第44話 擬音作成講座 その2

 ふと視線をテーブルから外すと、ヴェルトが少し離れたところに移動していた。

 椅子の背もたれを抱え込むようにして座り、こちらを見つめる姿は、可愛い我が子を見守る父親のような風情があった。

 あの顔は、邪魔しちゃ悪い、とか思っている顔だ。


「ヴェルトもやろうよ。『あひるの王子』シリーズに載る言葉を作れるんだよ! この言葉、実は私が作ったんだって、自慢できるよ!」

「いや、いい。俺にはそういうの似合わないさ」


 案の定、ヴェルトは私の誘いを華麗に躱す。まるで、初めから聞かれることを予想して言葉を用意しておいたような軽やかさだった。

 旅を始めたばかりの私だったら、ここで諦めていただろう。けれど、ヴェルトとの付き合いももう二か月を超えた。もう少し踏み込んでみたいと、感情が訴えていた。


「似合うとかないよ。私、ヴェルトの作る擬音聞いてみたい!」

「リリィ殿の言う通りですぞ、ヴェルト殿。擬音とは、うちから湧き上がる感情の発露。間違いなどなく、正解もまた、ありはしないのです」

「……いや、だから」

「ヴェルト!」


 苦い顔をするヴェルト。そこへ追い打ちをかけたのはガロンだった。


「嬢ちゃんにここまで言わせたんだ。これで断ったら男が廃るぜ? あぁん?」


 私とヴェルトにだけ聞こえる声音で巧みに煽り、退路を塞ぐ。私は心の中でぐっと拳を握った。

 童話の世界にどっぷり浸かっている私よりも、真っ白で何にも染まっていないヴェルトの方が、突拍子もなくしっくりくる擬音を思いつくかもしれない。数多の童話を呼んできた私の触覚がビンビンと反応していた。

 ……まぁ、それは建前で、本当はヴェルトが困るところを見てみたいという本心もある。

 ヴェルト、こういうの苦手だからなぁ。きっとガロンもそう思って話に乗ってきたに違いない。

 ヴェルトは一度天井を仰ぎ見ると、諦めたように吐き捨てた。


「――しょうがねぇな。一回だけだぞ?」

「やったー!」

「さぁ、楽しい擬音の世界を始めましょうぞ」


 ヴェルトがテーブルについて、第三回戦が始まる。

 一度私とヴェルトに目配せし、パヨパヨ爺は鞄から新しいカードを取り出す。

 書かれていたのは――。


「『物知りな猫の鳴き声』?」

「これはまた……。先ほどのドラゴンとは違った難しさがありますな」

「『にゃー』でいいだろ」

「それで済んだらお父様はパヨ爺に頼まないよ!」


 これだから斜に構える大人は……。楽に終わらせようというあさましい魂胆が見え見えだ。これは釘を刺しておかねばなるまい。

 三つの頭がカードを囲む。


「『みおう』はどうかな? こう、深く低く切り捨てる感じで言うの。みおう」

「リリィ殿ともあろう方が、まだ常識に引きずられてはいませんかな? ワタクシ、『ワウー』を押しますぞ。月を見上げ、物思いにふける一匹の黒猫のエレジーを表現しております」

「……」

「おぉー。流石だね、パヨ爺。でもそれじゃ、犬なのか猫なのか擬音だけじゃわからないと思う。だから、ちょっと捻って、猫らしさを取り戻して、『ねぉーん』ってのはどうかな? こんな風に、目は半分だけ開いて、半歩先の地面を見つめて呟くの。世界の理不尽を愁うように!」

