第8話 魔法具キャメロン

 一、二、三と数えるうちに私の身支度は整えられ、気が付いたら城門の前に立っていた。


 石造りのアーチが美しい童話城の城門。古くなってもびくともしない大きな木製の扉が、私たちの前に立ちはだかる。

 後ろを振り返ると青空にそびえる童話の城。城門同様石でくみ上げられたその雄姿は、近くで見る者を圧倒する。私にとっては見慣れた我が家だが、城下町に住む民衆からしたら羨望の対象だ。


 そんなマイスイートホームとも、しばらくのお別れ、か。

 あっという間過ぎて感慨もない。


「どうしたのじゃ、リリィ。素晴らしき門出ではないか」

「……そう、見える?」


 この旅の必要性を、頭では理解できた。けれど、心では納得できていない。覆ることはない決定だからこそ、私の気は乗らないのかもしれない。


「レベッカは?」

「あやつは先刻出立した。馬を飛ばしても湖の村は遠いからのう」


 レベッカは先を急ぐ旅、私は遠回りをする旅。向かう先は同じでも、すれ違うことはない。どこかでばったり会えたらいいなぁ。そんな感傷めいた思いが胸を掠めた。


「ごほん。グスタフよ、アレをここへ」

「はい、童話王」


 わざとらしく咳払いをして、お父様は一歩後ろに控えていたグスタフに目配せする。グスタフは拝礼すると一歩前に出て、私とヴェルトの前に立った。

 その両手には黒光りする謎の物体が携えられていた。

 大きさはハードカバーの童話サイズ。童話制作師たちが文字を書くときに使う硯石と、湯呑のような円筒形の物体をくっつけた奇怪な形をしている。色は黒一色で、ところどころに突起があり、表面には怪しげな模様が描かれていた。

 横目で窺うと隣に立つ長身の男も物珍しそうにその物体を見つめている。


「これは?」

「童話の国を支える秘具、キャメロン、にございます」

「キャメロン?」

「はい。端的に申しますと、向けた相手の記憶を奪い取ることができる魔法の道具です」

「記憶を奪い取る……?」「魔法の道具!」


 魔法の道具という響きにテンションを上げたのは、説明するまでもなくこの私だ。対するヴェルトは、自分の責務である記憶を奪い取るという言葉に引っ掛かったようである。


「左様。キャメロンの魔法を浴びた人間は、特定の人間の記憶だけをまるっと忘れます。奪い取った記憶は、キャメロン内部に蓄積され、学者様の技術で童話として再び命を与えられるのです」

「な、なにそれっ! すごい! そんなことができるの!?」

「はい、お嬢様」


 それこそ童話の中の世界のようだ。初めて童話の国の製本工場を見せられた時もびっくりしたけれど、学者様の研究する魔法という技術は底が知れない。

 けれど、そこまで技術が発達しているのに、肝心の童話の内容だけが他人任せの運任せというのは、少し悲しい気分になる。


「特定の人間、というのは? 今回の旅の場合、俺と言うことになるが……」

「ええ。先ほど頂いた髪の毛をもとに、契約は済ませてあります」


 お納めくださいと言って突き出された黒い魔法具を、ヴェルトは恐る恐る受け取った。

 私も背伸びをしてヴェルトの手に収まった謎の物体を覗き込む。見上げているとヴェルトと目が合って、私は慌てて距離を取った。

 魔法という言葉にほだされて、どこの馬の骨とも知れない男に簡単に心を開いてはいけない。私はこれでも王女なのだ。


「魔法の発動には十分にご注意くださいませ」

「気を付けて、って。具体的にどうすればいいんだよ?」

「後ろに小さな窓があるでしょう。そこからこちらを覗いてみてください」


 ヴェルトはキャメロンを自分の顔の高さまで持ち上げて、硯石の部分と鼻が接触するほど接近させた。おかげで見上げていた私には底面しか見えなくなってしまった。


「それで?」

「その窓に、記憶を奪いたい相手の姿を収め、右手人差し指のあたりにある丸いボタンを押します。それで魔法が発動いたします」

「なるほど」


 ヴェルトはその格好のまま首の角度だけを変えて空や城にキャメロンの筒部分を向ける。そして最後に再びグスタフを窓の中に入れた。


「押してみてもいいか?」

「駄目でございます」


 グスタフの表情はにこやかだ。やんわりした拒絶には、有無を言わせない迫力がある。


「キャメロンの説明は以上になります。質問はございますか?」

「溜めこんだ思い出はどうしたらいい?」

「別段何かをする必要はありません。この旅が最後を迎えたら、もう一度童話の城へお越しください。我が国の学者様が適切に処理させていただきます。もちろん、こちらから迎えを出しますので」

「処理、ねぇ……」


 含みのある発言を、ヴェルトは問い返す。見上げる私からは表情が読めないけれど、言葉以上の何かが、空気を伝染しているのはわかった。

 グスタフは顔色一つ変えない。やがて根負けしたヴェルトが、溜め息とともに肩を落とした。

 おほんと咳ばらいを一つして、お父様が前に出る。


「ヴェルトよ。おぬしに課す責務は一年。一年の間に、質の良い思い出を収拾せよ。思い出の質は物語性で決まる。おぬしと縁が深い者ほど、その質は高い。場合によっては減責もある」


 お父様は威厳たっぷりに言い放つ。


「しかし、おぬしも人の子。切りたくない縁もあるだろう。故におぬしが決めるのじゃ。誰との思い出を差し出し、誰との思い出を残すのか。よく考えよ」

「……」


 無言で首を垂れるヴェルトの姿を見て、少しだけ胸が痛んだ。

 一つ小さく頷くと、お父様は、私に視線を合わせた。


「リリィよ。お前はデイジーに似て強い子じゃ。道中辛いことがいくつもあると思う。じゃが、負けてはならん。自分の意思を強く持ち、時には助け、助けられよ。王とは一人で成るものではないと理解せよ」

「……はい」


 そこでふと表情を緩めた。


「そう不貞腐れるでない。かわいい顔が台無しではないか」

「かわいいと思うなら、自分のもとに置いとけばいいのに……」

「異国の言葉に、かわいい子には旅をさせよという言葉があるそうじゃ」

「……約束、守ってよ」


 せめてもの抵抗に、私はさっき取り付けた約束を思い出させる。


「わかっておる」


 お父様はゆっくりと頷いた。


「グスタフよ。旅立ちとは、いくつになっても辛いものだな」

「おっしゃる通りです、童話王」


 気のせいだろうか。お父様の目が潤んでいるように見える。グスタフの声にもいつもの張りがなく、こみあげてくる衝動を堪えているように感じた。


 とくんと、心臓が揺れる。

 こんなとんとん拍子に仕立て上げられてしまったけれど、きっと、二人とも私がいなくなることが寂しいんだ……。私が寂しいのと同じように……。


 私ははちきれんばかりの青空を見上げた。いつもと同じ青空が、今日はなんだか特別に感じる。

 うん。今は二人の気持ちが知れただけで良しとしよう。


「お父様、グスタフ、それにみんな! いってきます!」


 私は今の私にできる限りの明るい声で、見送る家族に向けて叫んだ。

 そうするのが童話チックで私らしいと思った。


 大きく手を振る。

 私が育った童話の城を背にして、まだ見ぬ未来へ歩き始めた。



 童話の国のリリィの旅は、ここから始まる……!



第一章 了

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