童話の国のリリィ

ますりうむ

第一章 童話の城のリリィ

第1話 童話を愛する王女様

 『あひるの王子とあやかしの森』。


 ご存じ『あひるの王子』シリーズの最新刊が発売されてからというもの、私は日がな一日童話城の自室に引きこもり、寝間着姿のままベッドに横たわってその感動を貪っていた。

 人生は童話を読むためにあると思う。それ以外のものは正直言ってどうでもいい。この感動を心の底から味わえる国に生まれ私は幸せだ。

 寝返りを打ちながらページをめくる。


 あひるの王子は、森の聖霊によって仲間のネコ娘と離れ離れになってしまう。辺りは暗くなり、木々の合間をうねる北風がびゅうびゅうと音を立てて不安を煽る。

 ネコ娘は今どこで何をしているのか。心細い思いをしていないか。王子の心は休まらない。

 枯れ木を薪代わりにして暖をとっても、一度芽生えた不安は消えない。小さく揺らめく炎を見つめ、あひるの王子は考える。ずっと一緒に旅をしてきたネコ娘のことを……。

 そのとき、森の奥から悲鳴が上がった。聞き間違いようがない。これはネコ娘の声だ。

 王子はすぐさま立ち上がる。そっと目を閉じ、聞き耳を立てた。握りしめる剣の柄に力がこもる――。


 思わず固唾を飲んだ。

 目の前には真っ暗な森。空から照らす月はなく、鬱蒼と茂る木々の枝に星たちも隠されてしまっている。どこからともなく動物の雄叫びが聞こえ、じっと見つめられているような錯覚に陥った……。

 ページをめくる手が震えている。けれどめくらずにはいられない。

 お父様に設えてもらった石造りの寝室も、天蓋付きの豪奢なベッドも、眩しい太陽の光を取り込む煌びやかな窓も、感動が詰まった特大の本棚も、今の私の眼中にはない。今の私は、薄暗い森の中で一人ネコ娘を探すあひるの王子。どこだ!? どこから声が聞こえたんだ……!?


「リリィお嬢様っ!」


 凛と鋭い声が部屋に木霊する。その声で私の意識は現実へと戻り、見慣れた自分の部屋が視界に戻ってくる。日常という名の退屈な世界。私は頬を膨らめて、声をかけてきた初老の男を睨みつける。


「もー。グスタフはいつもいいところで邪魔するんだから!」

「邪魔されたくなければ、昼餉の時間には呼ばれずとも広間へお越しくださいね、お嬢様」


 私のお世話を甲斐甲斐しく焼いてくれる執事は、ほほほと柔和な表情を浮かべながら、丁寧に一礼。ぴょこんと跳ねた白髭が軽やかに揺れる。


「それとも、昔のようにお着替えが必要ですか?」

「グスタフ……。私もう十五歳!」

「ほほ、冗談でございます」

「着替えるから出て行って!」


 ベッドに半身を起こし、グスタフを片手で下げる。私の冷めた態度にも、彼は一切嫌な顔をしない。私が生まれるよりも前からお父様、童話王の側近として仕えていたグスタフ。年の近い知り合いがいない私の、数少ない理解者だ。


「……うーむ」


 グスタフが出て行ったばかりの扉を一瞥した後、私の視線はベッドに放り投げてあった童話へと泳ぐ。『あひるの王子とあやかしの森』と金文字で題された一冊が、私に読んでほしそうにこちらを見つめていた。


「……あと、ちょっとだけ。いいよね?」


 寝間着のボタンを半端に開けたまま、夢が詰まった童話に手を伸ばしページをめくる。

 はてさて、あひるの王子はネコ娘に会えるのだろうか……。


「お嬢様っ!」


 凛とした声再び。出て行ったばかりのグスタフの目がお見通しですよ、と語っている。


「やっぱダメ?」

「駄目でございます!」


 グスタフの人懐っこい笑顔に、私はどうしても敵わないのだ。

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