少年と魔女の物語(仮)7

 それから、僕は少し変わることができた。

 ジェームズは、僕の一番の友達だ。彼は体を動かすのが好きみたいで、僕も一緒に外で遊ぶようになった。でも、たまに僕にお勧めの本を聞いてくる。読書に興味をもってくれたみたいだ。

 こんな優しい友達ができたのは、全部モーナのおかげだ。


 少しづつだけど、人見知りも直ってきた。自分が伝えたいことを話せるようになった。自分の思いを告げた後で、他の意見にも賛成できるようになった。

 人の目を気にしなくなった。自分を信じていいと思えるようになった。誰かを疑うことが少なくなった。

 友達が増えた。

 モーナに出会えて、ジェームズと仲良くなって、僕は幸せだ。

 そして、幸せを感じられる回数と反比例するように、僕はモーナにと会わなくなっていった。


「お兄ちゃん、大変だよ!」

 いつも強気な妹が、焦った様子で僕の部屋に飛び込んできた。

 今日は久しぶりの一人の休日だ。どれだけ友達が増えても、一人の時間を手放すことはできなかった。一人きりの時間は、僕の生活になくてはならないものになっていたのだ。

「どうしたの?」

 そんな時間に水を差した妹に、少し怒りを覚えつつも用件を聞く。


「あのね、町の町長さん? が、殺されちゃったんだって!」

 ……殺された。

 今までずっと争っていたけれど、誰かが殺されるなんてことはなかった。だって、子供の喧嘩の延長みたいな争いだったから。それに、町長は数少ない中立を保っていた人物だった。誰が、何のために殺したのだろう。

 町長には国から派遣された護衛がついていて、簡単には殺せないはずだ。

 誰が、殺した? 誰が、殺せるほどの力を持っている? もしかしたら――。


「誰が、殺したの……?」

 犯人に対する恐怖を押し込めながら、僕は聞く。

「それがね……森の魔女なんだって」


 この町で森の魔女と言ったら、該当するのは一人しかいない。

 雪原のような色の髪と、全てを見通すような翡翠色の瞳を持った、あの少女だ。

 心の隅では思っていた。この町にいる人の中で、こんなことが出来るのはモーナしかいないって。護衛のついた町長を殺す、なんて魔法みたいなことができるのは魔女だけだって。でも、信じたくなかった。だから、僕は言った。

「証拠はあるの?」

「うん。あのね、皆が見たの。森の魔女が、町長さんを殺すのを」

 皆が、見た? 

 モーナが人殺しになるところを?

「やっぱり、森の魔女が暮らしている近くで争いなんてしちゃ駄目だったのかな……」

 もう、僕の耳に妹の言葉は入らなかった。


 モーナは、モーナがそんなことをするなんて……嫌だ、僕は信じない。モーナはもっと優しくて、誰かを殺めたりしないはずなのに! 人殺しなんて言葉から世界一遠いところにいる存在なのに! モーナじゃない。きっと違う人だ。魔女なんて、世界にいくらでもいるだろう。違う魔女だ。

 そういえば、さっき妹に町長を殺した人の特徴を聞いていなかった。この町の人はモーナを見たことがないはずだから、その魔女がモーナだとは断定できないはずなんだ。……そうだ、この町でモーナと一番親しいのは僕なはずだ。


 気付いたら、駆け出していた。森の入口へ。耳元を鳴る風が痛い。それでも、足を止めようとは思わなかった。

「モーナッ!」

 大好きな少女の名前を叫ぶ。

 しばらくしないうちに、モーナは現れた。音もなく歪んだ空間から、まるでもとからそこにうたように、違和感なく現れたのだ。


「あら、来てしまったの? ……まぁ、来るような気はしていたけれど」

 普段とは違う、少し疲れたような表情。

「駄目じゃない、もう暗いのに森になんか来ちゃって。それに、私は人殺しよ?」

 歪な笑みを浮かべて、モーナは自分が人を殺したことを肯定する。

「嘘、だよね。モーナは殺人なんてしないよね」

 僕の思い出せる限りの記憶のなかでは、モーナはいつも優しく笑っていた。その思い出に縋るように、僕は言った。

「ごめんなさいね、君の期待を裏切ってしまって」

 モーナの謝罪の言葉は、僕にだけ――僕の期待にだけ向けられていた。死んでしまった町長などには一切向けられていなかった。

 モーナの瞳には少しばかりの申し訳なさと、憐みの色があった。

 恐ろしい。人をここまで憐れむことができるモーナは、他人をここまで格下に見れるモーナは恐ろしい。自覚のない同情をしてしまう人は大勢いる。でも、モーナの視線には自覚があった。彼女は、自分が人を憐れむことのできる存在だと自覚しているのだ。


 恐怖を畏怖を覚える僕の心には気付かず――いや、気付いていないふりをしているだけなのかもしれない――モーナは続ける。

「私、君が思うほどに出来た人間じゃないのよ。どうしようもない怒りが湧きあがってくるくることだってあるし、人並みに野心もあるの。……私が野心なんて言葉を使うのはお門違いかしら」

 そう言ってモーナは嗤った。それを見て、僕は思った。

 狂っている、と。

 僕でさえもそう思ってしまうほどに、モーナの笑顔は狂気に満ちていた。


 でも、そんなモーナでも僕は信じていたかった。僕を散々勇気づけてくれたモーナを、一人の少女として信じてたかったのだ。

「でも、僕は知っているよ。モーナと過ごした日々はそんなに長くないけれど、モーナは優しいって。僕は、モーナを信じたいよ」

 その言葉が僕の口から紡ぎだされた時、少しだけ、本当に少しだけ、モーナの眉が上がった。それは確かに、驚きや喜びを表すように動いたのだ。

 その少しの動作は、刹那に近い時間で行われたものであり、僕は見逃してしまった。

「それが全部演技だとしたら?」

 本意が読めない表情でモーナは言う。

「演技でも、僕は嬉しかったよ。……それに、演技なんかじゃないでしょう? 僕は、これでも人が演じる場面をよく見てきたつもりだ。モーナのそれは、決して演技なんかじゃなかった」

 半ば自分に言い聞かせるように言う。

 もし、モーナの励ましが演技だったなら、僕は何も信じられなくなるだろう。それほどまでに、モーナが僕に与えた影響は大きいのだ。

「よく人を見ているわね。それなら、今の私はどう? 演技? 演技じゃない?」

「……分からない。今のモーナは分からないよ。僕に分かるのは、モーナは誰も殺していないってことだけ」

 わざと話の焦点をずらすモーナに、僕は一番伝えたいことを言う。


「信じてくれるのは嬉しいわ。今の私も信じてくれたら、喜びが倍になるんだけど」

 不気味な笑みをその端正な顔に浮かべるモーナ。

 騙されるな、信じるな。今のモーナは、僕が愛したモーナじゃない。だけど、モーナはモーナだ。僕の大好きなモーナを取り戻すんだ。

「…………信じてくれないのね。仕方がないわ。今までの私と全然違うものね」

 そう言いながら瞼を閉じるモーナは儚げだった。でも、口元には相変わらず不気味な笑みが残っている。

「それでもいいの。でもね、勘違いしないでほしいのは、どっちの私が本物で嘘なのかってこと。どっちの私も私よ。君と友達になった私も、町長を殺した私も、れっきとした私。それだけは、間違えないでね」

 再び目を開けたモーナの瞳に、狂気の色はもうなかった。ただただ悲哀に満ちた瞳が、僕を映していた。

「さようなら、少年」

 

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