第45話 創作への想い
「ねぇ、パヨ爺。さっきのヴェルトの擬音。本当にあそこまで褒めるほどのものだったの?」
童話の国から依頼されたすべての擬音を作り終えて、私は火照った頬を手で仰ぐ。
にゃんにゃごにゃごにゃご。口に出すと耳に残る不思議な擬音。
けれど、私にはパヨ爺があんなに手放しで褒めるものには思えなかった。
私の疑問を聞いて、パヨ爺は銀色の綺麗な髭をゆっくりと撫でつけた。
「もちろんですとも。ワタクシ、嘘は付けませんのでな」
「そうかなー?」
「とはいえ、擬音の技術やセンスを褒めたわけではありませんぞ?」
「うん? どういうこと?」
胸に残ったしこり。パヨ爺のべた褒めが、どうにもしっくりこなかった。私が疑問を抱いた違和感には、やはりなにかしらの理由があるのだ。
パヨ爺は奇術の種明かしでもするように両手を広げた。
「ワタクシが褒めたのはただ一点。ヴェルト殿の勇気です」
「勇気?」
「はい」
すっかり冷めてしまったお茶に、久し振りに口を付けた。冷めたお茶は酸味が強くて、思考をクールに戻してくれる。
私やガロンがけしかけたあの状況で逃げなかったことを言っているのだろうか?
「お嬢さんたちがここに来る前、一人の軍人さんがワタクシを訪ねてきました。童話王の依頼を受け取りに来たそばかすが似合う年若い女性です」
パヨ爺は昔話でも始めるようにゆっくりと語り始めた。
「リーチェさんだね。私たち、リーチェさんの代わりにここに来たんだから」
「ワタクシ、彼女とも同じ問答を行ったのです。一緒に擬音を作りましょう、と」
「うん。なんとなくそんな気はしてたよ」
「彼女は、必死に頭を使って、顔を真っ赤にして考えた挙句、口に出す段になると一目散に逃げてしまいました。恥ずかしかったのでしょう。自分の想いを擬音にするということが。……別に怒っているわけではありません。世の中の大半の人は、そういう反応をします」
「……」
「ワタクシは世界にそうあってほしくないのですな。思ったことを口に出す。どういうわけだか、今のご時世、それが一番難しいことなのです」
「そう、なのかな。私は嫌なことは嫌って言うよ?」
「お嬢さんは、そうするでしょうな。それに、前任の軍人さんも」
「レベッカも、うん、裏表ないし、こういうの好きだもんね」
もう少し体裁をとり繕って欲しいとさえ思う。
「ワタクシ、リーチェさんに創作の楽しさを知ってほしかったのです。誰かを楽しませる童話、それにかかわる仕事をしているのに、作る楽しさを知らないのはもったいない。……けれど、それは叶わなかった。ワタクシのプレゼントは、ただのお節介で終わってしまった」
「ヴェルトは、その殻を打ち破れたの?」
「ええ。打ち破れましたとも。無難な擬音で『置きに行く』ことだってできたはずなのに、ヴェルト殿は恥ずかしさを甘んじて受け入れる選択をした。そこに生まれる喜びも味わえた。ワタクシはその一歩を称えたのですな」
胸の奥に引っ掛かっていたものが取れた気がする。
最後に見たヴェルトの笑顔、あれは認められたことに対するものもあっただろうけれど、大きな障害を越えた達成感が大きい割合を占めていた。
誰かに喜んでもらえる喜び。
私も童話の原石を集める者として、忘れちゃいけないことだ。
「こんな商売をしているからこそ、伝えていきたいのです。せめて擬音だけは、自分を曝け出す場にしてほしい、と」
私は思った。
この人が『あひるの王子』シリーズの擬音を作っていてくれてよかった、と。
「うっひょー。ホントに回収してきてくれたんすか!? リリィ王女、マジ王女っす!」
シーリングスタンプで綴じられた一通の封書を手渡すと、リーチェさんは跳んで回って全身で喜びを表現した。ペコリペコリと何度も頭を下げられ、何度も握手を求められた。
