75カオス わたしたちは「モブ」である

 いつもこのエッセイを読んでくれている人たちには白状するまでもないと思いますが、私はカクヨム にアップされている小説をほとんど読んでいない。


「カク」のが主で(それも滞りがち)、「ヨム」ことは従、というかほとんどないわけ。


 理由は、私が読みたいなと感じる小説がないから……。ではなくて、自分の読みたい小説をカクヨム のなかからなんでしょうねえ。


 どうにかして


 ◯ 川上弘美風のSF

 ◯ 宮部みゆき風の時代小説


なんかをカクヨム で書いてる人を見つけたいのですが、これって無理な注文なんですかね?


 さて、「ヨム」がないと書きましたが、どうしても気になったタイトルがあったので、このエッセイではじめてカクヨム 作品について書いてみます。


 せりざわユウ『モブの方の桶川君。〜じつはスゴいんです〜』


 https://kakuyomu.jp/works/1177354054893337449/episodes/1177354054893337729


 内容はラブコメです。ラブコメを読むと身体がくすぐったくなるので長時間読めないのですが(笑)、ツボを押さえたおもしろい小説です。


 が、私がもっと惹かれるのが、この作品のタイトルです。


【モブ】 語源は英単語の“mob(モブ=大衆、群衆、群れ、やじ馬などの意味)”であり、映画界では、人が沢山いるシーンを“モブシーン”、群衆状態になったキャラを“モブキャラクター”と呼ぶ。


 なんかすごくハマるんです。私がもっているWeb小説のイメージに。


 ぼく(主人公)はそもそもモブキャラである――っていうメンタリティが、カクヨムでよく読まれている小説には、通底していないですかね? 異世界モノや学園モノでも。


 モブキャラっていうのは、あれですよ。マンガでいうと、漫画家さんが自分で書き込むメインキャラと違って、メインキャラを引き立てるために、アシスタントが書き込むその他大勢のキャラクターたち。いや、キャラクター(人格)を持たない背景としての人間たち。


『桶川君』は、実はモブなキャラクターじゃありませんが、タイトルは「モブ」という言葉をに使っています。読み手はこれに惹きつけられる。この点に関して作者さんは確信犯です。


 小説というのものは、現実の世界では何者でもない私たち読者が、いっときのあいだ小説の世界ではヒーローやヒロインになり変わることができる。そういうものだと思ってきましたが……。


 Web小説の読者にとっては、小説のなかですら「ぼくはモブである」というメンタリティから離れられないのでしょうか。それこそが彼ら(私たち?)にリアリティを感じさせるのでしょうか。


 現実でスマホを介して、カクヨム やSNSなどのネットメディアと自分が繋がってみると、そこにあふれる情報量に埋没していく自分(の情報)という現実を突きつけられ、自分自身が日本人(もっというと人類)という膨大なリソースの一部に過ぎないと強烈に感じさせられますから、物心ついた時からネットメディアに触れてきた人たちにとって「ぼくはモブである」というのはむしろ自然なのかなと考えてみたりして、とても興味深いですね。


 ちなみに私は、自身がモブであるとは認めがたいです。客観的にはモブかもしれないですけど……(笑)

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