少年と魔女の物語(仮)6

 


 ふと気が付くと、僕は本を手にしていた。「アルベルト冒険譚」。――僕の大好きな本だ。本を好きになるきっかけになった本だ。

 この本に出会ってなかったら、この本の主人公みたいな冒険をすることに憧れてなかったら、僕はどこにでもいるような男の子になれたのかな。なんて馬鹿な考えが生まれる。

 大好きな本が、とても憎く思えた。

 好きで好きでたまらないのに、とっても憎い。こんな矛盾だらけの感情は、力に変わって、本を破ろうとする。

 何年も読み続けて古びているはずなのに、本はなかなか頑丈で、僕の醜い感情を受け止めていた。いっそのこと、すぐに破れてしまえば良かったのに。そうしたら、自分の馬鹿さを実感できるのに。


 中途半端な僕には、どれだけ憎くても好きな物を壊せなくて。

 ……自分を信じられるような、思い切りのよさが欲しかったな。自分のしていることは正しい、と思えるような人になりたいな。間違いにすぐ気づいてしまうような、冷静さなんて要らないな。自分をも疑える懐疑的な思考なんて欲しくなかったな。

 自分の好きなところなんて見つけられないよ! 


 感情がごっちゃになった僕は、「アルベルト冒険譚」を机に置いて、溜息を零す。

 小さく開いていた窓から風が入り込む。夜の空気を含んだ風が肌を撫でて、部屋の空気を一掃する。

「溜息なんかついて。運気が逃げちゃうわよ」

 今の僕には到底似合わないような、涼やかな声が聞こえた。

 僕は、この声の持ち主を知っている。でも、その人はここにくるはずがない。だから、モーナのはずがない。

 って分かっているのに、少し期待してしまう自分がいた。そして、それを胸に抱えたまま、僕はゆっくりと振り返る。


「モーナ……どうして?」

 期待した通りの光景がそこにあった。僕の部屋の窓に白い髪の美少女が持たれかかっている、という光景だ。でも、僕は嬉しさよりも疑念の方が強かった。

 そして、それはそのまま口に出ていたようで。

「ふふ、私が魔女だって知っているでしょ? ……なんてね」

 答えの代わりに、モーナは悪戯っ子のような笑みをくれた。肝心の答えは得られなかったけど、それで良いと思えた。「モーナは魔女だから」。こんな子供騙しみたいな、おとぎ話みたいな答えで良い。僕とモーナの関係に余分な真実は要らない。だって、僕とモーナの関係こそがおとぎ話みたいなものだから。


「この本、君の宝物なんでしょう? 粗末にしたら駄目じゃない」

 机にあった「アルベルト冒険譚」を手に取るモーナ。表紙を優しく撫でて、モーナは僕に笑顔を向ける。

「……何かまた悩んでいるみたいだけど、私に話せることなら話して頂戴。なんでも独りで抱え込んでしまうのは君の長所であり、短所でもあるんだから」

 モーナはそう言って、睫毛を伏せる。その所作が少し悲しそうで、僕は言葉に詰まる。

 ……自分の悪いところなんて、とうの昔に知っている。僕だって、直したくてたまらないのだから。

「君は優しいわ、優しすぎるの。他人をとても大事に思っている。だから、君は人を見捨てることができないでしょう?」

 なんだ、全て分かっているじゃないか。

 僕の心の内を見透かしたようなモーナの言い方に少しだけ腹が立ったが、それでも、モーナの言うことは合っていた。確かに僕は、誰かを切り捨てたりするのがあまり好きではない。

「でも、君ほどに優しい人はあまりいない。君がどれだけ尽くしても、それ相応の優しさを返せる人はなかなかいないわ。だから、他人の優しさの物足りなさを覚えた。違うかしら?」

 合っている。モーナが話したことは、全て合っている。

 他人の優しさに物足りなさを覚えた僕は、そんなことを思ってしまう自分が嫌になった。自分がとても汚い人間に思えてきて、必死にそれを隠そうとした。自分を隠していたら、ある日、自分を見失ってしまった。だから、僕は自分を見失わない為に、自分の汚さを見ない為に、人と関わることを辞めた。

