第55話 心当たり

 夜でも迫力があったけれど、お日様の下で見るレンテ像はさらに雄々しく見える。眼下を睥睨するレンテと目を合わせないように足早に横を通り抜け、記念館の扉を潜った。

 館内は静かだった。レンテの歴史を学びに来た子供たちが何人かいたけれど、お行儀よく展示物を眺め、時折ノートにメモをしている。


「ヴェールトー……」


 私は子供たちの邪魔をしないように、昨日の案内された喫茶スペースに足音を忍ばせて近づいた。

 死体が一つ、転がっていた。


「……リリィ……。お前……よくも……」

「うんうん。生きてる生きてる」


 ヴェルトの皮を被った生きた死体はちゃんと息をしているようだった。


「私も付き合ったらこうなってたんだね。逃げて正解だったよ」

「まったくだぜ! 付き合い切れねぇな!」

「薄情者どもめ……」


 ブラインドが下ろされた窓からは、ちらちらと揺れる木漏れ日が入り込んでいた。

 辺りにヘトロさんはいないようだ。時間も時間だしお昼の休憩中なのかな。

 私はヴェルトの向かい側に座って、キャメロンをテーブルの上に置いた。


「へばってもいられねぇぜ、ヴェルト。俺様たちは話を聞く相手を間違えていた」

「……ガロン。何言ってんだよ。俺のこの苦労が水の泡だったって言っているように聞こえるぞ?」

「がっはっは! 違いねぇ」

「違っててくれよ……。救いもねぇ」

「ほら、私が珍しくご飯買ってきてあげたから。これでも食べて元気出して」


 屋台のおじさんに包んでもらったサンドイッチを、ヴェルトの鼻先に突き付けてみる。カツが挟まっていてちょっと豪勢な奴だ。


「食う」


 素直に受け取ったヴェルトは、さながら餌付けされている子犬のようであった。


「で? 誰に話を聞くって?」


 鼻の頭にケチャップをつけたままヴェルトは言う。可愛いから指摘はしてあげない。


「私もね、さっきから問い質そうとしているんだけど、ガロンが教えてくれないの」

「まぁ聞け。まずは嬢ちゃんが聞き出してくれた、この村の老人の話だ」


 ガロンは、さっき会った古書店の店主の話を丁寧に説明した。


「古書店にはレンテ祭りの提灯が飾られてなかった。ヘトロの親父さんはレンテについて語るヘトロに苛立っていた。メインストリートの祭りには、子供から若者までいるが、老人が全くいねぇ。そして……」


 ガロンは一度切ってから続ける。


「レンテがこの村にいた時期は、その老人たちが若者だったころだ。ヘトロの親父を含め、老人たちはおそらく生きたレンテと直接会ったことがある最後の世代だろうな」

「ふむ」


 語り終えたガロンの言葉を、ヴェルトが咀嚼する。

 鼻頭についた赤いアクセントは残念ながら気付かれて拭き取られてしまった。


「この村の老人たちは本物のレンテとこの村に祀り上げられているレンテ像が違うことに気が付いてる、ってことか。それでいて何も言わない。――いや、何も言わないわけじゃないのか。ヘトロの父親のように異を唱えたり、古書店の店主のように祭りに参加しないことでその意志を示そうとしている奴もいる」


