第11話 刑事たちと合流したぼくは、おじいさんの家へ向かう

 結局、ぼくは母のいうとおり、おじいさんの家を訪ねることになったのだけれど、それは何日か部屋に閉じこもったあとのこととなった。なぜって、ぼくはなにもかも腹がたって仕方がなかったから。なににって、だからなにもかも――だ。


 一日中、カーテンを閉め切った六畳間の敷きはなした布団の上でコントローラーを手にモニターばかりみていた。なにもかも忘れてゲームに没頭していたかった。昼でもうす暗い部屋は見たくないものをぼくの前から消してみせてくれる。青白い液晶モニターの光が、染みの浮いた布団や煤ぼけた壁にぼくという幽霊の影をちらちらゆらゆらと映していた。


 仕事? 知るもんか。どうせ外国人のアルバイトでも務まる程度の仕事だ。無断欠勤が続けているから、今ごろはそいつがアルバイトから昇格して、ぼくの代わりに清掃作業の現場監督をしているかもしれない。その程度のことだ。ぼくでなければならないことなんてなにもない。ぼくの代わりなんてごまんといる。そもそもぼくだって、だれかの代わりにあの仕事を任されていたにすぎないのじゃないか? そんなぼくがぼくの仕事に責任を感じる必要がどこにある。


 その点、ゲームはとても心地よい。ゲーム機を起動させれば「ようこそ」とモニターがほほえむ。きわめてウエルカムな態度でぼくは癒される。無断欠勤を続けているのに連絡ひとつ寄越さない人材派遣会社と比べようもないゲーム機の対応に、ぼくは大切な時間やお金まで差し出してもいいと思える。これっておかしいことだろうか。


 あの日から数日、朝から晩までモニターのなかで戦っている間、ぼくは現実の世界でも戦わざるを得なかった。ぼくが腹をたてていたように、ぼくの母もまた同じように腹をたてていたからだ。


 ぼくが、母のいうことに逆らって、おじいさんの家に叔父さんのお金を探しに行かないのが、そんなに許せないことなのだろうか。あれから母とは口をきいていない。姿も見せない。母の寝室である四畳半の間との境のふすまを開けても、そこには擦り切れた畳表が見えるだけ。いつもはそこに用意してくれている朝昼晩の食事が出てこない。仕方がないので、母の留守を見計らって台所へ忍び込み、冷蔵庫のなかを物色しては空腹を満すことになるのだけれど、わずかばかりの魚肉ソーセージやかまぼこ、プロセスチーズを盗み食いするだけでは腹が減ってたまらない。三日目にはさすがにこれは続けられないなと考えはじめていた。


 携帯電話が鳴ったのはそんなときだった。派遣会社からの連絡かと思ったけれど、しわくちゃとなった敷布団の上で震えだしたスマートフォンの画面に表示された電話番号に心当たりはなかった。午前十時十一分。いつのまにか朝になっていたのだ。


「もしもし――」


 電話は徳山刑事からだった。






「呼び出したりして、すみませんでした」


 バスから降りると、まず徳山刑事が話しかけてきた。あの日、警察署で別れたときは不機嫌で無愛想だった刑事は、打って変わって愛想がよかった。でもぼくは、そのときどきで態度が豹変する人を前にすると身構えてしまう。こういう人は、いま上機嫌であっても、いつなにかの拍子に機嫌が悪くなって冷たい態度をとられるか、わかったものではないからだ。それに彼は刑事だ、用心するに越したことはない。


「どうも――」

「いやあ、きみ。今日も暑いね」


 西野医師は、ハンカチを手にしきりと額の汗を拭いている。そういわれれば今日も暑い。丘のてっぺんにあるこの場所は空が広い。街は真っ青な空と白い入道雲、ギラつく太陽と溶けかけたアスファルトからできている。


「どうも、先生」


 歩道の上は照り返しが強い。沸騰した空気の中を歩かされているようで暑くてたまらない。


「暑くてたまらん。すまないが叔父さんの家に避難させてもらおう」


 ぼくが連絡をもらったのは徳山刑事からだった。この場に西野医師までやってくるとは意外だった。でも、徳山とふたりきりは気づまりだと道道考えてきたので、不審に感じるよりは、むしろほっと安心した。