 それなのに、独りじゃ嫌だ、なんて馬鹿げているよね。


「合っているよ」

 少し掠れた声で、僕は肯定の意を示した。

「そう、良かったわ。……そんな優しい君が、大切なものを壊そうとしていた、なんて心配するじゃない。無理に話せとは言わないわ。でも、尋ねるくらいは許して頂戴。ねぇ、どうしたの?」

 モーナの目は、本当に心配していた。僕がいつも見せつけられてきた、哀れみや嘲りの視線なんかとは、全然違った。

 モーナになら話せる気がした。

 ずっと趣味を馬鹿にされてきたことや、僕は誰一人として幸せに出来ないこと、もう独りじゃなくなりたいという思いだって。


「まったく、嫌な世の中ね。人の好きな物を馬鹿に出来る人がいるなんて」

 僕が一通り話した後で、モーナは大きく息を吐いた。

「君は凄いわ。そんな世の中でも自分の趣味を保っている。私にはきっと出来ないわ」

 嘘つき。モーナは誰かに左右されない強い心を持っているくせに。――とか思っても言わない。モーナが僕を慰めているって知ってるから。

 

「でも、私は嬉しいわ。私は、君の悩みを打ち明けられる人になったのだと思うと」

 モーナは微笑んだ。綺麗な笑顔だった。

 僕も嬉しい。悩み事を話せる人が出来たのが。

「でも、君自身が望めば、誰だって仲間になってくれるわよ」

「……望む?」

「ええ。望めば、誰にだって仲間ができる。仲間ができない人は、望んでいないだけ。望みを叶える為に何もしていないだけ」

 僕は、望んでいなかった? 確かに、人と関わることを望んでいなかった。でも、ジェームズと話したいと望んだら話せた。これは――偶然? それとも、必然? 

「君はもっと、欲深くていいのよ。誰かのために欲求を抑え込むとか馬鹿げているじゃない。もっと、自分を認めてもらうことに強欲になって」


「それから、君は自分のことを誰も幸せに出来ない人間だなんて言うけれど、それでいいのよ。簡単に人を幸せにしてしまったら、幸せが幸せじゃなくなっちゃうわ。幸せはもっと、尊いものであるべきなの」

 そうなのかもしれない。だけど、僕は誰かを幸せにしてみたい。


「それでも誰かを幸せにしたいのなら、現実を知りなさい。自分の周りの現状を知らないで、理想論ばかり語っていても駄目よ。そんなこと、私が赦さないわ」

 モーナの声が、剣の切っ先のように鋭くなった。全てのものを突き放すような声だった。

「現実なんて、飽きる程見てきたよ……」

 その鋭さから目を逸らして、甘ったれた声を出す。我ながら恥ずかしい奴だな、と思うが、弱いくせにプライドが高い僕はそんな言葉しか出せなかった。

「本当に? 例えば、この小説に出てくるような現実も見たの?」

 そう言って「アルベルト冒険譚」を示すモーナに、僕は今度こそ腹が立った。

「それは小説の中の話じゃないか! 現実に小説の中のようなことなんて一つもないよ!」

「そうね、所詮は小説だものね」

「そうだよ、そんなこと叶いやしない――」

「でも、現実は小説になるわ。小説も現実になるんじゃないかしら」

「……例えそうだとしても、こんな荒れた町じゃ小説のようなことは起こらないよ」

 自虐的に、諦めたように僕は呟く。何もかもが崩壊したこの町は、小説の舞台になんかなりやしない。こんな町じゃ、綺麗な物語は描けない。


「じゃあ、町を平和にするのはどうかしら。これこそ、小説のようなことだと思わない? このまま、荒れたままじゃいずれ森も伐採されそうだし丁度いいわ」

 途轍もない空理空論を吐いて、モーナは消えた。

 そう、消えたのだ。まるで元から存在していなかったかのように、そこにいた痕跡を何一つ残さず、彼女は消えたのだ。


 部屋のドアを開けると、床に食事が置いてあった。今日の夕飯のようだ。モーナと話しているうちに、時間が過ぎてしまったのだろうか。そんな時間の経過がモーナのいた証拠のように感じて、少し安心した。


 冷めたご飯に、家族の暖かさを覚えた。


 そう、これから始まることなんて、この頃の僕には全く分からなかったのだ。

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