 ヴェルトはサンドイッチの最後の一切れを口の中に放り込んだ。


「言われてみれば変な話だね。伝承なんだから、老人たちからその子供たちに、子供たちはその子供に、レンテの話を伝え聞かせて来たんじゃないのかな?」

「どこかで間違って伝わったんだな」


 私の疑問にヴェルトが答える。


「ガロンは、それが故意だと言いたいんだろう」

「おうよ! 話が早いな、ヴェルト」

「故意!?」


 パンによってぱさぱさになった口の中を癒すため、私はヴェルトのカップをこっそり手に取って潤した。気付いたヴェルトが恨めし気な視線を送ってくる。


「わざと間違えた情報を次の世代に伝えたってこと? もっとおかしな話だよ、それ」

「そうすべき事情を、レンテという人物が持ってたってことだ。何にせよ」


 ヴェルトは包みを丸めてゴミ箱に放り込みながら立ち上がった。


「真実を聞きに行こう」




「ちょっと、ヴェルト! 怒られるよ?」

「大丈夫だ。誰もいない」

「それ、結果論だから!」


 記念館の奥へと通じる暖簾の向こう。立ち上がったヴェルトは辺りを注意深く観察した後、廊下の先をこっそりと覗き込んだ。さながら金目の物を探している泥棒だ。

 ぶつくさ言ってはいても私だって気になる。好奇心に負けた私も、ヴェルトの腰に隠れながら恐る恐る奥を覗き込んだ。

 廊下の先には流し台がある小さな物置になっていた。流し台にはお茶を淹れる程度の食器が並んでいる。ヴェルトのような来客にお茶を出すためのものだろう。物置になっている空間にはレンテグッズが山のように積まれていた。レンテをモチーフにしたタオルやマグカップ、衣服まである。記念館の入り口にあった売店で売っている商品の在庫かな?


「いねぇな。もっと奥に行ってみようぜ?」


 倉庫の向こうにも廊下が続いていて、どうやらそっちはヘトロさんの住宅に繋がっているようだ。遠くから香ばしい香りとヘトロさんの笑い声が響いてくる。


「ね、ねぇ。まずいよ、勝手に入っちゃ。誰かに見つかったら……」

「見つかったら見つかったでその時考えるさ。寧ろ見つけてもらった方が好都合ってパターンもありうる」


 ヴェルトはそう言うけれど、私は気が気じゃない。またあの怒鳴り散らすお父さんに見つかったら……。そう思うと身が竦む。ヴェルトの袖をぎゅっと握った。


「どこにいるんだろうな? この家に住んでるんだろうけど……」

「ヘトロさんなら、その声の方でしょ?」

「違うって。俺たちが探してるのは……」


「こらぁっ!!!」


 突然響いた怒声にびっくりして、私の肩が大きく跳ねた。

 廊下の奥、薄暗い踊り場に姿を現したのは、ヘトロ父だった。


「お前さんたち、ヘトロのところに来た記者とか言うもんだろ? いい加減な話を真に受けて童話にするとか抜かしよる。ここはわしの家だ。勝手に入ってくるな!」

「ご、ごめんなさいっ!」


 反射的に頭を下げた。

 ほら見たことか! 怒られちゃったじゃないか。

 恐れていた通り、不機嫌ど真ん中なヘトロ父である。頭にタオルを巻いているが、決してお祭りに参加していたわけではないだろう。身体中泥だらけであるところを見るに、畑仕事でもしていたのかもしれない。


「出ていけ! 気色が悪い。レンテを祀り上げようという連中と話なんてしとうないわ!」


 前歯の掛けた口で大声で捲し立てる。こんなに激しく怒鳴っていたら、またヘトロさんが来て溜め息を吐かれてしまう。


「帰れっ! 帰れっ! バカ息子の客人だろうが知ったことか!」

「は、はいっ! すぐに帰りますから。ごめんなさいっ」

「なぁ、爺さん」


 猛然と踵を返した私に反して、ヴェルトはまったく動かなかった。掴んでいた服の裾を思いっきり引っ張ったけれど、微動だにしない。引っ張った拍子に私の方が尻餅をついてしまった。


「んん!? なんじゃ、若造。わしに文句でもあるのか!? 言うてみろ! あぁん?」


 ヒートアップするヘトロ父。もはや手に負えない。

 早く帰ろうとせかす私をよそに、ヴェルトは息を吐き出すと、信じられない言葉口にした。


「ガロン、っていう名前に心当たりがあるだろ?」

「……っ! おまえ……」


 それまでの暴言が嘘のようにぴたりと止み、お爺さんの目が大きく丸まった。


「なぜ、その名を知っている……。この資料館にはガロンの名は一切出てきていないのに……」


 ヘトロ父は明らかに動揺していた。まるで、初めて鏡を見た猫のように、ヴェルトのことを恐怖に支配された眼差しで見つめている。

 なに? 何が起こったの? どうしてお爺さんはガロンの名前にそんなに驚くの?

 ヴェルトは気にせず続けた。


「記者として各地を渡り歩いてヴェルトって名前で商売やってはいるが、それは仮の姿だ。信じられねぇかもしれないが、俺の本当の名前はガロンという。歴史の国の元騎士の一人。今はこんな姿だがな」


 唖然とする老人に向かってとどめを刺す。


「レンテの本当の話を知りたいんだ。教えてくれないか?」

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