第54話 魅惑の古書店 その2

 二刻ほどの時間を、私は童話の立ち読みに費やした。数千冊はあろうかという古書店のラインナップの内、二十冊チェックするのがやっとだった。

 時代を遡るごとに、その時の流行り廃りが目に見えて、大変興味深い。できることなら旅を中断して、この古書店で宝探しをしたいぐらいだった。

 でもそれも無理な話。私はどうしても気になった三冊を手に取り、店主さんの元へ行った。


「これくださいな」

「あぁ、お嬢さん。……どれ? あぁ、これなら持って行っていいよ。お代はいらない」

「えっ!? いいの!?」


 言葉が出た後に、ここは謙遜する場面だったことに気付いた。けれど後の祭り。

 ばつの悪い顔をする私に、店主さんは目じりを垂らして笑う。


「構わないよ」


 店主さんはしみじみと言った。


「童話はね、読まれるためにある。飾られるためでは決してない。新しい旅に出られるなら、私はそれを応援したいんだ」

「飾られるためじゃないとは思うけれど……」


 旅立つ童話への餞別ってことかな?

 好意で言ってくれているのに、なんだか申し訳なくなってしまう。


「私、たくさんの古本が飾ってあるこのお店の雰囲気好きだよ。一つの物語が出来上がっている感じ」

「童話好きのお嬢さんに褒められると嬉しいね。――でもどうかな? 童話たちからしてみたら、書かれた物語を伝えられないことに、不満を募らせているんじゃないかな? 人に寿命があるように、紙にも寿命がある。朽ちる前にどうか自分が生み出された使命を伝えきりたい! そう思ってるんじゃないかと思うんだよ。こういう商売をしているとね」

「あー、それは私も思ったことある」


 童話の城の私の本棚にも、一度読んで眠っている童話がたくさんある。たまに思い出して引っ張り出し、夢中になってグスタフに怒られることもあるけれど、その程度だ。童話たちは物語を伝えるというその使命を、十分に果たせずに一生を終えてしまうことになる。

 店主さんの考えに従うなら、私も感動を抱え込んでいないで、新しい持ち主を探して童話の輪に貢献するべきなのかもしれない。

 うーむ。これは童話に対する新しい切り口だ。


「きっと本来は、人にも同じように果たすべき使命があるんだろうね」

「ん?」


 店主さんの話は、さらに飛び火した。思わず熟考から醒めて顔を上げると、小さな眼は私よりもずっと遠くを見つめていた。

 人の果たすべき使命?


「伝えなければならない真実がそこにあって、伝える手段も持っている。でも人は、童話のように素直に真実を伝えられない。紙と同じように、寿命があるというのに」

「えっと。何の話?」

「お嬢さん……。旅の人にこの村が祀るレンテという人物はどう映る?」


 店主さんは、眼鏡の奥の瞳に光を宿し、私の心を覗こうとする。

 一瞬、店主さんがヴェルトぐらいの青年に見えた。

 でもそれは錯覚で、目の前にいるのは、髪も髭も白くなり、背中も曲がって杖を突くお爺さんだった。


「凄い人だと、思う。村を救った英雄だって、記念館のヘトロさんに聞いた。功績もたくさんあって、子供たちも憧れている。村にとって大切な人だったってことが伝わってきた」


 私はガロンの話を一旦脇に置いて、昨日感じたレンテの第一印象を語った。

 店主さんは私の話を聞いているというより、私の話す態度を見ているようでもあった。


「そうだね。それが一番いいのかもしれないね。大切なのは今を生きる若者で、過去に生きた老人たちのエゴではない。つまらない質問をしたね」

「い、いえ。別に」


 ヘトロさんのお父さんと同じくらいの年代ということは、この店主さんも生きているレンテにあったことがあるのだろうか。

 店主さんは私が出した童話を、丁寧に紙袋に包んでくれた。


「――そう言えば、このお店、レンテ祭りの提灯を飾ってないね?」

「……あぁ。ああいう派手な演出は、苦手なものでね……」


 店主さんの作業が一瞬止まった。けれど、それは一瞬のことで、何事もなかったように包装を再開した。

 私は気にせず思ったことを伝える。


「そのままがいいと思うよ。私は童話っぽいこのお店の雰囲気が結構気に入ったから」

「……そうかい。それは良かった。機会があれば、またおいで」

「うん!」


 私は扉を出る前にもう一度振り返り、優しい顔をした店主さんに大きく手を振った。

 外に出ると祭りの喧騒と十分に加熱された空気が戻って来た。

 幻想から醒める。まるで童話を一冊読み終わってしまった錯覚に陥った。


「……老人のエゴ、か」

「あ、ガロン。起きてたんだ」


 途中から一切話さなくなったからてっきり寝ちゃったのかと思ってた。まぁ、ガロンは寝ないのだけれど。

 私が時間を忘れて童話に熱中しちゃうのはよくあることだし、もうあきらめられているのかもしれない。


「店主の話の後にレンテ祭りの提灯の話を持ち出した時はヒヤッとしたが、その後のリカバーはナイスだったぜ!」

「何を言ってるの?」

「がっはっは! そう言う素直なところが好印象だったって話だ。気を遣うのは老人だけで十分だしな」

「ガロンは老人じゃないでしょ」

「昔を生きてたっていう意味では違いねぇ」


 ガロンの大きな笑い声を聞きながら、私は狭い路地からメインストリートに戻った。祭りの喧騒が戻ってくる。


「――それに読めて来たじゃねぇか。この村とこの村に伝わるレンテの違和感」

「えっ! そうなの!? どこで!?」


 突拍子もないことをさらっというガロンに、私は思わず立ち止まった。


「とりあえずヴェルトのところに戻ろーぜ。あいつの堪忍袋も限界だろうからよ」

「えー、教えてよー。けちー」


 私が何度叩いても、ガロンは確認ができてからと言って、何も語ってくれなかった。

 これはあれだ。読者に全てを開示せず、物語のフィナーレですべてを明かす探偵童話の常套手段だ。読みながら先が気になって止まらなくなるテクニック。

 まったく、ページを捲れない現実でそんなお預けしないでほしい。

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