみち村から男がいなくなって衰退するか、レンテに殺されるかの二択になっていたからな。レンテは重い腰を上げた」

「それでアバランタの討伐に繋がるわけか」

「ああ。ヘトロの話がすべてが嘘というわけではない」


 差し挟まれたヴェルトの言葉に、リストンさんは大きく頷いた。


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