49カオス 書きすぎると小説はダメになる

 図書館で本を借りました。


 あまり読む時間が取れないので、最近は小説を借りてくることはありません。借りるのは、息子のための絵本と、仕事の参考にするための写真の本、見てると楽しい美術関連の本がほとんどです。


 今日借りた本は、細川貂々さんの『またまたどーすんの?私』


 貂々さんはエッセイ漫画で人気がある漫画家さんです。『ツレがうつになりまして』は大ヒットしたのでご存知の方も多いと思います。実は私、彼女のエッセイ漫画が大好きなんです。息子が小さいころは、彼女の育児エッセイを読んで癒されたり、参考にさせてもらったりしていました。


『またまたどーすんの?私』はやはりエッセイ漫画で、貂々さんが専門学校に通っていたころのお話です。


 ここは、授業料がものすごく安くて、通うのは週に3日、入学試験なし、という「ホントに専門学校なの?」という学校なのですが、さすが美術系の学校……といったらいいのか、とても個性的です。詳しくは書きませんが、私もこんな学校に通いたかったなあ。


 https://kakuyomu.jp/works/1177354054891350126/episodes/1177354054891927651


「東京藝大」の回でも書きましたが、ってある意味簡単なことが、年齢を重ねると難しくなってくるんですよね。


 芸術って、それで食っていくことはほぼ無理なので、かえって芸術できるときには自分のやりたいように自由にやるっていうのが流儀なんでしょうか。とても憧れます。


 エッセイのなかで、貂々さんが通っていた学校の校長先生が、学校の生徒たちに話すセリフが印象的です。


「あのね

 真っ白い紙が

 いちばんキレイなの

 いくら色をぬっても

 引き算でしかないの


 引き算して

 どれだけキレイな

 画面が残せるか

 それが絵」


 おおっ。なんか深いものの見方。真っ白な紙に色を置いていくんだけど、置きすぎではダメってこと。


 真っ白な画面は、絵じゃないから色を置かないといけないけれど、置きすぎるとそこからは画面を汚しているのと変わりないってこと。


 きっと、とても印象に残った言葉なんでしょう。いい言葉だ。




 私は、文章にもそういうことがあると感じてて――、書きすぎるとダメなんですよね。読み手の想像力に手を突っ込んでしまうことになっちゃうから。


 そしてそれは、文字の量とは基本的に関係ないんだ。きっと。文字の量が少なくても、想像力を台なしにしてしまう文章もあれば、書き連ねるほど想像力をかきたてる文章もある。


 もちろん、私が書けるようになりたいのは後者。


 でも、そのさじ加減は「天性のもの」なんですよ。エッセイの中で貂々さんもそうした感性をもった同窓生たちのことを「天才」とか「才能」とかいう言葉で表現していますが、ホントにそう。その人に備わった個性のようなものなんだろうと思います。


 書き手がやりたいことをやっている――。

 それがそのまま読み手の驚きや、感動、共感につながる物語となっている。こういうのが「小説を書く才能」だと。


 私にもそんな才能があればなあ。


 いやいや。

 嘆いてないで書かないと、才能のあるなしは分かんないですからね。どんどん書いて自分の才能を見つけていきたい(あるのかないのか見極めたい)と思います。がんばります。

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