第3話 旅人、謁見

「皆のもの、静粛に!」


 よく響く声が謁見の間に木霊した。グスタフだ。童話王の側近として仕事をするとき、グスタフは私の前よりもお堅く、引き締まった顔をしている。

「開門!」という掛け声が上がり、数人の衛兵に引っ張られて、入り口の大きな扉が開く。学者様や衛兵さんに注目されながら入って来たのは、一人の若い男だった。


 歳は二十前後。野暮ったい短髪の高身長。ごついベルトにいくつかのポーチをつけ、足には分厚いブーツ。髪と同じ色をした赤銅色の瞳が、すっと私たちに向けられる。

 男の表情は硬い。不愛想、とはちょっと違うか。単に緊張しているだけかもしれない。


「旅人よ、名を申せ」


 お父様の太い声に、旅人は一度深く礼をする。


「湖の村から参りました。ヴェルトと申します」


 胸に手を当てまた一礼。

 ふむ。粗野な見た目とは裏腹に、礼儀は一通り身に着けているようだ。

 私は自分の普段の生活を棚上げにして、そんなことを考えた。


「要件は聞き及んでおる。おぬしの故郷、湖の村を童話の国の庇護下に置いてほしいとな」

「はい。そのために、村からここまで旅をして参りました」


 思った以上に政治的な理由だった。私の考えていた童話チックな旅人とはちょっと違う。


「湖の村は農耕や染め物を生業とする小さな村です。人口も少なく、近隣の村と協力し、日々の生活を繋いでおりました。ところが最近、不穏な噂を耳にしたのです。――戦が始まる、と」


 お父様は静かに目を閉じ、旅人ヴェルトの言葉に耳を傾ける。


「ここから北にある歴史の国と、西の教典の国は、冷戦の真っただ中。童話の国を含めた三国のちょうど真ん中にある湖の村は、戦争が始まってしまえば戦場になることは必至。これまでどこの国とも一定の距離を置いて付き合い、巻き込まれないよう暮らしてきた我々ですが、流れて来る両国の噂話が、だんだん現実味を帯びてきているのです」


 青年の訴えはなおも続く。

 歴史の国も教典の国も、ここ童話の国に比べればとてもとても古い国だ。彼らの冷戦は今に始まったことではなく、お父様の前の前の王様の頃から続いているらしい。それはしばしば童話の題材にも取り上げられ、歴史の国の騎士と、教典の国の貴族の娘が恋に落ち、国を超えて駆け落ちをする『人生を象徴する壁』シリーズなんかは、私の本棚にも眠っている。


「無礼は承知の上です。――それでも、我が故郷を救っていただきたく、参上しました」

「ふうむ」


 聞き終えたお父様は、ゆっくりと目を開けた。しわの増えた掌で胸のあたりまで伸びた立派な口髭を擦り、一心に願いを託す若者を見下ろす。


「おぬし。覚悟はあるか?」

「はい。私にできることでしたら。この命に代えても付き従う所存です」


 黙り込んだお父様が永遠のような時間を作る。私の心臓の鼓動も、緊張感に引きずられて早まっていった。

 果たして、お父様はどちらに転ぶだろうか……。


「……。――うむ! 気に入った!」


 一言そう言って、にぃっと笑う。


「おぬしの願い、この童話王が叶えよう!」

「かっ! 感謝いたします!」


 ヴェルトのほっとする声とともに、私の心の平穏も同時に戻って来た。ふぅ、と小さく溜め息を吐いて、ふと、柄にもなく、童話以外のものに感情移入してしまった自分に気付く。珍しいこともあるものだ。


「湖の村は、今この時より童話の国の庇護下とする。グスタフ」

「はい、童話王」


 脇で控えていたグスタフが、声を上げた。


「歴史の国と教典の国の国王に伝令を飛ばせ。湖の国へはレベッカの隊を向かわせるのじゃ。しばらくは滞在し、警戒に当たらせよ」

「仰せのままに」


 お父様はきびきびと指示を飛ばし、グスタフはその内容を書き留める。分厚い本が徐々に黒いインクで埋まっていった。


「湖の村のヴェルトよ。この取引の代償に、童話の国はおぬしに二つの要求をする」

「はっ。なんなりと」


 改まった口調に、再び謁見の間の空気が引き締まる。



「――一つ。おぬしの思い出を、童話の国に差し出せ」

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