第五章 麻の町のパヨパヨ爺

第36話 その思い、擬音重ねて

 私は精いっぱいの懇願を言葉にしながら、ふと我に返る。

 取るに足らない小さな任務だと思っていたのに、気が付いたらこれだ。


「ピヨピヨ、ウエンウエーン」

「ホエホエ?」

「シクシク、グズグズ……」

「トントン、ソー、スワッ、キャンキャン!」

「ハッ! クゥーン」


 町一番の大通り、その一画で繰り広げられる得体のしれない会話劇。

 旅装束を纏った一人の少女と、怪しい格好をしたお爺さんが、人語とは到底思えない言葉を、必死になってぶつけ合っている。道行く人は足を止め、周りにはいつの間にか人だかりができていた。


「スリスリ、カキカキ。ワプーン、ダバダバ」


 額に汗して熱の籠った言葉を吐き出し続ける少女は、この国の王女であるこの私だ。持てるすべての言語能力を総動員して、伝えたいことを形にしている。もはや恥ずかしいなんて思う余裕もない。


「フガフガ、コクコク。ムムッ。キュピーン!」


 そして、私と会話している相手こそが、この不思議な会話劇を始めた張本人。

 黒いマントに黒いステッキ、黒いシルクハットをかぶった小さなお爺さん。髪は綺麗な銀色で、前髪はかき上げて丁寧に撫でつけられている。丸眼鏡の奥に潜む小さな目は、楽しそうに揺れていた。『ラミーの怪盗美学』の怪盗ラミーや、『世界をひっくり返す奇術の種』に出て来る奇術師のような風体。およそ現実離れしたような格好なのに、どこか憎めず人間味に溢れていた。

 私は額を流れる汗を手の甲で拭った。


 キュピーンまで来た! これはいい反応かも……! ここで、畳みかけるっ!


「キラキラ、キラキラ!」

「ビビビ、ビビビ、ムーン……」

「キューンキューン」

「ビビン! シュワリ、……ババーンッ!」


 お爺さんは盛大に両手を上げた。

 人垣からどよめきが漏れる。

 立ち込める怪しい熱気が、このやり取りがクライマックスに差し掛かったことを、観衆にも知らしめていた。何事かわからなくても、その一体感が私たちの気持ちを一つにした。


「コロン? テロン?」

「ババーン! デデーン!」

「チロチロ、チロチロ?」

「ドンッ! ――ペケ」


 お爺さんは大袈裟に両腕を振り回す。そして一度静かになった後、小さく皺の寄った手が、マントの奥から伸びて来た。


「ポムポム?」


 皮と皺だらけの手だけれど、血が通ってぬくもりを感じる手だ。私は差し出された手をまじまじと見つめて首を傾げた。そんな私を安心させようとでもいうかのように、お爺さんは大きく鼻息を噴き出した。


「パヨパヨ。グッ、フンフン」

「ピヨン?」

「ドンッ!」


 自信に満ちた『ドンッ』。その『ドンッ』に込められたお爺さんの想いを感じ取って、私はぐっと心が揺れた。

 伝わった……! 伝わったんだ!

 喉の奥からもどかしい気持ちがせり上がってくる。

 私はこの想いを、この人に伝えることができた……!

 私は差し出された手を強く握る。柔和に緩んだお爺さんの笑顔が、そ視界に入り、ジワリと目頭が熱くなった。

 高すぎる壁だと思っていた。

 こんなこと無理だと思っていた。

 押しつぶされるようなプレッシャーと掻きむしりたくなるような羞恥心に、何度も投げ出そうと思った。

 でも! 私は成し遂げたっ!

 握った手を引き寄せて、非常識な格好の老人の首元に飛びついた。

 言葉が伝わるって、こんなにも嬉しいことだったんだ……!

 優しく温かい掌が私の背中を叩いてくれる。その温かさに、再び喉の奥から感動が湧きあがって来る。


「パヨン。パヨン」

「ウグッ。オウオウ……」


 湧きあがる拍手。涙の溜まった瞳をそっと開くと、自分のことのように喜んで涙を流してくれる人たちがいた。

 温かい。擬音って素晴らしい。

 感激が大通りを包む中、あまり感情を表にしない長身の男は、人垣の向こうのベンチに腰かけて、冷めた目でこちらを見つめていた。


「――で、これは結局、一体何の茶番だったんだ?」

「おい、ヴェルト。それ言っちゃあいけねぇよ。誰も意味なんて理解してないんだからな」


 ヴェルトの言葉に応えたのは、ヴェルトの膝の上にある黒塗りの歪な物体だった。


「変人ってぇのは、変人を引き寄せる。つまりはそういうこった」

「はぁ。頭が痛い……」


 うなだれるヴェルト。私は感激の渦の中、その姿を横目でとらえた。




 擬音蒐集家、パヨパヨ爺。

 その特殊な肩書のお爺さんとの邂逅を語るには、時間を少し巻き戻さなければならない。

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