第六章 皮の村のレンテ

第46話 旧友との再会

 谷間を抜ける突風が壁にぶつかって持ち上がり、私の伸びた髪をさらっていく。険しい山肌を歩き通してたどり着いた峠の先には、これまでの苦労を労うような美しい眺望が広がっていた。


「わぁっ! 綺麗!」


 自然と感嘆の言葉が漏れる。

 湿地帯だった麻の町から、いくつか小さな集落を通り過ぎ、辺りの景色は随分と変わった。背が高くて葉が細い樹木の群れに、堅い岩肌が露出した斜面。ぬかるみに足を取られることはないけれど、ごつごつとした急勾配が、道行く人の足に負担をかける。


「お。意外だな。お前がまず景色に見蕩れるなんて。開口一番は『疲れた』だと思ったのに」

「もう! ヴェルトは私を軽く見過ぎ。もう四カ月も徒歩で旅してるんだよ! このくらいなら訳ないって! それにね、見てよ! 絶景っ!」


 後ろに立つ長身の男の不躾な発言は、いつものこと。目くじらを立てる私じゃない。

 私が手を広げて雄大さを表現すると、ヴェルトは目を細めて、遠く円形の地平線まで広がる丘陵を眩しそうに見渡した。


「そうだな。残念ながら俺は二度目だけどな」

「んー。いいじゃん。私に合わせて一緒に感嘆の言葉を漏らそうよ! この大自然のすばらしさにさ!」

「がっはっは! 嬢ちゃんも成長したじゃねぇか。この朴念仁なんかよりよっぽど旅を満喫しているぜ。……身体の成長ももう少し早いと、俺様としては嬉しいんだが……いでっ」

「相変わらず、下品なんだから、ガロンは」


 胸元で揺れるキャメロンにこつんとげんこつを与えて、もう一度、辺りを見渡す。

 一羽のトンビが風を切って飛んでいき、岩肌から生えた歪な木の上に降り立った。

 きっとあそこに父親の帰りを待つ家族がいるんだろう。私はその姿に、少しだけ童話城にいるお父様の姿を重ねた。


「おい、リリィ。ちょっとこっち来てみろよ」

「ん?」


 私が世界の美しさと家族の大切さに思いを馳せている間に、ヴェルトの姿が消えていた。振り返って辺りを探すと、少し高くなったところに猫背に曲がった長身の姿を見つける。


「何やってるの?」

「見てみろこれ。祠だ」

「祠?」


 そこには古びた祠があった。

 木を組み上げて作られた祠は、長い年月をかけて自然と混じり合い、言われなければそれが祠だとはわからなかった。臙脂えんじ色に塗られた屋根は苔がびっしりと張り付いているし、柱の一部は腐敗して欠け、それを補うように緑の植物が腕を伸ばしている。ぴょこりと顔を出す色鮮やかなキノコたちが心ばかりの装飾品のようだ。


「随分古そうだね。何が祀られているんだろ? 教典の国の神様とか言う人かな?」

「いやぁ、違うぜ嬢ちゃん。これは人を祀ったもんだ。この近くの村のもんじゃねぇか? 少なくとも、あの国のもんじゃあないぜ」


 私の疑問を拾ってくれたのはガロンだった。


「何でそう言い切れるの?」

「この祠が木材でできてるからさ。あの国の信仰って言うのは、とにかく朽ちるっていうことを避ける。時間を超越した存在でありたいらしい。だから、宗教に絡む建造物は全て石や土を使う。不変という願いを込めてな」

「へー。詳しいね」

「これでも、歴史の国の騎士だからな! 敵国の情報収集も抜かりなかったぜ」


 胸を張っているのだろう、きっと。キャメロンの姿のままじゃ、わからないけれど。

 改めて見上げると、幽玄的な情緒を感じなくもない。自分がここにいることを主張するわけではなく、世界に受け入れられ世界を受け入れ、一緒に生きることを良しとしたような、そんな懐の深さを感じる。


