第2話 童話王との昼食

 世の中の王女というものが、果たしてどのような生活をしているのか、私はしばし考える。

 大きなお城に住み、多くの使用人を召し抱え、おいしいものを食べ、何不自由なく一日を過ごす。たまに民の前に立ち、ありがたいお言葉を語って歓声を浴びる。

 もしそれが、正しい王女の姿であるのなら、私は私を誇っていい。

 私は十分王女をやっている。それはもう、存分にだ。

 王女のイメージを崩さないように取り繕うし、愛想笑いも手慣れたもの。

 それはひとえに、童話を読む時間を削られないために他ならない。堕落した生活を守るためなら、私は日々努力して、お淑やかな王女を演じてやる。


「あー、めんどくさい……」

「お嬢様、本音が漏れておりますよ」


 自分の部屋から連なる長い石造りの廊下を、グスタフに連れられて歩く。ピンと背筋の伸びるグスタフとは対照的に、私の背中は猫のように丸い。丸まって童話を読み続けていたらいつの間にか癖になってしまった。民衆の前に出るときにはシャンとするけれど、気合を入れないこんな気だるい日では意識もしない。

 憂鬱な表情を隠そうともしない私に、グスタフは自慢の白い髭を撫でつけて、にこりと一つ微笑んだ。


「『あひるの王子とあやかしの森』。それほどまでにお気に召したのですね?」

「そうなの!」


 一転、快晴模様。この老齢の執事はその一言で私の機嫌が直るのを知っている。


「さすがお父様よね。これまでの三巻でネコ娘に散々感情移入させておいて、四巻目のこの話で二人を引き離すなんて! 我が父ながら憎い演出を考える」


 うんうんと頷いて、ひとたび目を瞑ればそこはお伽の世界。さっきまで読みふけっていた『あひるの王子とあやかしの森』のワンシーンが浮かんでくる。

 誰に何を言われようと、私の世界の優先順位は、一も二もなく童話なのだ。


「童話王一人の力ではありませんよ、お嬢様。あくせく働く童話制作師たちの努力があってこそ、感動が生まれるのです」

「わかってる」


 今や我が国の一大産業となり、生活の根幹を担っている童話。

 私たちの生活は、質のいい童話を他国へ売り出すことで保たれている。外交、というらしい。政治は童話王であるお父様と、頭のいい学者様が上手くやっているようなので、そこに私が口出しする必要はない。やりたくもない。

 悲しい話、楽しい話、教訓めいた話から落ちもない馬鹿話まで、その種類は多岐にわたり、その一端は、私の本棚をも彩っている。お父様曰く、童話のような娯楽がお金になるうちは、世界は平和なのだそうだ。

 その証拠に、窓から見える城下の市場は、童話を求める人で溢れかえっている。

 平和万歳。私もベッドで童話が捗る。


「『あひるの王子』シリーズは次が最終巻なんだっけ?」

「さようでございます」

「そっかぁ。楽しみが減っちゃうなー」

「大丈夫ですよ。童話の国はすぐに新しいお話を作り上げてくれます」


 料理を給仕してくれるお手伝いさんに促されて食堂に入ると、テーブルにはすでに昼食が並んでいた。ここに並ぶ美味しい料理も童話のおかげ。感謝感謝。

 グスタフがお辞儀をして食堂を出て行くのと入れ違うように、お父様が姿を現した。


 童話王、イートハヴ。私がなんちゃって王女なら、お父様は完璧王様だ。

 蓄えられた髭に、金色に輝く王冠。ふくよかに膨らんだ大きなおなかに、私と同じ緩やかに垂れた目尻。優しい威厳を備えた自慢の父。そんな父の眉が、険しく歪む。


「これ、リリィ。またこんな時間まで寝ていたのかね」

「えっ! どうしてバレてるの!?」


 お父様は大きく溜め息を吐いて、自分の頭を突いた。


「リリィの髪は今日も大荒れじゃな」


 慌てて髪を抑えても見られた事実は覆らない。苦笑するお父様を前に、私は顔が熱くなった。

 なんでこう、お手伝いさんの前で言うかな。お父様のイジワル……。

 私は恥ずかしさから逃れるために、強引に話題を変えることにした。


「あ、『あひるの王子とあやかしの森』っ! すごく面白い! これは、童話の国始まって以来の傑作だよ! これまでいっぱい童話を読んできたけれど、これほどのめり込める童話は滅多にない。ううん、初めてと言ってもいい!」

「ほう、そうか」


 お父様の目がすうっと細くなる。


「うん! あのね……」


 喜怒哀楽を感情に込めて、私の口は回る回る。羞恥心はあっという間にどこかへ行ってしまった。お父様は楽しそうに話を聞いてくれるから、ついつい調子に乗ってしまうのだ。おかげで、私の前に出された料理は、一口も手をつけていないのに熱を失いつつあった。


「それでねっ」

「リリィよ」


 お父様は持ち上げたグラスをゆっくりとテーブルに置くと、私の話を遮った。食堂に響いていた自分の声が消えると、途端に静かになる。

 ちょっと話しすぎちゃったかな。いつもより雰囲気が固いような……。


「な、なに?」

「うむ。よく聞くのじゃ。――今、一人の旅人が儂に謁見を求めて、ここ童話城に来ておる」

「……旅人?」


 私は耳慣れない言葉に顔をしかめた。

 童話の国を治める長として、お父様はたびたび旅の人を招いて話を聞いたり、逆に頼まれてお願いを聞いてあげたりしている。これも外交の一種で、童話王の務めなのだそうだ。けれど、それはあくまでお父様の仕事。私には関係ないはず。はずなんだけど……。


「故あって、その謁見、リリィにも同席してほしいのじゃ」


 私の願望とは裏腹に、嫌な予感は的中した。面倒事の匂いを感じ取って、途端に食欲が薄れていった。色あせた料理の前に、そっとナイフを戻す。

 お父様とグスタフの目を盗んで、午後もベッドで読み耽るつもりだったのに……。


「そんな顔をするでない。お前の好きな童話に関わる話じゃ。リリィももう十五。童話の国の王女であり、童話をこよなく愛しているお前にも、そろそろ伝えねばならん」

「……ん? 伝える? どういうこと?」


 お父様はなんだか引っかかる言い方をした。いつもなら童話という単語が出ただけで、私の正直な心は勝手にスキップを始めてしまうのだけど、今のお父様の言い方に好奇心を駆り立てる何かは見出せなかった。もっと重くて、複雑で、面倒くさいものが垣間見えている。

 お父様の顔に、深くしわが刻まれる。


「これはな、リリィ。お前の母、デイジーとの約束じゃ」

「……お母様?」


 それはずるい。お父様は、私がお母様の名前を出されたら無視できないことを知っている。

 私の物心つく前に、あちらの世界へ旅立ってしまったお母様。童話城の謁見の間に飾られた自分に似た肖像画は、いつも私に微笑みかける。特に目立った特産物もない小国だったこの国を、童話の国と呼ばれるまでに成長させたお父様。妃はどんな気持ちで王を支えてきたのだろうか……。それは、私にとって童話の次に興味のあることだった。


「よいか?」

「……う、うん」


 無口なお父様は多くを語らない。けれど、私の返事を聞くと、少しだけ表情を緩めた。

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