95カオス とにかく読んでもらいたいという人へ
とにかく、読んでもらいたいのです。PVを数えるのも、⭐︎に喜ぶのも「読んでもらえた。私の書いたものは、読むに値するものだったのだ」と思えるからこそ、うれしかったり、楽しかったりするのです。
私は、PVの多寡や⭐︎の数が、その小説のおもしろさを保証するものではないことをよくよく知っています。(みなさんもよく知っているはずだ)たくさん⭐︎がついていることに釣られて読んでみたが、つまらなくて時間の無駄だった――という経験はカクヨム 読者なら何度も経験しているはず。
だったらなぜ、私たちはPVや⭐︎を求めるのか。⭐︎がつくイコールあなたの作品を褒めているわけではないのに。
自分のことを認めてもらいたいからじゃないか? たとえば、あなたが学生だとして、登校しても一日、だれとも会話しないなんてことがあればどうだろう。授業中、先生から指されない。休み時間、だれとも会話しない。昼休み、たったひとりで食事。放課後、部活に参加するも話し相手はゼロ。楽しくなさそうだ……。
実際、まったく楽しくありません。
大学に通っていた頃の私がまさにこういう感じだったのでよくわかります。
大学に通うのは勉強するためですから、だれと会話しなくても、勉強するという本質とはなんの問題もないはずで、気にする必要はないものです。でも、三流大学で勉強したからといって、高級官僚になれるわけでなし、学者になれるわけでもない。三流大学に通っている時点で、勉強するというのは大学に通う本質ではなかったんですね〜。
一部の有名大学を除いて、一般的な学生が大学でやるべきことは、勉強というよりはむしろ、人生に対する不安や葛藤を、友達の間で共有する(明示的にであっていいし、なんとなく空気として感じ合うというのでもいいでしょう)ことにあるのではないかと、大人になってから考えるとそう思います。
あるひとつの事実なり、考え方を複数人の間で共有する、共感するという体験は、理屈を超えた満足感を、その人たちに与えるものだと感じます。
そして、それが私にはないんだ――と寂しく思い返されます。
PVや⭐︎を欲しがる心理って、そうした寂しさからくるんじゃないでしょうかね。作者が考えたこと(小説であったり、エッセイであったり)を共有してもらえない寂しさです。それは作品の良し悪しとはまったく別の評価として、あるがままを認めてもらいたいという一種根源的な欲求でしょ。
どうせ書くなら、良い小説をというのは確かに小説を書くということの本質ですが、カクヨム というのはそうした本質を追求する場としてふさわしいのか、そもそもそういうトコロじゃないんじゃないか?
PVが上がらないというのは、カクヨム が求めるものとあなたの作品の大いなるミスマッチを示しているだけではないか。
半年くらい、あれこれ試行錯誤してPVが上がらないのであれば、それは作品の内容やその投稿姿勢がカクヨム の求めるものとはマッチしていないからです。
求められていないものを提供したところで共感してもうことはできません。カクヨムは評価の場ではなくて相互に共感する場ですから、自分の小説の質を上げたいとか、自分の小説の巧拙を評価してもらいたいとか、「邪念」を抱いている人がやってきていいトコロではないのです。
私も「PVが上がらない」とか、よく書きますが、ネタですから(笑)。私は、私のように、確信犯的にPVが上がらなそうな作品をカクヨム にアップしている人に勝手に共感を抱いています。そうした作品が更新されることを心待ちにしています。そして、私のような変わった志向を持った人は必ずどこかに……いや、どこにでもいます。PVが届かないだけで、あなたの作品に共感し、求めている人が必ずいるということを忘れないでください。
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