第57話 語り継がれない英雄譚 その2

「レンテはわしに討伐隊を組織するように言った。そしてその指揮を自分で取る、と。村の男たちは、少しだけ希望を持ったんだ。歴史の国で騎士をしていた男が、自分たちを指揮する。これは勝てるかもしれない、と。絶対的な暴力が味方になったように錯覚したんだな」


 リストンさんは再びお茶で口元を湿らせた。


「……ひどい軍師だったよ。組織した討伐部隊をすべて囮に使った。何人もの人間が同時に攻撃すれば、化物だって隙が生じる。アバランタの足は八本もあったが、八人が一人ずつ命を懸けて押さえつければ、胴はがら空きだ。――奴はご自慢の腕力でアバランタを叩き斬った。見事な一撃さ。その一瞬だけは、否定できない。奴は戦士だった。……だが、被った損害はそんなものでは拭いきれなかった」


 無情な沈黙に支配された。

 私はもちろん、ガロンの名を騙っているヴェルトも口を挟めなかった。


「五体満足で生き残ったのはわしだけだ。鋭い爪で足や腕を貫かれ一生モノの傷を負ったものが多い。そのほとんどもまもなく亡くなった。――アバランタの脅威は去った。だが、引き換えに失ったものが多すぎた……」


 杖を突いていた古書店のお爺さん。それももしかしたら……。


「レンテは、どうなったんです?」

「奴も怪我を負ったよ。毒のある牙が腕を掠めてしまったんだ。ひどい高熱に苛まれた」

「それで、村を支配していたレンテも亡くなった、と」

「いや違うよ。……レンテは、わしが殺した」


 ゾクリと悪寒が背中に突き刺さった。

 伏せられた目に、この老人は一体何を浮かべているのか。怖くて見れない。私は少しだけ、ヴェルトに身を寄せた。


「ガロンよ。戦友のお前にこんなことを言うのは酷かもしれないがな。奴の強靭な肉体は毒を克服しそうになった。また、あの暴君が復活するかもしれない……。わしは恐ろしくなって、そして……。レンテの息の根を止めてやった……。この手で。これが村が救われる唯一の方法だと信じて……」


 病弱のレンテに迫るリストンさん。抵抗できない暴君を、ゆっくり絞め殺す姿が脳裏をかすめ、私は首を振った。


「……そうか」


 ヴェルトは、小さく呟いたが、それだけだった。

 本物のガロンも無言のままだ。一体何を思っているのだろう。黒光りするヘンテコな魔法の道具は、私の首から提げられたまま何も言わない。


「後悔はしていない。わしの決断は村を救った。村は再び平穏を取り戻し、少しずつ豊かさが戻ってきた。この村であの時代を体験したすべての者が、この話を知ってなお、わしを村長として称えてくれたさ。……ただ、その後を、間違えてしまった」

「間違えた?」


 皺の寄った目を細め、過ちを悔いるように影を落とした。


「……荒んだ村には、希望が必要だったのだ」


 アバランタとレンテのせいで荒廃した村。どちらの脅威も同時に去ったとはいえ、失ったものが多すぎた。

 人も、資材も、食料も。

 そして生きる意味も……。だから。

 だから、リストンさんたちは、せめて子供の未来を守ろうと嘘を吐いたのだと言う。


「わしが、レンテを英雄に祀り上げてしまった」

「英雄に祀り上げた? じゃあ、この祭りの発端は……」

「ああ、わしだ。まだ物心ついていない子供たちに、村を救った英雄を作ってやりたかったんだ。悪者を倒し、村を救ったヒーロー。憧れるには十分だ」


 純粋な子供たちは親の言葉を信じ、子供はその子供に語り継ぎ……。そうやって伝承は生まれた。

 その手で殺してしまうほど憎んでいた人間を、自分の子供たちが英雄だともてはやす現実。作られた真実を信じ込み、独り歩きするレンテという架空の英雄に葛藤した。

 リストンさんたちをはじめ、村の老人たちが複雑な思いを抱いていた理由……。

 老人のエゴ。古書店の店主が言っていた意味が、ようやくわかった。


「でも……! でもっ! それって間違ってる!」


 私は思わず口走っていた。


「真実を捻じ曲げちゃうのは駄目だよ。真実はどんなにつらくてもその通り語り継がないと……」

「ほぉ。お嬢さんはそう思うのかい」

「……うん。だって、そうしないと、真実が消えちゃう。リストンさんが感じたその時の苦労が、すべて消えてしまう。残らないんだよ! それって、とても悲しいことだと思う」


 だってこの世界は童話なんかじゃなくて、現実なんだから。作り話が真実であっていいはずがない。

 リストンさんは、緩やかな動作で上半身を倒し、頭を板張りにこすりつけた。


「こんなことを頼むのは虫がいいと思っちょる。だが、願わずにはいられんのだ。願わくば、わしの話を元に童話を作り、バカ息子たちの目を覚まさせてほしい……! あの悲劇を体験したものの最後の願いだ……」

「ね、ヴェルト。私たちで真実の物語を童話にしよ。ガロンもいる……じゃなかった、ガロンの記憶も混ぜれば、英雄レンテのイメージを塗り替えるリアリティのある物語が出来上がるよ!」


 私は多分、リストンさんに同情してしまったのだと思う。こんな若造たちに必死で頭を下げる老人。自分の罪を認め懺悔しようとしている人間に、感情移入してしまっていた。

 けれど。


「それは駄目だ、リリィ」


 私の膨れ上がった気持ちは、ぴしゃりと否定された。

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