第7話 軍隊長のレベッカ
長く伸びる石造りの廊下に足音を響かせて歩く。
肩を落とし背を丸める私は、さながら『ビオラを弾く夕暮れ』に出て来る売れないビオラ弾きのお爺さんのようだ。お爺さんはそれでも好きなビオラを引き続けることができたけれど、私に待つ未来は好きな童話からかけ離れた修行のような日々だろう。
「はぁ……」
自嘲のつもりだったのに、気分がさらに滅入ってしまった。
とぼとぼと階段を登り、自室の扉まで何とかたどり着く。
お父様もグスタフもいろいろな手続きで忙しいらしく、すれた私を構ってくれる人は誰もいない。王女はもう少し甘やかされるべきだと思う。
ぶつぶつと文句を言いながら愛すべき我が幻想の要塞への扉を開けると、そこには。
……私のベッドに頬擦りをして匂いを嗅ぐ女兵士がいた。
「……ん?」
「あ!」
扉を閉める。まるで悪戯が見つかった子供みたいな顔をしていた。
おかしいな。ここ、私の部屋だよね?
恐る恐る再び扉を開くと……。
「リリィちゃーーん!」
猛スピードで抱き着こうとする変態が目の前に迫っていた。
「いやぁ!」
たまらず扉を閉めると、扉の向こうで派手な音がした。
童話軍の軍服。胸には軍の総指揮を任せられる軍隊長のエンブレムが刻まれていた。そのエンブレムを付けられるのはこの国で四人しかいなくて、そのうち女性は一人しかいない。扉を開けて確認するも、やっぱり間違いなく、私の知る人物だった。
「もう、何やってるの、レベッカ」
「心外だよ、リリィちゃん! 抱き着こうとしたら拒んじゃいけないって、あれだけ教え込んだでしょ? ほら、もう一回チャンスを上げるから、おねーさんの胸に飛び込んできなさい」
「……やだ。なんか、手の動きが気持ち悪いし」
扉の前でなめくじのように寝そべって怪しげな視線を向けてくる軍服の女性から、私はたまらず距離を取った。
歳は少し離れているけれど、レベッカは私にとって唯一と言っていい女性の知人だ。王女だからと距離を取って接するお手伝いさんが多い中で、レベッカだけは身分を気にすることなく対等に私と接してくれる。一緒にお父様に怒られてくれるし、一緒にグスタフに悪戯を仕掛けてくれる。すぐに抱き着こうとしてくる癖さえなければ、とても頼れるお姉さんだ。
私が「ちょっとそこに座りなさい」と言うと、レベッカは嬉しそうに従った。
「どうして私の部屋にいたの?」
「だって、もうすぐリリィちゃんと長いお別れになっちゃいそうだし……。リリィちゃん成分をお腹いっぱい吸収しておかないと、途中で中毒になっちゃうかもしれないじゃん?」
「そんな成分はないし、中毒にもならないよ。――でもそっか。レベッカも城を出るのか」
「そ。童話王の命令だからね。遠路はるばる湖の村とやらまで遠征してくるよ」
こんな性格でも童話の国の軍隊長である。背負うものは大きく、奮える力は強大だ。国の大事を任されるほどには、優秀な軍人なのである。
「さっきさ、例の旅人に会って来たの。ヴェルト君。眩しくなるほど立派な青年だったよ。背も高いし筋肉質だし。おまけに顔もなかなかと来た」
「……聞いてないよ」
ヴェルト君って……。そんな仲でもあるまいし。
「あたしの隣に立たせるにはまだちょっと頼りないけれど、リリィちゃんの隣なら申し分ないんじゃない?」
「何言って……って、なんかさらっと物凄く失礼じゃない?」
「あたしとリリィちゃんの仲じゃない!」
「私とレベッカの間だから言ってるんだよ!」
からりと笑うレベッカの話術に、私は少しだけ憂鬱な気分を忘れられた。
よいしょ、と言って、レベッカは立ち上がる。お尻をぱたぱたと叩いてから襟元を正し、振り向いて私の部屋を眺めた。
「この部屋ともしばしのお別れか……」
「そこ私の部屋だからね? 何自分のものみたいに言ってるの?」
私はレベッカの背中を押して回れ右をして追い出すと、丁度そこへレベッカの迎えが到着した。
背の低い白髪の老兵士。レベッカの隊のナンバーツーだ。
「げっ! ギール!? まずい、見つかった!」
「ほっほっほ。ここじゃと思いました。ほれ、行きますぞ。軍人は軍人らしく職務を全うしませんと」
「嫌ぁー。リリィちゃんと離れたくないーっ!」
「ギール、早く連れてって!」
「ほほ。仰せのままに、王女様」
首根っこを摘ままれて猫のように引っ張られていくレベッカ。まっすぐに生きるレベッカらしい別れ際だと思った。
きっと、長いお別れになってしまう。仕事に出掛けたレベッカの帰りをここで待つ日々とは違う。そう思うと、とたんに胸が苦しくなった。
「リリィちゃーん!」
俯きかけた私に向けて、廊下の先の黒い影が大声を上げた。
「旅なんて気負わなくていいんだよ! リリィちゃんは、リリィちゃんが好きなことを、ずっと貫き通せばいいんだからねーっ!」
「……うん」
不安と不満がない交ぜになって、迫る現実をまだうまく受け入れられていなかった。
私、これからどうすればいいんだろう。
「困ったらいつでもどこでもおねーさんが飛んでいくからね! アイラブリリィちゃーん!」
「……」
私の心とは裏腹に、晴れ晴れとエールを送る姉貴分が、今は少し羨ましかった。
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