第4話 童話問答 その1
「――一つ。おぬしの思い出を、童話の国に差し出せ」
「え?」
青年の顔が、初めて崩れた。
ぽかんと口を開けてお父様を見上げるその姿は滑稽で、童話のワンシーンにもってこいの表情だった。けれど、たぶん私もそれ以上の顔をしていたから人のことは笑えない。
思い出を、差し出せ? なに、それ……?
思い出したようにグスタフの顔を盗み見る。けれど、面食らっている様子はない。
「リリィよ」
「はっ、はい!?」
「童話とは、なんだ? 答えてみよ」
「え? ええ?」
哲学だろうか? お父様の質問の意図が読めない。
悩む。
紙に書かれた文字の群れ。……ううん、違うな。人に場面を想像させて物語の中に引き込む装置……じゃない。感動と興奮をもたらしてくれる幻想? 想像の虜。人が作り出した至高の娯楽……うーん……。
あ、わかった!
「人生です!」
悩んだ末に胸を張って答えた。
小さな沈黙とともに、遠くでグスタフが肩を落とすのが見えた。
お父様は視線を落として、旅人を見る。
「童話とは、ただの文字の羅列じゃ」
「……」
何事もなかったかのように話を続けた。私の答えは大層お気に召さなかったようだ。
なら最初から私に振るな!
ふくれっ面で抗議する私の姿は、既にお父様の眼中にない。
「我が国は、そこに意味を与えることで繁栄しておる。じゃが、物語の原石は有限じゃ。どんなに卓越した童話制作師でも、三シリーズも書けば発想が尽きてしまう。悲しいことじゃ」
「……」
「儂は考えた。この娯楽の繁栄を百年続けるためにはどうすればいいのか、とな。まだ童話の国という大層な名前が付けられる前の話じゃ。――そして見つけた。物語の原石を掘り当てられる鉱脈を……」
「それで、思い出を差し出せ、ですか……」
旅人の声には落ち着きがあった。訪れる未来が見えていて、諦めているように見える。それは悲しいことのはずなのに、目の前の青年には今の表情の方がしっくり来た。
……けれど、そんなこと、今はどうでもいい。
「それって、つまり、童話を作るためにこの人の思い出を奪い取るってこと!?」
私が胸躍らせ楽しんでいた童話にもたらされた残酷な真実。こっちの方が問題だ!
方法はわからない。けれど、それが楽しい話であるわけがない。
人の思い出を奪い取って童話にする。……じゃあ、思い出を抜き取られた人はどうなる? ……想像しただけで鳥肌が立った。それはもう、人殺しと変わらない!
そして、はたと気が付いてしまった。
もしかして、私が今まで読んできた童話は……。
こみあげてきた胃の内容物をせき止めようと口を手で塞ぐ。
「お、お父様……」
娘を見る父の瞳には、小さな後悔が浮かんでいるようだった。中央に寄せられた眉が、さらに深くしわを刻む。それは同時に、今の想像が事実であると認めているようなものだった。
「リリィよ」
「聞きたくない!」
「聞きなさい」
「嫌っ! そんなこと聞きたくないっ!」
「――お前の想像は誤っておる」
「……」
「聞きなさい」
二回目の「聞きなさい」はすごく静かでゆっくりだった。耳を塞いでいた手をどけ顔を上げると、お父様だけではなく、謁見の間にいるすべての人の視線が私に集まっていた。
場を制してお父様が口を開く。
「旅人よ、おぬしも早合点するでない。儂がおぬしに要求するのは、おぬしの記憶ではない。いいか、よく聞くのだ」
一度言葉を切り、じっとヴェルトを見つめた。
「儂がおぬしに課す責務は、童話の原石の回収じゃ。この城から故郷へ帰るまでの間、ここまでの旅で世話になった者たちから、おぬしと関わった記憶を抜き取ってくるのじゃ」
「関わった者から、記憶を抜き取る……?」
「おぬしはここに来るまで、様々な土地へ行き、多くの者と出会ったことだろう。おぬしを慕う者、おぬしを貶す者、おぬしを助けた者、おぬしが助けた者……。おぬしの旅は、決して、一人で成しえたものではない」
「……」
「旅を支えた者たちがおぬしに抱いていた想い。それが、儂が求める童話の原石じゃ。愛されていたかもしれん。嫌われていたかもしれん。その想いは千差万別じゃ。あまねく感情が、童話の原料になる。……何も殺して来いと言っているわけではないぞ? おぬし以外の記憶は問題なく残る。ただ、おぬしと関わった思い出だけが、なかったことになるだけじゃ」
人生をかけて命がけの旅をしてきた人間に突き付ける選択。
お父様は、彼がこれまでに築いてきた人間関係を差し出せと言っているのだ。
童話の中でも人生の選択を迫られる主人公というものは数多く存在する。私はそんな彼らの葛藤に胸をときめかせているわけだけれど、それはハッピーエンドが約束された『お話』だからだ。目の前の青年には、そんな大逆転するような未来は約束されていない。
とことん現実が嫌になる。
「俺は……」
どうするのかな……。
彼の決断は早かった。
ゆっくりと顔を上げると、童話王であるお父様をすっと見つめ返した。
「お引き受けいたします、童話王」
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