第32話 空っぽの勇者 7

「いってぇ……」


 俺は業反射リベリオンを発動した右手を見やる。腕全体が赤く染まり、所々に裂傷がついていた。鈍器で殴られたような痛みと、刃物で刺されるような痛みが断続的に続く。


「威力はシュラムの熱線に劣っていたと言うのに、その傷つきよう…………。全く、無理やり軌道を逸らすような真似をしたからだ」


 ルインは呆れたようにため息をついた。


「その情はいずれお前にとって決定的な仇となるかもしれんぞ」

「そんときは、そん時だ。そもそも、ここで命まで取ったら、なんの意味もねぇ」


 俺がそうぼやくと、上からフラフラと風魔術を駆使しながら降りてくる者がいた。


「く、ガハ、はあ……はあ……」


 ご自慢のローブはズタズタに引き裂かれ、身体中から鮮血を垂れ流し、もはや再起不能の一歩手前までに陥っていた。

 しかし、息はあるようだ。あの嵐の直撃を避けてやったため、殺害ではなく無力化に留められている。荒業にしては上出来だろう。


 そんなことを考えながら、俺はクレイスの元へ足を進めた。


「あの時とは逆だな」


 地に這いつくばり、屈辱に顔を歪める。それは、俺があの日に浮かべた表情と酷似していた。


「なん、なんだ、てめぇは.......」


 クレイスは剣を杖替わりに使い、覚束無い足で立ち上がった。


「なんの力も持たない、平民の、クソ無能力ヴォイドが、俺の、邪魔を、するんじゃねぇよ.......!」


 クレイスは止まらぬ怨嗟を言葉にして吐き出していく。その度に痛みに顔を顰め、口の端から紅血が垂れ落ちていく。


「俺は、選ばれた人間だ。てめぇら有象無象とは、わけが違うんだよ.......!全ての人間は、俺に、奉仕するべき、なんだ!」

「.......そうかよ」


 この男が持つ意思は、汚泥に染まり、どこまでも醜悪なもの。人間の悪性を凝縮したような、救いようの無さだった。

 しかし、その全ては一貫していた。曲がりくねった信念を、出自と才能で強引に押し通していたのだ。それほどの力に恵まれていれば、他にいくらでも使いようはあっただろうに。

 しかし、憐れみはすれども、同情などはしない。奴のその強欲な意志のせいで、大勢の人間が悲しみの底に追いやられたのだ。その罪が消えることは無い。

 そして、俺の心に燃ゆる俺自身の怨嗟もまた、消すことなど出来はしない。


「こんな現実、許容するものか。俺を貶めようとする全てを、許しはしねぇぇぇぇ!!!」


 クレイスは怨毒を身に纏い、満身創痍のまま拳を振り上げた。

 交わるはずも、理解し合えるはずもなかった。この男とは、何もかもが違うのだ。別に自分の方が高尚だとか、そんなことを言いたいわけじゃない。ただ、こいつは自分の思い通りにいかないことが許せないし、俺もこいつの悪逆を許せない。

 ただ、それだけのことだ。


「俺は、この世の理不尽な運命を許せない。けど、それ以上に許せないもんがある。それはな​───」


 俺は憤怒に燃え滾るような赤い右手を、思いきり振りかぶった。


「​────俺の大切な人を、傷つけるやつだッ!!!」


 俺は溜まりに溜まったあらゆる感情を乗せ、クレイスの頬に拳をめり込ませる。そして、そのまま力一杯に振り抜いた。

 クレイスは口から血を吐きながら吹っ飛んでいき、地面に背中を打ち付けた。

 その瞬間、クレイスは白目を向き、やがて気を失っていった。


「はあ.......はあ.......はあ.......」


 あまりの疲労感に息が絶え絶えになる。右腕は業反射リベリオンの後遺症と今の一撃が相まって、もはや感覚が無くなっていた。意識が飛びかけ、足元もふらついている。

 しかし、そのまま倒れる真似はしない。最後まで立っているんだ。この短くも、途方に長かった戦いの終焉を、勝者として迎えるために。


「ルシ.......!!!」


 その声に振り返ると、リアナが瞳に涙を溜めながら走ってきた。


「リア​────」


 俺が言葉を発しようとした瞬間、彼女は俺に勢いよく飛びついてきた。


「ちょ、それ今は無理.......!」


 俺は受け止めきれず、そのまま彼女に押し倒されてしまった。


「いってて.......。お前、もうちょっと優しくだな」

「​────良かった」

「え?」


 彼女に視線を向けると、彼女は頬に涙を伝わせ、体を震わしていた。


「本当に、無事で良かった.......」


 掠れた声でそう告げる彼女を、俺は優しく抱きしめた。


「だから言っただろ、俺を信じろってな」


 リアナは、クレイスという悪性の鎖と。俺は、弱くて無力だった自分と。ようやく、決別できたのだ。

 こうして、本当の意味で彼女と再会できて、心の底から嬉しかった。俺が築いてきたものは、決して無駄ではなかった。

 死ぬ思いをしながら、死ぬほど焦がれていた夢に、手が届いたのだ。

 自然と視界がぼやけ、目頭が熱くなった。


「ルシ.......?」

「ああ、悪ぃ。嬉しくて、ついな」


 俺は歓喜と安堵に思わず泣き笑いを浮かべた。

 すると、リアナは俺の胸から一度離れる。そして、俺の頭の元へとやって来ると、ゆったりと腰を下ろした。何をするのか、と思えば、彼女は俺の頭を軽く持ち上げ、膝に乗せた。柔らかな感触とリアナの懐かしい匂いに包まれる。


