59カオス これだ!と感じる表現に出会う
ごぶさたしてます。
先月でしたか「ソシャゲをスマホから削除した」というようなことをここに書きましたが、あれから生活のリズムが少し変わってしまいました。
これまでは通勤時間も家にいるときも、空き時間はスマホをいじっていることが多かったのですが、ゲームを削除して以来、とにかく本(小説)を読むようになったのです。
読み始めるとやはり本はおもしろくて、ずっと読んでしまいます。とにかく文章に厚みがあります。スマホを通して読む文章は、SNSはもちろん、ニュースにしろ、ブログにしろ薄いものが多いので、本のなかに蓄えられている厚みのある文章にはスマホにない魅力がありますね。
いまも本を読んでいます。
安部公房『方舟さくら丸』(新潮文庫)
安部公房は、昨年『砂の女』を読んでイマイチだなと感じたので、もう読むことはないと思っていたのですが……例によってNHK Eテレの「100分deナショナリズム 」をYouTubeで見ていると、漫画家のヤマザキマリさんが番組の中でこの『方舟さくら丸』を取り上げたんです。これがかなり魅力的に感じられて、また安部公房を買ってしまったわけです。ヤマザキマリさんてただの漫画家じゃない、謎の人だ……。
そんなきっかけで読み始めた『方舟さくら丸』ですが、かなり読みやすい。『砂の女』も読みにくい訳ではなかったのですが、さらに読みやすい。
それだけでなく『方舟さくら』の場合は、その文章――文体に、私はがつんときました。
――これだ、と。
唐突にすみません。なにが「これだ」だ? ですよね。実は、Web作家としての私は、一年ほど前から文体に悩んでまして……一人称で書くときの文体に、ですけど。
私も一人称で書くことがあるのですが「三人称一元視点と変わりない」という指摘を受けたことがあって、結構凹んだのでした。それでも気にしないことにして、書いてはいたのですが、いつも心のどこかにひっかかっていたのです。書いても書いてもしっくりこなくて、執筆のペースも上がらない――という悪循環。書けるのはこのエッセイばかりというのが、昨年の後半のことでした。
それが『さくら丸』の一人称を読んで、「これだ。これがおれの書きたい一人称だ!」と分かったのです。一人称といっても、一人称で書かれた小説はたくさんありますし、なんで『さくら丸』限定なのかと聞かれても私自身うまく答えられる自信がありません。
主人公の内面の吐き出し方や、キャラクター同士の掛け合いが私の描きたいことにしっくりくる――とでもいうしかありません。
――そうそう。この表現だ! おれもこういう表現をしてみたい。
カクヨム で小説を書きはじめた若い人なら、「あの作品に感動して小説を書き始めた」とか「あの作家さんに憧れて書き始めた」という経験があると思うのですが、少しそれと似ています。
『さくら丸』の一人称は自由なんですよ。文体そのものは極めて作為的で緻密に書かれたものですが、描かれているキャラクターはとても自由で伸び伸びしているようにみえる。窮屈な小説世界に身体を縮こめている私のキャラクターとは全然別の存在で、彼らはキャラクターというより人間です。私はキャラクターを描こうと四苦八苦してきたのですが、安部公房は人間を描こうとしているのです。
いままでにないインスピレーションを得て書き始めたのが、拙作『戻らない時間と失われた物語』の第11話です(宣伝です。スミマセン)。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054892799919/episodes/1177354054894553419
連載ものですから、話の筋は変えていませんし、新しいキャラが出てくる訳ではありませんが、文体を変えました。主人公が吐き出すものが増えてます(笑)私はこれまでより自由に書いています。この小説は書いていてとても苦しいのですが、11話はとても楽しく書けました。
Web作家なので、もちろんカク(output)のは大切なのですがヨム(input)方もしっかり読んだ方がいいなと再認識させられました。みなさん、リアルでもWebでも構わないのでインプットもしっかりしておきましょう。
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