第31話 空っぽの勇者 6
教会からルシード達の後を追っていたアリサ、バーネスト、アザカ、リアナは、目前の出来事に言葉を無くしていた。
「あれが、ルシードの力か.......?」
「魔力の反応を見るからに、あれは紛れもない魔術だね。彼は、
「その、はずです。昔から魔術は使えないって言ってましたから」
「.......そうか、あの時シュラムを討伐したのは、この力だったんだ」
クレイスは瓦礫を自らが生み出した旋風により吹き飛ばし、ふらりと立ち上がった。
「俺を、倒すため、だと……?ハ、ハハハ。笑わせんなよ。どう足掻こうと、
その瞳は曇り、ただ憎悪にまみれていた。受け入れられないのだろう。あの時、羽虫のように蹴散らした人間が、自分を追い詰めている事実を。
「
クレイスが魔術を唱えると、俺の周囲を包むように暴風が舞い始める。退く隙もなく、天高く伸びた竜巻の渦は、瞬時に風の檻となった。
「潰れちまえよォ!!!」
その暴風は、まるで蛇が獲物を絞め殺すように徐々に狭まって来た。逃げ場はない。これに巻き込まれれば、風圧に潰されながらかまいたちで全身を切り裂かれるのがオチだろう。
───しかし、そんな未来が訪れることは無い。
「
俺が魔力を巡らせ、片手で軽くその風に触れると、迫ってきた風の障壁は逆に広まっていった。そしてその形を維持出来ず、風は周囲に風圧を与えながら霧散していった。
「なん、だと……?」
俺は驚愕しているクレイスに一気に詰め寄り、刀を構える。
そして、抜刀と共にクレイスの肩に切っ先を埋めた。生々しい筋肉の感触と鮮血の匂いが漂う。
「ぐ、が……!!」
苦悶に顔を歪めるクレイスに、俺は静かに言葉を投げた。
「俺は、あの時の俺とは違う」
「はァ……?」
「お前に一方的に奪われるだけの人間じゃねぇってことだ」
あの日の屈辱を思い出す。自分の力が及ばず、ただ彼女を見送るしかなかった、あの日を。悔しくて、悔しすぎて、血反吐を吐く思いだった。
けれど、また立ち上がれたのは、身近な人の支え。そして、リアナが俺より遥かに苦しんでいることを、わかっていたからだ。それは、別れ際の彼女の涙が物語っていた。
何の力もなかった俺はもういない。俺は、全てを取り返すんだ。大切な人も、己の居場所も、プライドも、全てを─────。
「────何を、勝ち誇ってんだァ?」
刹那、クレイスは今までの比ではない程の暴風を現出した。それに飲み込まれる前に、俺はすぐに身を退く。
「てめぇの事情も、想いも、んなもん知ったこっちゃねぇんだよ。あの女が欲しかった。あの女を抱きたかった。だから奪った、そんだけだ!力あるものがあらゆるものを手に入れる。人の世も弱肉強食だ。てめぇらは黙って力ある俺の言う通りにしてりゃいいんだよ!」
「お前……!」
クレイスの本性がさらにさらけ出されていく。その中に見える男の人間性に、吐き気を催した。
「俺は貴族だ、
クレイスは辺りの暴風を引き連れたまま、遥か上空へと飛び立った。
「俺を裏切る女も、俺より上のランカーも、俺を犯罪者に仕立て上げる騎士団も、俺に歯向かうクソ
クレイスは剣を天へと掲げ、尋常ではない魔力を放つ。すると、それを中心にして巨大な風が形成されていく。
太陽の光をもさえぎり、己が栄光を讃えるような金色の風が辺りを照らす。全てを取り込むようにその風は廻転し、さらに肥大化していく。膨れ上がり、視界に収まらない規模となったその暴風は、もはや嵐そのものだった。
あまりの風量と風圧に、街全体が地震が起きたかのように震動していた。嵐の近くの建築物や、壊れかけの家屋などは容易く吹き飛ばされ、空中を舞い始める。少し離れた位置にいた騎士団の人達は目なんてとても開けられず、立っているのがやっとの状態のようだ。異常な規模の空間変化。そこにあるだけで災いをもたらすその様は、天災のそれに近かった。
