2.ガラス職人の息子の少しおかしな日常について。

「起きなさい、ヴァン!」



 ガラス職人の息子であるヴァンの日常は、母親にたたき起こされることから始まる。寝起きの悪いヴァンは一人で起きる事が出来ない。

 大きな声にぴくりと反応をして、一度目を開けるが、母親の姿を認識するとその瞳はまた閉じてしまう。



 「起きなさいってば!」



 一度目を開けておきながら起きないヴァンに、ヴァンの母親は思わずヴァンの頭をたたく。そしてようやくむくりとヴァンはベッドから起き上がる。

 何処にでもいる普通の少年だ。このカインズ王国の、王国民にとってありふれた栗色の髪と瞳を持つ、まだ今年十二歳になったばかりの少年だ。



 「顔洗ってきなさい」



 母親はヴァンを一瞥すると、部屋から出ていった。寝ぼけた顔のまま、ヴァンは起き上がり、家の外にでる。顔を洗う場所は外にある。室内になどない。

 水を顔へとかける。無造作にそれを拭く。そうしていれば、一匹の蛇が近づいてきた。



『主様、フィアから報告が届きましたが故、小生届けに参りました』



 その小さな蛇は、ヴァンへと近づくとヴァンの心へと語りかける。喋る事が出来ないわけではないが、人目を気にしてそうしているらしい。



 ちなみにこの蛇、小さく擬態しているが実態は《サンダースネーク》という恐ろしい蛇である。実際の長さは四メートルにも及ぶ。名をスエンという。



『ナディア様は本日も元気に過ごしておられるようです。嫌がらせとして鼠の死骸を置かれていたようですが、流石主様の思い人であられるナディア様というべきか、それに動じる事はなかったようです。ナディア様ならば、至高の主様の伴侶として認められるのですが』

「俺は平民でナディア様と結婚できるわけないだろ」

『……それはもったいなき事でありますが、まぁ、主様がそのつもりならばこれ以上小生は何も言う事をやめましょう』



 不服そうな顔をしながらも、スエンはそう告げる。


 そんなスエンを見ながらも、ヴァンは俺は平民なのだからナディア様と釣り合うわけないだろと考える。



(俺は平民で、ナディア様は王族。その時点で俺とナディア様がともにいる未来なんてありえない。なのに、どうしてこいつらは過大評価しているんだ?)



 フィアは、《ファイアーバード》と呼ばれる召喚獣の一種である。召喚獣とは、異界から呼び出されるもの。そして、呼び出した主の事を気に入れば契約を結ぶ。対価は魔力。魔力を与えられる代わりに、召喚獣は契約者の命令を聞く。



 ちなみに魔物と召喚獣は似ているようで違う。魔物とは異界からあぶりだされた理性のない生物の事をさす。魔物はこの世界に根付き、人に害を及ぼしている。要するに理性があるのが召喚獣で、ないのが魔物だといえるだろう。

 召喚獣は呼び出した契約者が気に入らなければ、契約を結ばない。寧ろお前如きが自分を呼び出したのかと報復に出られる場合もある。そのため、本来召喚獣と契約を結ぶのは慎重に行わねばならない事である。そして召喚獣を従えているのは大体が王族・貴族である。

 ヴァンのように、平民でありながら召喚獣を数多く従えているのは色々とおかしい。そして召喚獣たちの意見は決して過大評価ではないのだが、学校にも通った事がなく何処か世間とずれた感覚を持っているヴァンはそれを自覚していない。



 そもそも召喚獣を従えるにあたっての経緯がまずおかしい。ナディアにほれた! 危険な目にあっているなら守りたい! 図書館に行こう! でも文字読めない! つぎはぎで覚えた! なんとなく読めない字もあるけど読んでみたら理解できた! 召喚獣従えられたし、魔法使えた! という感じである。



 詠唱を間違えてたりもするが魔法を発動させることができたり、なんとなくで召喚獣を呼び出して契約を結んだり(しかも魔法陣がド下手くそで間違っている場合もあるのに)と色々とヴァンはおかしい。



 しかし、ヴァンは国に仕える魔法師などではもっと強いんだろうと思ってたりする。そんなことはないけれども。



「ヴァン! いつまで顔を洗っているの!」



 家の中から怒れる母親の声が響いて、ヴァンはあわてる。



「スエン、引き続きナディア様の事を頼む」

『はい、主様』



 小声で命令を下し、家の中へと消えていくヴァンに返事を返す。



(主様は、どうして自分の事を自覚しないのか)



 そんな思考に陥りながらもスエンはにょろにょろと動き始めた。








 主の命令を遂行するために王宮のほうへと消えていくのであった。









 スエンに指示を出したヴァンは母親の作った朝食を口にすると、そのあとは父親からガラス細工の技術について学んだり、店に並べるものを作成したりする。

 ヴァンは幼いころから父親にそういう技術をつぎ込まれているため、それなりに手伝いをすることが可能であった。

 吹きガラスの技術を利用して、それらは作られていく。

 熱い工房の中で長い時間を過ごす。その熱さにも、幼いころからの日課だからもうすっかり慣れてしまっている――まぁ、ヴァンの場合さらっと身体に薄い水の幕を張る魔法を使い、熱さを感じないようにしているというのもあるのだが。


 ある程度一日のノルマを終えると、ヴァンは空を見上げてふと思った。




(ナディア様の顔を見たい)


