第52話 祭りの朝
翌朝、表通りの喧騒が目覚ましの代わりとなった。
日は高く昇っていてカーテンの隙間から鋭い日差しが侵入していた。恐るべきベッドの魔力。固い土の上だったら、日の出とともに起きれるのに……。
「おはよう、ヴェルト」
「おう。それ朝飯な。そこの屋台で買ってきた」
寝ぼけ眼をこすりながら相方を探すと、出窓に腰かけて表通りを眺めるヴェルトがいた。人間観察に夢中なのか、振り向くこともせず、紙に包まれたパンを頬張っている。
部屋の中に視線を向けると、まだ湯気を立てている朝食が、テーブルの上に置かれていた。新鮮な野菜と腸詰をパンに挟んだジャンクフードだ。
「うんうん。さすが私の下僕。お小言を言わない分グスタフより有能」
「何言ってんだ。顔洗ってこい」
私は部屋を出て廊下の水道で顔を洗った。冷水を浴びて小さく悲鳴を上げた。山間の水っていうのはどうしてこう夏でも冷たいんだろう。
……あれ? そう言えば。
私は裸足でペタペタと廊下を戻り、自室へと戻る。ヴェルトは変わらず窓の外を眺めていた。
「ねぇヴェルト。今更だけどさ、この村にヴェルトの知り合いはいないの?」
「なんだ。本当に今更だな」
ヴェルトは呆れ顔を私に向ける。最初の頃はむっとしていた私だけど、この顔に悪意がないことは旅をするうえで知っていた。腹を立てずに受け流すに限る。
「いないな。来るときも素通りだった。補給のつもりで寄るだけだったし、思い入れもない。レンテのせいで、もうしばらく滞在することにはなりそうだが……」
「巻き込まれたのは私のせいじゃないからね!」
お祭りが見たいと言ったのと、童話を作ったらと提案したのは私だけど、自分は記者だなんて嘘を吐いてヘトロさんを煽ったのはヴェルトだ。私は悪くない。
「もう少しだけ探って、どっちに転ぶにせよ、ガロンが納得いったら出発しよう」
「俺様をダシに使うんじゃねぇって!」
テーブルに置いてあったキャメロンが吠える。
「ガロンも旅の仲間だからね。そう言うこともある。しょうがないなぁ、まったく。しょうがないから付き合ってあげるよ」
「嬢ちゃんがこなれて来てやがる……。嬉しさ半分寂しさ半分ってか! 俺様はおどおどして引っ込み思案な嬢ちゃんもよかったのに」
「人は時間が経つと変わるんだよ」
「変わらない人間からは眩しい発言だぜ」
なかなか童話っぽい発言かな、と我ながら思う。思いながら、ヴェルトが買ってきてくれた朝食を口に運んだ。朝から幸せな気分が口の中に広がった。
「で、先生! 進捗いかがですか!」
「え、えっと……」
開口一番、ヘトロさんは食い気味で詰め寄って来た。もちろん先生と呼ばれたのはヴェルトだ。脂ぎった汗を浮かべるヘトロさんに、一歩引いてヴェルトは答える。
「そ、そうですね。まずまず、と言ったところでしょうか」
「ほほぅ!」
嬉しそうに笑うヘトロさん。冷汗が伝う横顔を、私はさらに一歩引いて見守った。
「でもですね。こういうのは、ほらインスピレーションが大事なんですよ。まだ、降りてきていない、と言いますか……」
「お、降りて来る、とは?」
「えっと、つまり。素晴らしい食材を前にした料理人の気持ち。そんな感じです」
「なるほど! レンテの物語が素晴らしすぎて、どう調理したらいいか悩んでいらっしゃると。そうでしょうそうでしょう。時間は問いません。是非思う存分悩んでください。えぇ!」
再び訪れたレンテ記念館の入り口で、盛り上がる二人を、私は冷めた目で見つめる。
「ガロン、またあんなこと言ってるよ。あのペテン師は」
「身から出た錆って奴だ。行く末を見守ってやれよ」
首から吊り下げられたガロンと、聞こえないようにため息を吐く。
記者と言ってしまったのはヴェルトだし、自分の言葉には責任を持たなく手はいけないといういい教訓だ。反面教師にしよう。
童話にしたいという思いは私もヘトロさんも同じだけれど、ガロンの話を聞いた今、それを素直に受け入れられない。一方的に押し付けられるヘトロさんの話ばかりでは、真実の英雄譚とは言えなくなってしまう。
では早速と言って、連れていかれるヴェルトを見つめながら、私はどうしようかとしばし悩む。
「ガロンはどうしたい? ヘトロさんのエピソードは概ね聞き出せてると思うけれど……。つまらない童話制作の打ち合わせに付き合いたい?」
「冗談だろ、嬢ちゃん? 俺様がそんな眠くなる打ち合わせに興味を持つ訳ねぇって」
「だよね。――ヴェルトぉ!」
既に疲れた顔をしているヴェルトの背に声を掛ける。
「私、またお祭り見て来るね! 記者のお仕事頑張って!」
「お、おいちょっと、お前っ!」
「退散!」
投げつけられる文句に耳を塞ぎ、私は再び炎天下の元へと身を晒した。
役割分担という奴だ。ヘトロさんの相手はヴェルトに任せて、私はお祭りで情報収集しようじゃないか。うん。
通りに戻るとすぐに首に汗が滲んだ。照り付ける太陽に加え、至る所で火を使った屋台が出ているのだから暑くて当然だ。過剰な人口密度も、温度上昇に一役買っているに違いない。
至る所から私の腹の虫を攻撃する匂いが漂ってくる。
「どうしよっかね?」
「好きにしたらいいんじゃね? 思えば嬢ちゃんはヴェルトの奴にべったり過ぎなんだ。一人で歩くってのもいいもんだぜ?」
「べ、べったりじゃないし! 私は既に独り立ちしたレディなんだから! まったくもう。ガロンの目は節穴だね」
「俺様の目はレンズだがな。ま、行きたいところに行けばいいさ。付き合ってやるよ」
私は頷いて、頭の片隅に抱いていた欲望に身体を委ねた。
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