第53話 魅惑の古書店 その1

 メインストリートから少し離れた路地にある小洒落た建物。『古書店』と書かれた看板が掲げられているそこは、喧騒からも時代からも取り残されたように、静かに佇んでいた。


「こっちにありそうな気がしたんだよね」

「探しているもんがあるからそうだろうとは思ってたけどよ。……ほんとに見つけちまうのかよ。嬢ちゃんには童話を探知する感覚器官でも備わっているのか?」


 絶句するガロン。私は何も気にしない。

 ――古書店。なんと魅惑的な響きだろう。

 その言葉を聞くだけで私の胸は高鳴り、無尽蔵の好奇心が身体の奥底から湧き出してくる。絶版になってしまった童話とも巡り合えるここは、さながら時間という概念から隔離されてしまった特異点のようだ。


「この通りには屋台どころか提灯も飾られてないね。ちょっと寂しい感じ」


 童話の一ページからそのまま飛び出してきたようなレトロ建物。古臭いという感じはせず、いい年の取り方をしたダンディズムみたいなものが漂っている。入り口のオリーブの木なんて童話チックで実に私好みだ。周囲のお祭りムードから取り残されていて少し寂しさも感じるけれど、それがこの店の持ち味である気がした。

 私はガラスの嵌っている涼し気な白木の扉を押し開けた。

 ふわりと漂う古書の香り。からんからんとカウベルが鳴る。

 薄暗い店内には、背の高い本棚が所狭しと並んでいた。棚はどこもぎゅうぎゅうの鮨詰め状態で、色あせた本たちがその身に年月を刻んだもの同士、余生を楽しむように肩を並べている。童話好きとして、この管理方法には苦言を呈すべきなのだろうけれど、新刊には出せない味わいが、私は嫌いじゃない。


「……いらっしゃい」


 扉をそっと閉めると、お店の奥で分厚い本を読んでいたお爺さんが少しだけ顔を上げた。丸い眼鏡に白い髭。整えられた白髪も、実に様になっている。古本の海に住まう伝説のヌシのようだ。

 お客は私一人。客層の不釣り合わなさに何か言われるかと思ったけれど、お爺さんは眼鏡の位置を少し直しただけで、再び童話の世界へと帰っていった。

 勝手に見ていいんだよね? そう解釈しちゃいますよ?

 私はお爺さんに意識を向けつつ、並べられた童話たちの背表紙を眺めていった。

 『兎を追うサマンサ』。『小鬼は昨日を生きる』。『風を待つひまわり』。『マロミおばさんの缶詰話』。『あめふらし』。『海を見たことがない仕立て屋』……。

 見たことも聞いたこともないタイトルばかりだった。


「ガロン、凄いよっ。宝石の山っ! 私の知らない世界が、手の届くところに詰まっている!」

「しーっ! こんな静かなところで話しかけるなって。興奮で周り見えてねーぞ」

「おっと。……だ、大丈夫。大丈夫……」


 さっとレジに視線を向けたけれど、お爺さんはまるで銅像になってしまったみたいにさっきと同じ姿勢で童話を読んでいた。気を付けなければ……。

 少し移動すると割と新しい作品が眠る棚に出くわした。『鐘の鳴る坂を上る』のオリジナル版や、童話の国が出版している『空回りする神様』をはじめとする空回りシリーズ、その前作『植物学者デミトロ』、そして今最も売れている童話、『あひるの王子』シリーズも並んでいる。

 ここまで来ると、私の童話データべースに引っ掛かるものが多い。


「おぉ。これ、三年も前に絶版になった奴だ。買い。――あ、これも面白そう。『ホラ買い男』だって。法螺貝とかかってるのかな?」

 気になった童話を棚から出して、抱えていく。私の両腕はあっという間にいっぱいになった。

「やっぱり歴史の国じゃないけど、古いお話も大切にしないといけないよね。ヒット作に学んでいかないと、えっと、何だっけ……。そう! マンネリって奴に食いつくされちゃう」

「……お嬢さん、なかなか通だねぇ」

「でしょ。――って、へっ? ふぇぇええっ!」


 気が付いたら店主のお爺さんが開いた童話を覗き込んでいた。

 近いっ! いきなり近いって!

 童話を胸に抱えたまま距離を取ると、ほっほっほっと悪びれもせずに笑う老人。

 この人、絶対わざとやった……。


「若いのに古本とは、珍しかったものでついな。お嬢さん旅の人かね?」

「は、はい……」


 昨日会ったヘトロさんのお父さんと同じぐらいの歳かな。ヘトロ父とは対照的に、品のいい格好で、髪も髭も粗野という印象はない。落ち着いた好々爺と言った風体だ。

 コツリと店主さんは杖を突いた。


「この祭りの時期は、客足がぱったりと止まってしまうんだよ。ご覧の通り閑古鳥さ。人は仕事を止めて娯楽に身をやつしているのに、おかしな話だろう?」

「うーん。目の前にお祭りがあったら、童話よりもそっちに気がいっちゃうんじゃないのかな?」


 お祭り嫌いだった数日前の私を棚に上げる。


「お嬢さんは来てくれたね」

「わ、私は、童話が好きだから!」


 外の暑さにもいい加減耐えられなくなってきてたし、人込みにも疲れていた。

 店主さんは、少しだけ目を丸くして、そして優しく微笑んだ。


「茶々をいれてしまってすまなかったね。心行くまで楽しんで行ってくれ。立ち読みも歓迎だよ」

「立ち読みでいいの? 読んじゃったら商売にならないよ?」

「私の楽しみは、私が好きな童話を読んでもらうことだ。特に、お嬢さんのような童話好きのお客さんにね」

 

 それで満足したのか、コツリコツリと板張りに杖の音を響かせて、再び定元の位置に戻っていった。

 世の中にはいろいろな人間がいるなぁ。

 童話の国にとって童話とは商売道具だけれど、私のように童話を純粋に楽しむ人もいれば、店主さんの様に童話を提供することに生きがいを見出す人もいる。世界はまだまだ広い。童話の知らない一面に気付かされて、少しだけ嬉しくなった。お父様は、本当に素敵なものを国策に選んだものだ。

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