 と。王族のお姫様の顔など、本来平民が見れるものではない。が、そこはヴァンだから、としか言いようがない。気配遮断の魔法と姿を消す魔法を同時に行使する。所謂二重詠唱というものだ。両方とも高度な魔法であるが、魔法センスが振り切れているヴァンはさらっと行使する。



 そして親に見つからないように家を抜け出す。見つかったら怒られてしまうからだ。ヴァンにとって母親の説教は苦手なものだった。なら、抜け出さなければいいという話なのだが、初恋という病気にかかっているヴァンは度々家を抜け出して初恋の王女様の姿を一目みようとこそこそと魔法を行使するのである。


 家を出て街を歩く。長時間の魔法の行使は術者の負担になるものなのだが、ヴァンは特に疲れた様子も見せない。王城へと向かう中で知り合いとすれ違うたびに焦ってしまうほどの小心者なヴァンである。小心者なら王城に忍び込もうなどと考えない! という突っ込みが飛びそうな所業であるが、生憎ヴァンのそれを知っているのは彼本人と彼に忠実な召喚獣たちだけなのである。





(……バレないように。だから、よし、魔力も遮断して、そこに居ないものとして)




 王城に近づくにつれ、ヴァンは気を引き締める。王城に忍び込んでいることがバレようものなら大変な事になるのは百も承知だ。でも、しかし、ナディアの顔が時折ヴァンは見たくなってしまう。



 まぁ、しかし、毎日のように忍び込んで現状数年間ばれていないのでばれないだろうと思った上で、注意して王城に近づく。門からは入らない。というより入れない。



 王城の周りには魔法障壁が施されいる。不審者を中に居れないためのものだ。王宮仕えの魔法師たちの技術が込められた魔法障壁。ヴァンは目に魔力を込めて、その魔法障壁を知覚する。



 魔法障壁を巡っている魔力の流れと魔法式を瞬時に理解すると、魔法障壁を展開させている魔法師たちに悟られないような場所を一旦切り取る。魔法式を切断すると魔法障壁がとけてしまったり、魔法師たちに悟られてしまうために、慎重に場所を選んでである。そしてするりと通り抜けると切り取った魔法障壁の一部を、元の状態へと戻す。



 何も異変がないことを確認するとふぅと息を吐いて、王城の中へと難なく侵入していく。

 ヴァンの思い人であるナディア・カインズは今は亡き側妃の娘である。王族の住まいは一の宮から四の宮まで広く存在しており、ナディアは三の宮に住まっている。

 誰にも悟られる事がないように細心の注意を払って、ヴァンは足を進める。

 途中で王宮に仕える人々とすれ違う度に心臓をバクバクさせる。しばらくしてナディアの住まう一角へと到着した。



『ご主人様だ』



 そこでヴァンの頭に直接的に響いてくる一つの声があった。ふと、下を見ればそこには小さなサソリが存在する。少し不気味な黒いそれも、ヴァンの召喚獣のうちの一匹であった。



 カレンという名のそのサソリの声は愛らしい事から、女だとわかることだろう。

 召喚獣と契約者は魔力という名のパスでつながっているため、ヴァンがどんなに魔力を遮断していようが互いの存在が何処にいるのか把握することが可能であるらしかった。



(騒ぐな。俺はナディア様を見に来ただけだ)



 心の中での思いを、魔力を通してカレンへと伝える。それに『承知しております。ささ、こちらにナディア様はいらっしゃいますよ』と答えがかえってくる。



 その後ろをついて行った先、中庭にナディア・カインズは居た。



 美しい中庭は、今は亡きナディアの母親の指示によって整えられていた場所であった。現在は、ナディアが管理をしている。咲き誇るのは様々な花々だが、一番目を引くのは中庭の中心部に植えられた紫の薔薇だろう。



 その薔薇の手入れをナディアはしていた。



 庭園の手入れなんて王族のすることではないのだが、ナディアは花々の手入れをするのが好きらしく時折人目のない所では手入れをしている。その後ろにはナディアに仕える侍女たちの姿も見える。



 誰もヴァンがそこに居る事には気づかない。

 ヴァンはナディアを見る。その姿を一目目にしただけで、ヴァンの鼓動が動く。自覚できるほどに高鳴る胸。

 見て居るだけで、幸せになれる。




(ナディア様は美しい。ああ、なんてきれいな人なのだろう)




 綺麗なのだ。何処までも。見た目だけではなく、その造作も全てが美しい。

 親しい侍女たちに向かって、にっこりと微笑むナディア様を見た瞬間どうしようもない気分になる。ドクンッドクンッと心臓が動く。ああ、好きなんだってそれをヴァンは実感する。


 しばらくナディアの様子を見たのち、ヴァンはその場を後にする。


 あまり長時間家をあけていれば母親が煩いからだ。そしてそのまま何食わぬ顔をして入ったのと同じ手段で、王宮から出ていく。






 戻った先で「またどこかに勝手にいって」と母親に怒られるが、何処にいったかなどいえるはずもなかった。






 その後はいつものようにガラス細工の手伝いをしたり、買い出しに向かったりと普通の平民の生活を過ごすのであった。



―――ガラス職人の息子の少しおかしな日常について

(ガラス職人の息子、毎日のように王宮に忍び込む)

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