狐の心配
その刀を拾ったのはまだ残暑の厳しい日の夕暮れのことだった。
立花光太郎はほの暗い路地で寂れた祠の蜘蛛の巣を払い、壊れた箇所は無いかを入念に確認していた。近頃こういった祠が壊される事件が度々起きており、光太郎の確認の目を厳しくさせた。
祠は小さいながらも清らかで力強い神気を放ち、人の通りのまばらな路地をそれでも必死に守ろうしている様だ。祠から小さな狐が顔を覗かせる、何か言いたげな瞳で光太郎を見上げまたすぐに引っ込んでいった。何か供えるものを持ってくれば良かったと少し後悔し、供えるならやはり無難に油揚げなのだろうかとしょうもない思案に暮れる。
点検を終え立ち上がった時、それが目に入った。祠とその背後の壁、その幅三寸ほどの隙間にまるで隠れるようにその刀はあった。
祠の神気に紛れ、自らの神気を抑え見つからぬように息を殺していたのだ。一体何がこの刀を、この刀霊をそうさせたのだろう。
光太郎は手を伸ばし、刀を取り出した。それは酷い有様だった。刀身は錆に覆われ茶色く変色し、鞘は中ほど大きく割れどうにかその体裁を保っている始末だ。
「酷いな。」
思わず呟きが漏れる。しまったと思ったが既に遅い。
我が身のみっともなさを恥じ入るように刀の神気は小さくなり、刀霊は一向にその姿を現さない。
「申し訳ない。侮辱するつもりは無かった。」
何ともデリカシイに欠ける事を言ったものだ。こういった所が人を遠ざけるのだろうなとぼんやり考える。
畳んだ風呂敷を懐から取り出し、哀れな刀を包む。役所にもっていけば然るべき場所へ送り手入れと修理をしてくれるはずだ。細長い包みを抱え、役所の時間を気にしつつ道を急いだ。
―――—————————
窓口の終了時間間際に役所に入った。途中町はずれの墓場に湧いた死霊を払う事に手を取られ、危うく間に合わなくなるところだった。
窓口担当の小太りの中年女性はあからさまに迷惑そうな素振りで刀を受け取った。
「こんなにぼろぼろじゃあまともに使えるようになるか分かりませんよ。」
不機嫌そうな瞳で光太郎と刀を交互に見、そう告げる。
「一応預かりますけれども。」
些か乱暴に窓口の奥の台に刀を置いた。刀の神気が少し怯えたように震える。女性の振る舞いに少し眉を顰めると、ここに必要事項を記入してください。と光太郎にこれまた乱暴に書類を突き出す。終了間際の時間に面倒な仕事を持ってきたことに腹を立てている様だ。
これ以上刀霊に八つ当たりされてはたまらないと急いで書類を埋める。書き終わった書類を渡すと大雑把に視線を滑らせ、
「契約を希望なさるんですか?!ならこちらも書いて頂くちゃならないじゃありませんか!」
更に不機嫌になった手が追加の書類を投げるように寄こす、酷い態度に辟易しつつ急いで必要な個所を潰す。良くこの態度で苦情が来ないものだと腹の中でごちる。
書き終わった書類を差し出すと不機嫌な手それを掴み雑な確認をする。ぶつぶつ言いながら脇の棚から札の張られた小さな板を取り出し、何事か書つけ刀の置いてある台に投げつける様に置いた。
「…そこに居るのは曲がりなりにも神だ。先ほどからの態度は余りに不敬ではないか。」
余りの態度に思わず苦言を呈する。
迷惑な客からの苦情は彼女の逆鱗に触れたのだろう。窓口担当は目を剥いて光太郎を睨み、本日終了の札を目の前に叩き付け背を向けた。
何を言っても通じないであろう様子に溜息をつきその場を後にする。役所の扉を出れば外は既に暗く、涼しい風が吹いていた。
―――—————————
刀を拾って三週間程で刀が研ぎ上がったとの報せが届いた。指定の窓口にて本人確認と共に受け渡す、との事だったので役所に足を運ぶべく支度をする。存外早いなと思いつつ、またあの女性と顔を合わせる事になるのかと思うと些か気分が重い。憂鬱な気分を紛らわす様に草鞋の紐をきつく結んだ。
表へ出るとまだ少し強い日差しが光太郎の顔に照り付けた。蒸し暑く重い空気が肺に吸い込まれる。
役所へ行くまでの道すがらいつも通りの巡回経路を辿る。あの小さな狐に礼を兼ねて油揚げでも買っていこうかと豆腐屋の前で足を止めたが生憎売り切れている様だった。
霊境崩壊が起きてから夕京全体はあらゆるものが足りていない。食品、薬、何より人が足りない。活気のあった大通りはかつての三分の一ほどの賑わいになり、道行く人の顔は暗い。当たり前の日常を奪われた傷は余りに深く、大きな爪痕となって人々の心と街に残った。
そしてその傷は未だに広がり続けている。日々街のそこかしこに現れる死霊、霊魔、数多の怪異。それら全てが夕京全体に蔓延する病のように街と人を蝕んでいる。
そのため各地から花守と刀霊達が集められ再び太平の世を取り戻すべく刀を振るうのだ。光太郎もそうして夕京に赴き、契約刀霊である来光丸と共に霊魔を祓ってきた。夕京に着いた初日に名前を忘れるなどの問題は生じたが概ねその職務を全うしてきたと思っていた。つい二週間前までは。
その日光太郎は己の無力さとふがいなさを嫌というほどその身に叩き込まれた。それほど会敵した霊魔は強力だった。何故自分が生きているのか、何故奴が倒れたのか。何一つ解らないまま終わった戦いは光太郎の今までの人生の中で最も後味の悪い勝利となって残った。いや勝利とすら呼べない、ただ運よく死なずに済んだに過ぎないのだろう。
漫然とした思いが光太郎の内にどす黒く渦巻き悲鳴のように叫ぶ。その声を振り払うように怪我をした身体で修練に励み職務をこなした。だがどれだけ鍛錬を積もうとも如何ともし難い壁が目の前に立ちはだかる。
光太郎の霊力は花守の並みかそれ以下しか無い。持って生まれた霊力の多可はどれほどの努力を持ってしても変えることは出来ず、霊力で斬れぬならと代わりに身体を鍛え力で全てを押し斬って来た。
ずっと前から知っていた事だった。霊力が足らず家督も継げず、それでもどうにかしてその差を埋めて来たつもりだった。だが今までの半生を、積み上げた研鑽をあざ笑う様にそれは叫ぶ。
お前は無力だと。
山より出でて @hato-karaage
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