「いいですな、いいですな! 妄想が膨らむ擬音こそ、擬音の真骨頂。世界で一匹だけの猫が出来上がりますぞ!」

「……」

 盛り上がる擬音談議に一人だけ入ってこない男がいる。

 まるで親の仇でも見るように、無言でカードを睨みつけ、一心に感情を殺しているようだ。全く困った人だ。

「ちょっとヴェルト。ヴェルトも意見出してよ!」

「やっぱ俺は……」

「二言はないよね?」

「……」


 私が煽っても、渋い顔を崩さない。

 そんなに嫌か? 思いついた擬音を一つ、ぽんと出すだけなのに。


「否! お待ちなさい、お嬢さん。これはもしや……」


 眉をへの字にした私を、鋭い声が静止させた。パヨ爺である。

 パヨ爺はずずいと顔を近づけて、下を向いたヴェルトの表情を舐めるように覗き見た。逃げる横顔が、少しだけ赤みを帯びている。


「ヴェルト殿。あなた、既にとんでもない上玉を思いついておいでですな?」


 ヴェルトの肩がピクンと跳ねた。焦点の定まらない瞳が、右へ左へと忙しく動き回る。普段無表情な分、こういう時わかりやすく顔に出るんだな。


「言ってごらんなさい。世界が変わりますぞ!」

「……」


 揺れる鼓動の向こう側で、必死に葛藤しているヴェルトの姿を見た。

 部屋中に木霊していた物音が、耳もとから遠く離れて、やがて聞こえなくなる。

 組んでいた手がゆっくりと解かれ、綺麗な赤銅色の瞳が現れた。


「――」


 呼吸が早い。頬を大粒の汗が滑り落ちる。

 緊張感が高まって、そして、ヴェルトの口が開く。


「にゃ――」

「にゃ?」


「にゃんにゃご、にゃごにゃご……」


「……」

「……」


 引いて行った無秩序な音が、波のように引き返して来た。重音の大洪水に巻き込まれ、誰一人口がきけなかった。

 沈黙を破ったのは椅子が惹かれた音。私の向かいに座っていたヴェルトが、片手で顔を隠して立ち上がった音だった。


「……ちょっと風に当たって――」

「エクセレントッ!」


 大音声が木霊する。

 ヴェルトの行動を遮ったのは、誰であろうその道のスペシャリスト。パヨ爺は、椅子を後ろに蹴倒してヴェルトの手を取りぶんぶんぶんと力強く振った。


「素晴らしいですぞ! ヴェルト殿!」

「お? え?」

「このパヨ爺。感涙いたしました! やはりワタクシの目は間違っていなかった!」

「あ、あぁ。そう?」

「えぇぇぇ。もっと誇ってもいい! 誇るべきですとも!」


 大きく頷き、しきりに感嘆の言葉を漏らす。端的に言って、べた褒めである。


「う、うん! そうだよヴェルト! いい! 私は自分のもいいと思ったけど、ヴェルトの聞いて考えが変わったもん! これにしよう!」

「『にゃんにゃごにゃごにゃご』。全てこの言葉で片付けてしまえるような不思議な響き、『にゃんにゃごにゃごにゃご』」

「頭に残るね。『にゃんにゃごにゃごにゃご』」


 ヴェルトの眉間にしわが寄る。自分が作った擬音にそんな力があるのか疑っている顔だ。


「これで行こうよ、パヨ爺。やっぱり『ねぉーん』じゃあと一押しが足りないよ」

「賛成ですぞ、リリィ殿。擬音を知り尽くしてしまったワタクシには生み出せない、不思議な魅力が宿っています」

「そ、そんなにいいものなのか……? 俺の作った擬音は……」

「えぇ。天下の擬音蒐集家が太鼓判を押しますぞ!」

「そうか……」


 ヴェルトは強引にパヨ爺の腕を振りほどくと、ガロンを置いて部屋を出て行こうとする。


「ヴェルト、ちょっと、どこ行くの?」

「一回だけって言っただろ?」


 そう言うヴェルトの横顔は心なしか緩んでいる。

 私はヴェルトにバレないようにガロンに目配せした。たぶん、ガロンも同じことをお思っているだろう。

 いいものが見れた。

 片手をあげて扉から出て行く背中に、言葉に出さずお疲れ様を送った。

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