「鍵はもってきましたか」

「はい」


 作業着のポケットの上から家の鍵を確かめる。しっとりと冷たい感触、あの日の冷たい遺体安置室の空気をそのまま閉じ込めた温度だった。徳山刑事がぼくたちの先に立って歩き始め、作業着姿の尻が揺れる。そうぼくも徳山も作業着姿だ。


 ――汚れてもいい服装で来てください。


 今朝の電話で徳山が言っていたのだ。そうでなければこの真夏に長袖の作業着など着てくるものか。ま、清掃作業の現場監督をやっていたぼくにとっては、いつものユニホームみたいなものだが……。その仕事ももうクビだろうけど。


 西野医師といえば、着丈の長い白衣だ。医者らしいといえば医者らしい服装だが、この炎天下に長袖長ズボンは自殺行為ではないかとも思う。高齢者は自身の脱水症状には気づきにくいともきく。


 丘の上の停留所にはぼくたちのほかに人影はなく、アスファルトとコンクリートの街角が太陽にあぶられるばかりだった。だれかが見ていたなら、奇妙な取り合わせに見えたことだろう。真夏の炎天下に汗だくの三人組が道を歩く。長袖の作業着姿がふたり、医者とみえる白衣がひとりとぼとぼと焼けた歩道をゆく。


 なぜ、こんなことになったのだろう。


 徳山刑事にはたずねなかったので、彼の理由はわからない。もしからしたら叔父の死に不審なところが見つかったのかもしれない、ことによれば殺人かも……。西野医師ののんきそうな表情からそれはないかと思いなおす。だったら、どうして――。ぼくは徳山から距離をとって歩きながら、考え続けた。


 おじいさんの家は停留所のすぐそばにある。事実はその逆で、停留所の方がおじいさんの家のすぐそばに設けられた。行政に働きかけて、バスの巡回路から街の区画割までおじいさんの思い通りに設計してもらったらしい。この小さな街に限ったことではあったけれど、おじいさんにはそれだけの財力と権力があったのだ。


 家は港を抱え込むように広がっている街を見下ろす丘の上に、広大な芝生の庭に取り囲まれた鉄筋コンクリートの三階建てで、天にそびえ立つようなその黒灰色の建物は『塔』を連想させた。いまもぼくたちはその『塔』を見上げながら、敷地に沿って連なる生垣を玄関の方へ向かっていた。


「大きなおうちだね。叔父さんは診させてもらったけど、おうちには来ていなかったので、圧倒されるなあ」


 西野医師がハンカチで汗をおさえながら、『塔』を振り仰ぐ。ちょうど逆光で建物は真っ黒な怪物のようにみえる。


「はあ」

「地域の名士だったのかな」

「そうですね……おじいさんはそうかもしれません」

「そうかね」


 そうじゃなくて、叔父は――『塔』の主人は魔法使いじゃないのかと思ったりしたけれど、なにもいわずにいた。どうせ西野医師には通じないだろうし。


 家の正面に回ると門が開け放たれていて、庭には雑草が伸び放題に茂っているのが見てとれた。玄関まで続く敷石が草の海に浮かぶ島のようだ。


「立派なおうちなのにねえ」


 ぼくの気持ちを代弁するかのように西野医師が荒れ果てた庭を見渡してため息をついた。


 そんな庭を横切って玄関のポーチへたどり着く。長い間掃除されていない庇は水垢で黒く汚れていたが、影に入ると暑さが和らいでほっとした。


「鍵をお願いします」


 徳山刑事に促されるまでもない。ぼくはポケットから鍵を取り出して玄関扉に近づいた。


 扉は『塔』の入り口にふさわしい高級木の無垢材で幅が1.5メートル、高さは2.5メートルを超える大きなものだ。手入れする人がいないためか、ところどころにひび割れが目立ち、退色も激しい。取手の下に鍵穴を見つけると、銀色の鍵をそっと挿し込む。回すと十分な手応えがあり


 ――ガチャリ


 重々しい音がポーチに響いた。見ると徳山刑事も西野医師もぼくの手元に注目している。


「開けます」


 無言のまま、ふたりがうなずくのを目の端に止めながら取手を引いた。建て付けが悪くなっているのだろう、ぎぎっ、ぎぎっと耳障りな声をあげながら扉はゆっくりと開いた。


 どうっ。


 土ぼこりの混じった風がぼくたちの間を吹き抜けた。熱風だ。思わず目をすがめる。強い風が止むと、ぼくたちの前に真っ暗な迷宮ダンジョンが口を開けていた。死んだ叔父の元へと続く迷宮だ。

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