「ありがとね、ルシ。私を、助けてくれて」


 彼女は柔らかく微笑みながら、瞳から溢れそうな俺の涙を指の背で優しく拭ってくれた。


「当たり前だ。その笑顔がまた見たくて、ここまで来たんだからな」

「.......バカ」


 彼女の熱涙が降ってくる。温かく、心地よい。そうだ。俺が取り戻したかったのは、これなんだ​─────。





「.......まさか、本当にクレイスを無力化させるとはね」


 バーネストは驚愕と感心の混じった声音でそう告げた。

 それに対し、アリサは一つ深く頷いた。


「ああ、あいつはやり遂げたんだ」


 楽しげに、そして嬉しそうにアリサは微笑んだ。アリサとしても、これこそが求めていた最高の結果だったのだ。その証明は、あそこで戯れている幸せそうな二人がしてくれている。


 アリサが感傷に浸っていると、背後からズルズルと何かを引きずる音と、複数の足音が響いてきた。

 そちらへ振り返ると、ケロッとしているロイスと、激しい戦闘を行ったことが垣間見えるルイナとメイがやって来ていた。そして、その手には咎人三名をそれぞれ縛り上げたロープを掴んでいた。


「アリサさん.......。オルト、ディロイ、ルロイド。咎人三名の捕縛に成功しました」

「ああ、ご苦労だったな、お前達」


 アリサはそう言って、ルイナとメイの頭を優しく撫でた。すると、二人の苦悶の表情は解けて、爽やかな笑顔を咲かせた。


「姉御ぉ〜。俺も頑張ったんすよ!」


 ロイスは褒美を貰うルイナとメイを見て羨ましがっていた。しかし、アリサは彼にピシャリと言い放つ。


「お前は大して苦労が無かっただろ。対価は分相応の成果を生み出した時でないとやれんな」

「えー!そんな〜」


 ロイスは膝から崩れ落ち、しくしくと安っぽい涙を流していた。

 そんな男を放置し、ルイナとメイがアリサに問いを投げかけた。


「あの、ルシードは……?」

「先程凄い音も鳴っていましたし、尋常じゃない魔力も感じたんです」

「もしかしてって思って、私達、気が気じゃなくて……」


 不安そうに顔を曇らせる二人。それとは対照的にアリサはフッ、と笑みをこぼすと、少し体をずらして二人の姿をしかと見えるようにした。

 そこには、ボロボロな姿で気絶しているクレイス。そして、何やら楽しげに言葉を交わしているルシードとリアナの姿があった。


「え?!まさか……!」

「ああ。ルシードはクレイスとの一騎打ちで、勝利を収めたんだ」


 アリサが報告すると、二人の笑顔がさらに深まり、ぱあっと光が宿った。


「すごいよ!本当にクレイスを倒しちゃったんだ!」

「はい!やはり、ルシードさんを信じて良かったです!」


 彼女達は自分のことのようにはしゃいで、お互いに手を取り合っていた。全く、素直でわかりやすい奴らだな、とアリサは密かに思っていた。


「…………?それより、ルシードの元へ行かないんですか?」


 ふとはしゃぐ手を止めたルイナが、純粋な疑問を放つ。それに答えたのは、困ったように微笑むアザカだった。


「私もすぐにルシードを治療しに行きたいんだけど」


 その言葉で、ルイナもメイも察した。互いに存在を確かめ合うようにふれあい、言葉を交わすあの二人の世界に、入っていける気がしない。というより、壊してしまってはいけない。

 美しく儚い、あの世界を。


「………そういうことですか」

「私達は先に帰り支度を始めていましょう」

「そうだな〜。姉御もご褒美くれる様子ないし」

「あんたはいい加減諦めなさいよ……」


 そう言いながら、アザカと人の環ファミリーの面々は騎士団と共に事後処理に向かった。


 残されたアリサとバーネストは、静かに語る。


「本当に何者なんだね、彼は」

「よくわからない、というのが本音だ。聞き出そうと思って聞ける事情でもなさそうだしな」

「………正直、不安分子の一つだよ。あれほどの力、野放しにしておくわけにはいかない」

「どこかで管理するべきだ、と?安心しろ。それについては考えてある。まあ、管理という言葉には合わないがな」

「曖昧な言い方だね。それでは少し困るよ。やはり、こちらでも手を打たねば」

「……やめておけ。あいつは理不尽な運命に抗うためにあの力を手に入れたと言っていた。鎖を付けた途端、喉元を食いちぎられるかもしれんぞ?」

「…………」


 バーネストはアリサの言葉に閉口してしまう。それはアリサの言い分に一理あると考えたからだった。

 アリサは空を仰ぎ、思索を巡らすバーネストにそっと告げる。


「そう案ずることはない。奴の覚悟は本物だ。それに、支える仲間もいる。きっと、道を違えることなどないはずだ」


 アリサは一つ息を吐くと、この一連の事件に思いを馳せ、感慨深げに微笑んだ。


「喜べ、バーネスト。私達は、歴史的瞬間に立ち会っているのやもしれないぞ?」


 ​────こうして、ベルム領における大規模な捕縛事件が幕を閉じた。

 しかし、これは全ての始まりでもある。この事件は一つの号令となり、様々な出会いや災厄を呼び覚ますこととなる。


 運命に抗う少年の旅は、これからも続いていく。






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空っぽの勇者〜幼馴染みをチャラ男勇者に奪われ、パーティーも追放されましたが最強になって帰ってきました〜 @root0

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