私は元々考え事が好きで、小学生の頃から友人と交換日記などを通して文章を交換する習慣がありました。そういった影響もあって、今も詩歌の同人誌に所属していますが、小説については公募で最終選考で落選の壁を乗り越えられない状態が続き、以前もお伝えしたようにいろいろ立て込んだこともあって、断筆せざる得ない状況にまで追い詰められて、小説については諦めようと思ったこともありましたが、親友の励ましもあって、諦めずに断筆を脱する方法を探していた時にWeb小説の世界を知りました。
でも、そうですね、藤光さんもそれとなくお伝えくださっていますが、異世界ファンタジー主流の「カクヨム」で私の小説が読んでもらえるかどうか、当時の私は率直なところ自信がなかったです。でも丁度その頃、いろいろあってカクヨムに登録するきっかけを得て、折々で相談にも乗ってもらったりして、この執筆環境にも慣れてきたところです。
藤光さんの作品には私なりの「カクヨム」空間の読書巡回の中で巡り合いましたが、思考や記憶に働きかける面があるので、これからも応援してます!
なお、コメントについては自分の考えが纏まらないとできないし、時間的余裕も影響しますが、こちらの「創作劇場 私と本の日々」ではたくさんコメントさせていただき、感謝しています。
作者からの返信
こちらこそ感謝しています。ありがとうございます。
>思考や記憶に働きかける面がある
そうですか? そうであればうれしいです。
このエッセイは、繰り言めいたことを、忘れてしまわないように書き付けている――という面があって、だれかに読んでもらうのに値するものがどうか、怪しいなあと思いつつ書いています。それを応援していただけるとあれば、がんばらざるを得ません(笑)
中澤さんの作品は、正直なところカクヨム 向きとはいえないところがあると思います。しかし、それでも執筆姿勢をぶらすことなく書きつづけておられると、感心しながら読ませていただいています。少しずつとはなりますが、読み進めます。執筆、がんばってください。
今日はコメントありがとうございました。
編集済
今回はPVの話なので蛇足だとは思うのですが、ちょいと学者の子供として言わせてください。
天才が世界を動かすわけじゃないんですよ。
「天才の言うこと」を信用し、理解出来る凡人がいっぱいいないとダメなんです。
つまり、教育の本質とは、「いかに教育が大切なのか、教育されないとわからない」ところにあります。
これが理解出来ない人間ばっかりになってごらんなさい、天才は世では「奇人・変人・変態」か、おっさんおばさんになった「オオカミ少年」です。そうなると学者は食っていけません。ボンカレー、じゃなかった、ポアンカレ予想とかまさにそれです。
天才がたどり着いた答えを、皆が共有するから力になる。大学とはそのような機関、相互理解の場所です。三流大学だろうがエリート大学だろうが、勉強することが既に世の中の力になっていると思います。
あと学者が美味しいカレーが食べれます。大体学者なんて社会生活が出来ないから意地でも学者やってんですよ。社会生活出来るならそっちやっときなさいって絶対言いますよ学者は。
(※私を育ててくれた父に感謝!♡)
作者からの返信
わたしの考える大学の「あるべき姿」というは、ロンズさんの書かれているとおりで間違いありません。なるほど、そのとおりだと思いますし、思い当たることもあります。
ただ、じっさいの大学生が「どうなっているのか」については、残念ながらロンズさんの思うようには、行動してもらっていないのではないかと感じます。
あと、わたし学者さんのような生き方がしたかったですが、人生はなりたいものになれるのではなく、求められるものになるようできているらしいのです。ちぇっ。