このエッセイを読んだだけで賢くなった気が…気のせいか(爆)
確かに欧米と違い宗教は遠いと感じます、戒名だってホントに必要なのか?とも思いますしね(ちなみに実家は浄土真宗)仏壇とか無しで故人の写真だけあれば良い気もしますが、不思議なもので仏像や寺院、神社に行くと心に何かを感じる
んですよね。
的を得ていないコメントだったらごめんなさい🙏
作者からの返信
もともと浄土真宗には、仏壇やお墓というものはなかったとも聞きますしね。もっとイレギュラーな仏教だったのかもしれません。
神社やお寺にいくと、どこかしら敬虔な気持ちになるというのは、この国に住む人なら皆同じように感じるんじゃないでしょうか。
日本文化が内包する宗教性みたいな? 不思議ですよね。
編集済
ふふふ、浄土真宗には一家言ある私です(なぜなら大学がそうだったから。いや一家言は言い過ぎか?)。
さて、ブッダになることから極楽浄土に行くことにすり替えられている、というのは広い意味では間違えではありませんが、教義として目的が入れ替わってるわけじゃないんですよ。
言うなら、極楽浄土は「大学」なんです。
仏になるために、そこで安心して勉強して修行ができる場所。んで、たまーに仏様がやって来て、先生みたいに教えてるって感じです。
これは恵まれていないと現世で修行できない=成仏できない人々を救う考えでした。
この辺りは、藤光さまがおっしゃった修行して成仏するタイプ(上座部仏教)から大乗仏教へ変わるきっかけと一緒のタイミングだったかもしれません。
ちなみに、現在の上座部仏教はタイなどにありますが、極わずかな「出家期間」なんてものもあって、結構みんな出家しては俗世に戻るという(笑)
修行してない人も、修行している人を支えることで徳が積めるシステムになってます。あ、システムって言っちゃった。
作者からの返信
>これは恵まれていないと現世で修行できない=成仏できない人々を救う考えでした。
なるほどー。
その視点は、この本になかったですけど、納得ですね。
貧乏人だって、みんな仏になりたいですもん(笑)
だから、浄土信仰というのは、貧しい一般庶民に広がっていったんですね。目からウロコ、また一枚落ちました。