少年と魔女の物語(仮)2

 風が吹いた。夜の寒さの混じった風だ。

 見上げる空の半分は、もう青に染まっていた。

「そろそろ帰らなきゃ」

 誰かが聞いてくれる訳でもないけど、僕は思ったことを口に出してみた。


 一際強い風が吹いた。

 木の葉が揺れた。

 雲が月を隠した。

 辺りが暗くなった。僕を照らすのは微かな星の光だけだ。


「あら? 人間?」

 鈴の音に似た声が聞こえた。

 声のするほうに首を向けると、そこには白銀の髪をした美しい少女がいた。僕に向ける瞳は綺麗な緑で、まるで萌芽のようだった。

 幼さの残る目鼻立ちから察するに、あまり僕と年齢が変わらないようだ。

 彼女の着ているどこかの貴族のようなワンピースが、光によってはどんな色にも見える白髪が、柔らかい風に揺れる。


「あ、貴方は誰ですか?」

 僕はその人の声が聴きたくて、柄にもなく自分から話しかけてしまった。

 彼女は僕を見つめると、その外見に似合わない大人びた笑みを浮かべる。

「私? 貴方たちが”森の魔女”と呼ぶ者よ」

 森の魔女。

 僕たち町人からすれば恐怖の対象でしかないのに、僕は不思議とその感情を抱いていなかった。恐怖を抱くには、彼女は美しすぎた。

 僕を突き動かしているのは、彼女の声を聴きたい、彼女を見ていたい、そんな欲だ。


「ふふ、人間に会うのは久しぶりね。貴方は何をしにこの森に来たの?」

 彼女の声色が変わった。

 軽快な鈴みたいな声から、ナイフにも似た鋭い声になった。

 僕は知っている。こんな強い声を出せるのは、守りたいものがある人だけだ。


「僕は……なんでもないです」

「なんでもない、新しい答えね。この森で私に会う人は『貴女に会いに来ました』しか言わないから飽きちゃったわ」

 僕を覗き込むように顔を近づける彼女。その川蝉色の瞳に僕が映る。


「ねぇ、少し私と喋っていかない?」


 僕は彼女に名前を聞いた。彼女は「モーナ」と名乗った。照れくさそうに、友達からこう呼ばれるの、と言ったモーナはとても可憐だった。

「森の魔女は嘘つきだ」なんてよく言われるけど、そんなことはなくて、僕らはすぐに打ち解けた。少なくとも、僕が触れ合ってきたどんな人よりも僕を認めてくれているような気がした。

 そして、モーナは馴れ馴れしくなかった。彼女の作り出す距離感が、僕には丁度良かった。

 彼女は自分の暮らす森を何よりも大切に思っていた。

 清廉で高尚で優雅で――。彼女はまるで、月のような人だった。


 大分話し込んだ僕らは、月が再び出てきた頃に別れた。確証はないけど、また会えるような気がした。

 不思議なことに、僕をここに連れてきた奴らは、僕とモーナが話している間に戻ってくることはなかった。

 まぁ、モーナと出会えたのは彼らのおかげなので今となっては感謝している。



「ただいま」

 日が暮れる前に家を出たのに、帰ってきたのは空が黒くなってからだった。

「お兄ちゃん、遅い! ビスケットは?」

 やけに強気な妹にビスケットを渡す。

「はい」

「ありがと! また頼むね」

 その言葉に、モーナと合う口実ができる、と喜んでいる僕がいた。


「遅いよ、ご飯冷めちゃったよ」

 五歳年上の姉が僕を見て言う。

 母は妹が生まれてすぐ亡くなった。父は僕ら姉弟を育てる為に深夜まで働いている。だから、夕飯は僕、姉、妹の三人だ。

「ごめん」

 姉が非難めいた視線を向けるのは、決してご飯が冷めたからという理由ではないと知っている僕は、素直に謝った。

「無事に帰ってきたから良かったけど。ほら、はやく食べて。洗っちゃうから」

「うん」


 夕飯を食べ終え、僕は自分の部屋へ向かう。僕の部屋は本で溢れている。

 男の子らしく玩具! とか、そんなことはない。逆に女の子っぽいとか言われて、からかわれたりもした。

 それでも、僕は本を読むのを止めたことはない。それぐらい本が好きだ。

 読む本は様々だ。神話、伝説などの昔話も読むし、近代の恋愛小説や冒険小説、推理小説も読む。


 読みかけの本を手に取った。挟んでいた栞を抜いて読み始める。

 本を読んでいる時間が一番幸せだ。だって、主人公になれるから。素晴らしい仲間がいるから。

 時間が早く過ぎてくれるから。


 そうやってまた、現実から逃げてる。



「お兄ちゃん! 早く起きて。ご飯だよ」

 小生意気な妹の声で目覚める。

 僕はベッドで寝ていなかった。そのことから、昨日本を読んでいる途中で寝てしまったんだな、と安易に想像できる。

 一晩中同じ姿勢だったようで、体が痛い。


「いただきます!」

 眠気の冷めない頭で、食卓に並べられた朝食を口に運ぶ。

「あっづぅぅ!」

 口に含んだスープがあまりにも熱すぎて、僕は慣れない大声を出す。

「あれ、熱かった? 来るの遅いから冷めてると思ってさっき温めたんだけど、温めない方が良かった?」

「うん……いや、温める前に温度確認してよ……。ていうか、もう自分で温められるし……」

 僕はまた、姉のドジの被害者になったようだ。ああ、口の中がヒリヒリする。

「うん、まぁ、目が覚めたみたいだし、良かったんじゃない?」

 こんな事をほざく姉のような楽観的思考が欲しかった。

 

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