「この花、最近供えられたものだな。それに、そこに吊り下げられた提灯」

「提灯?」


 ヴェルトが指差す方を見ると、屋根の先に、赤と白の真新しい提灯が括りつけられていた。そこだけが新しい人工物で、周りの風景と馴染んでいない。


「人が頻繁に来ている証拠だ。この近くって言うと、確か皮の村だな。……あそこは確か、有名な祭りがあったはずだ」

「お祭りぃ……?」


 私はその単語に重いため息を吐いた。


「意外だな。王女様はお祭りがお嫌いか?」

「だって。人前で作り笑顔するんだよ。愛想笑い好きじゃないし。いつもお祭りの前は体重が減る……」


 童話の城にいてお父様のお説教の次に嫌いなイベントだった。


「それは童話の城のお祭りだからだろ。こういう村の祭りってのはそんな堅苦しいもんじゃないぞ。みんな無礼講で楽しいことが許される時間だ」

「ぶれーこー?」

「分け隔てないってこった。とにかく飲んで食って騒いで盛り上がる! ま、見た方が早いんじゃねぇか?」


 ガロンはそう言って、先を促した。

 まぁ、そこまで言うなら、体験してみるのも悪くないかもしれない。


「あ、こっちに石碑があるよ?」


 私は、祠の裏に隠れるように立っていた石碑に近づいた。雨の影響か随分歪に形を変えた私の身長ほどの石には、童話の国が使う文字で、この祠ができるに至った経緯が記されていた。


「ね、ガロン。ここに面白いことが書いてあるよ?」

「あぁん? 俺様が面白いと思うのは、バインバインのお姉さんに首から掛けてもらって、無重力トランポリン体験を味わっている時だけで……」


「レンテって、知ってる?」


「……なんだって?」


 私の言葉に、軽やかに回っていたガロンの調子のいいセリフが止まる。

 ていうか、何だ、無重力トランポリン体験って。突っ込まないけれど。


「ここに書いてあるの。ここに祀られているのは、歴史の国から来た大英雄、レンテだって」


 そう言えば、私は知らない。

 ガロンは歴史の国でどんな人物だったのか。どうして童話の国に来て、何が原因で亡くなって、魂というふわふわしたものになってしまったのか。


「ガロンも騎士だったんでしょ? もしかして、生前のガロンの知り合いとか? それだったら凄いね! 感動の再会だよ! 劇的で童話みたいっ!」

「随分懐かしい名前に出会っちまったなぁ。あいつ、こんな辺境の村にまで来ていたのか……」


 しみじみと吐き出された言葉に、私は思いを重ねられない。ガロンが見ているであろう景色を想像することしかできないのが妙にもどかしい。

 けれどガロンは、静かに否定した。


「感動的でも何でもねぇが。その名前を、もう一度聞くことがあるとは、人生わからねぇな」


 もう死んでるけど、なんてつまらない冗談を付け加える。


「ガロンは、その人と仲が良かったの? でも別れちゃったとか?」

「そうだな。いろいろあって変わっちまった。かつては背中を任せて共に闘った仲だったのにな。今じゃあいつは歴史の国で知らない奴なんていない大罪人だよ。笑えねぇだろ?」

「大罪人?」


 自嘲気味に吐き出されたガロンの言葉に疑問符が浮かぶ。


「わ、悪い人なの? もしかして、ガロンも……」

「国にとっての正義が、個人にとっての正義とは限らねぇって話だ。……何ちょっと遠ざけようとしてんだよ。失礼だな」

「ご、ごめんつい……」


 気が付いたら、おもむろにキャメロンを身体から引き離していた。


「罪を犯して裁かれた。それだけだ。死罪こそ免れたが国外追放。あの時、もう関わらねぇって決めたのに。今頃になって帰って来やがった」


 ……あぁ。私は少しだけ理解できた。

 ガロンはきっと心配していたんだ。自分の戦友が自分の前から消えた後のことを。たぶん、ずっと。ヴェルトと師匠の関係とは違うけれど、二人の間には絆があった。

 失った時間は戻せないけれど、せめてその頃のことを形にしてあげたいな。


「あっ! そうだ!」

「どうした嬢ちゃん?」


 私は思いついた私史上最高にクールなアイデアに頬が緩んだ。


「童話だよ! ガロン、童話だよ!」

「はぁ? 童話狂いなのは知ってるが、なに唐突に連呼してんだ?」

「ち、違うし。童話狂いじゃないし。……じゃなくて。童話にしようよ! そのレンテって人の話をさ。形にして残しておけば、ガロンの戦友はずっとそこに残り続けるんだよ!」

「童話にするだぁ?」


 そうだよ。物語にして留めておこう。歴史の国の大罪人でも、ガロンはその本当の姿を知っている。もしかしたら、歴史の国の人たちすら知らない更なる真実があるのかもしれない。そんな大発見を童話に出来たら、きっとレンテも浮かばれるんじゃないかな。


「……嬢ちゃんにしては、いいこと言うじゃねぇか」

「私も成長してるんだよ? ちゃんと見ててね?」

「肉体的な成長はまだまだだがな……いでっ」


 きっとガロンも照れてるんだ。そう思うことにして、私は下品な発言への制裁をげんこつ一発で許してあげることにした。

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