第37話 王女に縋りつく女

 ヴェルトの師匠、レゾさんの思い出を回収して早半月。

 艱難辛苦を凝縮した野宿生活を越えようやく到着した次の町で、ヴェルトは早速五つ目の原石を回収した。

 五人目の対象は仕立て屋の親父さんで、これまたいい物語となった。服の綻びから始まった物語は、ヴェルトと親父さんの絆の綻びに発展し、最後は強固な結び目となって固く結び直された。人情に篤く、それでいてすっきりした読み心地の童話になること請け合いだ。

 数日を過ごした宿の一室で、私は一仕事終えた達成感と、お父様から託された任務の進展具合を噛みしめて、小さくほくそ笑んだ。


「ヴェルトの旅はドラマチックだったんだね。これなら、責務を果たし切れる日もすぐなんじゃない?」

「そうかもしれないな。ホント感謝しかない。出来ることなら、このまま村に帰る前に終わらせたいところだが、どうだろうな」

「村? 故郷のこと?」

「ああ。ま、考えるのはまだ早いか」


 そう言ってヴェルトは腰を上げる。

 部屋の窓を開けると、鋭い朝日が差し込んだ。季節はもうすぐ夏になる。夏を待てなかった虫たちが、フライングしたお天道様につられてセッションを始めていた。


「昼には出発しよう。午前中に装備を整えるぞ」

「えー。もうちょっとゆっくりしようよ。まだこの町の本屋にも寄ってないよ? ほら、奇抜なお店ばっかりだしさ、きっと珍しい童話があると思うんだよ!」

「力説するじゃねぇか、嬢ちゃん。一山乗り越えてまた大人に近づいたか?」

「ふふん。いつまでも昨日の私だと思ったら、火傷しちゃうよ」

「その調子じゃ、まだまだだな」

「なにをーっ!」


 すかした態度が気にくわなくて、私はヴェルトの足を思いっきり踏んでやった。ヴェルトは痛い痛いと笑うだけだった。

 おのれ、今に見ておれ……。


「さ、支度しろ。朝飯食いに行くぞ」

「あ、待って」


 ベッドから飛び起き、私は身支度を始めた。




 麻の町はその名が示す通り、古くから大麻草の原産地として知られていた。ここに住む人たちは、大麻草から麻繊維を取り出し織物をして生計を立てていたのだが、近年は別の生業を見つけて注目を集めている。

 それがデザインだ。

 麻の町と言えばデザイナーの町。そう名が通るほど、この町の噂は国中に広まっている。

 童話の国中から人が集まり、類まれなるセンスを磨き合う。服飾の分野から広まった革命は、今や建物や景観にまで及んでいて、どこもかしこも非日常に溢れている。様々な分野の職人が覇を競い、ある種の異空間を形作っていた。

 デザイナーの最先端。

 けれど、それが常人に理解できるのかというと、それはまた別の話になる。


「やっぱ変な町だよね、ここ。ほら見てよあの人の服。布の面積がほとんどないよ」

「うひょ! こいつぁ眼福だぜ! いい身体してるなぁ、まったく」

「ガロン! デザインなんだよ。そういう目で見ちゃ駄目でしょ」

「いやぁ、デザインって素晴らしいぜ!」


 通り過ぎる肉付きのいい女性から目を逸らしながら、私は足早に通り過ぎる。

 見ているこっちが恥ずかしくなる。なんで堂々と往来を歩けるのかな。

 気になって隣を歩く長身の横顔を見上げてみたが、別段変わらない様子で手に持ったメモを睨みつけていた。

 私の心にモヤっとしたものがわだかまる。


「あとは、鍋か。新しいの買っておこう。それから、香辛料が切れてたな……」

「じー……」

「ん? なんだよ。童話はさっき買っただろ?」

「わかってるよ。そこまで傲慢じゃありませんー」


 私は首にかけたキャメロンを揺らして、ヴェルトの隣を歩く。

 そんな他愛ない世間話をしていたときである。

 鍋を探して暖簾をくぐった金物屋から、人が飛び出して来た。


「きゃっ!」

「わ!」


 あわや大惨事。咄嗟に身を捻った私はぶつかることこそなかったけれど、バランスを崩してよろめいた。慌てて近くのものを掴むと、それはヴェルトのベストで、私の重さに引っ張られたヴェルトが変な声を出した。

 背中を支えられて、何とか平衡感覚を取り戻す。ぶつかった相手を見ると、向こうは支えるものを見つけられず、なすすべなく地べたに尻餅をついていた。


「いたた……」

「ご、ごめんなさい。大丈夫?」


 どちらかというとわき目も振らず走って出て来た彼女に非があり、私が突っ込まれた形だったけれど、そこはそこ、大人の対応をする私である。

 フォローのつもりか、ヴェルトはさらっと倒れた女性に手を伸ばす。


「すみませんね。うちのリリィがよそ見してて」

「あ、またそういうこと言う。私、よそ見してないよ! ヴェルトこそちゃんと見てたの? あと、うちのリリィとか言うな!」

「噛みつくなって。社交辞令ってものがあるんだ」


 座り込んだお姉さんは、掌でお尻を擦りながら顔を上げた。


「ててて……。ん? リリィ? ヴェルト?」


 視線が交わる。


「あ、あーっ!」


 不思議に思って見つめていると、鋭く人差し指を突き付けられた。あどけなさの残る顔に浮かぶのは驚きの表情だ。


「そ、そ、そこにいらっしゃるのは、り、リリィ王女ないっすか!」

「えっ!?」「なに?」


 瞬間、緊張が走る。

 ヴェルトの纏う空気がガラッと変わった。

 私のことを王女と知っている人間は少ない。あの童話卸売許可ポスターのおかげで、国民は王女の顔をだいぶ大きく誤認している。

 だから、童話城から離れたこんな町で、私のことを王女と見抜ける人がいるわけないんだけど……。


「あ、よく見ればこの人、童話軍の軍服着てる」

「なんだ。お前の知り合いか?」

「んー、どうだろう」


 自慢じゃないが、私は人の顔を覚えるのが苦手だ。童話ばかり読んできたせいで、お城でのコミュニケーションが盛んではなかった。知っている顔と言えば、お父様とグスタフ、それにレベッカぐらいだ。

 ヴェルトの腕から力が抜ける。リリィ王女という言葉を聞いた瞬間に、その長い腕は、太ももに忍び込ませているナイフへと伸びていた。

 軍服の女性は、自分が警戒されていたなんて思ってもいないのだろう。私が王女であるとわかるやいなや、年上のプライドや人間の尊厳なんかを綺麗に放り投げて、私の足元に縋りついて来た。


「わあああ。リリィ王女ぉ~」

「ちょ、ちょっと!」

「これもきっと巡り合わせっす。無礼を承知で申し上げるっすぅ」


 掴まれた力は想像以上に強い。

 涙と鼻水をまき散らしながら、お姉さんは私に向かって懇願する。


「どうか、この国の為だと思って、自分を助けてほしいっす!」

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