「いやぁー。いったいどんな魔法使ったのか教えてほしいっす。自分じゃ言葉も通じなくて、ホントもうどうしようかと……。あの変わり者の爺さんを手名付けるとは、流石リリィ王女。器が大きい!」
「いや。たぶんそんなんじゃないと思う」
リーチェさんの感謝を、私はやんわり辞退した。私が何か特別だったわけではない。
パヨ爺はただ知ってほしかっただけなのだ。創作という、こちら側の世界を。
「そんなんじゃないって、どんなんなんすか?」
「うーん。言葉にするのは難しいかも」
「えー。教えてくださいよぉ。自分、今後もあのお爺さんのところに行かなきゃならないんですからぁ」
腰に縋りつかん勢いで情けないことを言うリーチェさん。童話軍に身を置くならば、そういうところは直していってほしいと、王女なりに国を憂うのだけれど……。
「意地悪で言ってるんじゃないよ。たぶん、何もいらないの」
「何もいらない?」
「うん。パヨ爺は何者も拒んでいないよ。逃げているのはリーチェさんの方じゃないかな。パヨ爺はね、少しだけ寂しそうな顔をしてたんだ。リーチェさんに逃げられたって話をした時」
「それは……、面目ないっす」
「だから、恥ずかしくても、自分を表現すればいいと思う。あの人は、それを笑うような人じゃないから」
「恥ずかしくてもって……」
リーチェさんの前任者が、あのレベッカなのだからそりゃ落差があって当然だ。今のリーチェさんにレベッカと同じように振舞えというのは酷だろう。
けれど、それでも、私はリーチェさんにもこちら側の楽しさを知ってほしい。
私にはヒントしか出せないけれど、リーチェさんなら答えにたどり着けると思う。
「おい、リリィ。そろそろ行くぞ」
町の入り口にある門のところでヴェルトが呼んでいた。小さなリュックを背負って、置いていくぞと脅してくる。
寄り道に一日使ってしまったけれど、この町でできるヴェルトの責務はもう終わっている。私たちは先を急ぐ。
「じゃあね、リーチェさん! 頑張って!」
「うぅ……。前途多難っす」
「今の気持ちを擬音にしてみて?」
「うるうるっす」
「ほら、大丈夫。心配することないよ」
「うるうる?」
私はもう一度リーチェさんに頑張ってと言い、未練を残すことなくヴェルトの元へ駆けて行った。
難しいことじゃない。一つ壁を越えるだけなんだ。斜に構えて、プライドや体面を気にする男でさえできたんだ。私に対して軽口を叩けるリーチェさんなら、心配する必要もない。
ヴェルトの隣に立って歩き始めながら、私の興味は次の目的地へと移っていた。
「ここは面白い街だったね。次はどんな街だろう?」
「ほほう。嬢ちゃんが童話より先に旅の目的地を気にするとはなぁ」
「いいでしょ、別に。そういう気分なの!」
胸元で揺れるガロンの声に頬を緩めながら、遠くトンビが飛び見切れていく大空を仰ぎ見た。
「ま、着いてからのお楽しみだな」
「えー。ヴェルトのけちー」
「じゃあ、一つだけ教えといてやる」
「お! なになに!?」
「ここから数日、また野宿が続く」
「うっ……」
足が止まる。ヴェルトは少し行き過ぎて、振り返った。柔らかな苦笑が木漏れ日に揺れる。
楽しいことというのは得てして苦しみと差し引きゼロになるようにできていて、お預けされるからこそ楽しみなのだ。
「おい、なんか言えよ」
固まってしまった私の元へきて、ヴェルトが顔を覗き込む。
そうはいても嫌なものは嫌なわけで。
私は気に入ったフレーズで自分の気持ちを目いっぱい表現する。
「にゃんにゃごにゃごにゃご」
第五章 了
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