16カオス ぼくは◯◯になりたかった
変人になりたかった。
あなたはどうだろう? 変人になりたいなんて考えたことはあるだろうか。それとも人というものは普通でいればいい、ぼく(または、わたし)は普通でよかった――と思っているのだろうか。
今日買った『最後の秘境 東京藝大 〜天才たちのカオスな日常〜』(二宮敦人 新潮文庫)は、「芸術界の東大」東京藝術大学の学生たちの生態を描いた(軽めの)ノンフィクションです。
卒業後は行方不明者多数……
楽器のせいで体が歪んで一人前……
四十時間ぶっ続けで絵を描いて幸せ……などなど。藝大の学生は、自分たちのやりたいことをやっている。
評判の本なので読んだ人もいると思います。本の中で紹介されている藝大の学生たちは、いわゆる普通の人でなくて変人(または天才)です。藝大自体も普通の大学ではなく、ちょっと(かなり)変わった大学として紹介されています。
――何年かに一人、天才が出ればいい。他の人はその天才の礎。ここはそういう大学なんです。
本書の中で、そう言い放ったのは、だれあろうこの藝大の学長です。学生を預かる最高責任者の台詞とは思えませんが、こうしたことが藝大と他の大学との違いを際立たせていることは間違いありません。
文庫になる前、単行本のときに読んでいたのですが、一読、私は
――藝大に入りたい!
と思いました。藝大生のあり方、学び方の中にこそ、人としての正しい生き方が隠れているように思えてならないのです。間違っているかもしれませんが、私にはそう感じられるのです。
私は変人になれませんでした。
子供の頃、私は天才になりたかった。そして、天才になれないのならいっそ変人でいたいと思っていました。
――素足で運動会の徒競走を走ったり……
――教科書の代わりに小説を開いて授業を受けたり……
――靴ではなく下駄で登校したり……
奇矯な行動にも一本の筋が通っていました。やりたいと思ったことや、正しいと思ったことを実行することにためらいはなかったですね(笑)小学生の頃の話です。
もちろん、私は天才ではありません。この本にある藝大に入るために必要な才能は片鱗も持ち合わせていませんし、そのためになにかを成し遂げたということもありません。
そして、こうしたことがだんだんと分かってくる年齢になるに従って、変人を演じ続けることも難しくなり、私は徐々に普通の人として生き直すことを始めました。そうでなければこの世の中、生きづらいと分かってくるのです。高校生くらいのことでしょうか。
大学を出、就職して働きはじめた私は、それでも自分のやりたいことはやる、やりたくないことはやらないという「奇矯」は続けていましたが、それも終わる時がきました。――結婚したのです。
結婚して子どもを授かり、人並みの幸せを手に入れた私は、普通の人として暮らし始めました。でも、それは私が本当にやりたいと思っていることをあきらめることの上に成り立っているのです。変人を演じていた子どもは、大人になったいまは普通の人を演じているのです。こんな滑稽なことってあるでしょうか――。
この本を読むと考えざるを得ません。
ありのままの自分であり続けることの是非――損得といってもいい――を。そして、どういう決意のもとに私たちは小説を書き続ければよいのかということを。
小説を書くって、やりたいことをやる以外の何ものでもないから。
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