俺は無理やり目をこじ開け、クレイスの姿をしかと視界に捉えていた。
「これほどとはな……。風凪のクレイス。実力だけは異名に恥じないものだ」
ルインは冷静に言葉を紡ぐ。
「ランク
ルインは楽しげに微笑んだ。
「その運命を変え、本当の意味で奪われたものを取り戻す勇者───。現れると思うか、ルシード?」
俺は思わず笑みを零しながら、その嵐の元へ足を進めた。
「現れねぇだろうな。なぜなら、少なくとも俺は勇者じゃねぇからだ。今はただの復讐鬼。つまり、鬼だ。血も涙も無くし、ただ害を潰そうとする身勝手な野郎だ」
「ふむ……。お前が自分をどう評しようと勝手だが、鬼にしては些か人間味に溢れ過ぎている気がするな。特に、その笑みとかな」
「鬼だって笑うだろ?」
「込められた意味合いが違う。鬼ならば愉悦に浸って残虐に笑うだろう。しかし、お前のそれは自分の強さを誇るのと同時に、みなを安心させようとしている。そんな心、鬼が持つものか。貴様は修羅でもなんでもない。ただ、理不尽に抗おうとする一人の人間だと、私は思うがな」
「…………そうかい」
俺は全身の血と魔力が滾るのを感じる。シュラムの時と同じだ。恐怖も不安もあるってのに、負ける気がしねぇ。
「なら、人間らしく抗ってみるよ。あの時出来なかった、抗いを─────」
「アリサ、早急に止めるんだ……!出なければ、取り返しがつかないことになる」
バーネストは焦燥を顕にしていた。当然だ、あれが打たれれば騎士団も
私だって、それは感じ取っている。あれこそ、クレイスの正真正銘、最大の一撃。止められるものなど、私くらいしかいない……。いや、あそこまで膨れ上がってしまうと、私でさえ相殺できるかわかったものでは無い。
だと言うのに、そんな嵐の方へと真正面に向かう者がいた。
「ルシード?!」
「ルシ、にげて……!」
男は迷いなく、この暴風の中を一歩、また一歩と進んでいく。
その背中はもはや
「アリサ……!」
「……ああ、一応準備はしておくさ。けど、おそらく私の出る幕などありはしない。あれは、覚悟の決まった男の目だ──────」
「死に晒せェ!!!」
クレイスは剣を一気に振り下ろした。すると、空中に収束していた嵐は、大気を震わしながら街へと落下していった。
「
天覆う風の災厄は、全てを飲み込まんとしながら街へと迫り来る。圧倒的な魔力により創成された魔術。桁違いの規模の破壊をもたらすそれは、金色でどこまでも美しく、苛烈だった。
そんな一種の災いに挑むものが、一人。
「させねぇ……よっ!」
言い切るのと同時に、足のバネを最大限に伸縮し、並外れた脚力で飛び上がった。相対するは、かの災禍の嵐。万物を破壊せしめる魔術だった。
少年は、それとたった一人で対峙した。異常な光景。見まごうような現実が、そこにある。しかし、さらに少年は、そこから空前の偉業を為そうとしていた。
「行くぞ─────
少年の手と接触した瞬間、辺りの時空は歪み、激烈な魔力の衝突が凄まじい電撃を生む。
「う、あああああああ!!!」
少年は力づくで手を180度回転させ、そのまま放り投げるように腕を真上へと振り切った。すると、あれほどの規模を誇った嵐が、あるべき場所へ帰るように、上空へと打ち上げられた。
「て、めぇ、クソがあああああああ!!!」
貴族の男の悲鳴が、風の轟音と混じり合う。そのまま遥か高みへと登りつめていく嵐だったが、やがてその形が保てなくなり、空の彼方で一気に爆散した。
叩きつけるような風圧に地上は見舞われ、人々は必死に身を屈める。
その豪風が収まってくると、街に残った人間達はゆっくりと顔を上げた。すると、空にあったものは、恐怖に染まった金色ではなく、どこまでも青い空と、柔らかく微笑む太陽だけだった─────。
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