第四幕 この国が戦争に導かれる時 Ⅲ

 三人そろって玄関に出ると、佐藤一尉がサイドカーにもたれかかってタバコをふかしていた。今日は陸自の制服を着ているが、下がスカートではなくパンツというのが彼女らしい。制服の左胸には勲章くんしょうとおぼしき細長いマークが、縦二列に整然と輝いていた。

「顔を合わせるのは三日ぶりか、佐藤。この物語、貴様の筋書きではどのような終わり方をするのかね?」

「まさに用件はその話です、察しがいいですね。ところで、もう一人の住人の姿が見えませんが?」

「佳奈子は拉致された。我が家を襲った零号にな」

「そうですか、それは大変でしたね――」

 そう言ったところで、佐藤一尉は先生の懐から覗く包帯に気付いたようだ。

「その様子だと、早くも戦線離脱ですか。やはり狙撃兵型の貴方では、零号に太刀打ちできなかったようですね」

 佐藤一尉は、かっぽう着姿の杉原さんに視線を移す。杉原さんは彼女に向き直り、十度ほど腰を折って会釈した。佐藤一尉は右手の革手袋を外し、杉原さんに向けて敬礼する。

「佐藤主任。その節は――」

「その姿も似合っていますよ。――即自編入の件では貴女をかばい切れず、すみませんでした」

「いえ……お心遣いだけで感謝しております」

 佐藤一尉は右の手袋をはき直すと、話を続けた。

「罪滅ぼしと言っては何ですが、謹製きんせいのサイドカーを再就職祝いに持参しました。よい狩りには、よいうまが欠かせませんからね」

 佐藤一尉はもたれかかっていたサイドカーから背を離し、車体をコンコンと叩いた。

 大型二輪……だよな、これ。車体全体が陸自のオリーブ色で塗られていて、ベースのマシンはオフロードだ。物々しい改造サスペンションがついていて、いかにも偵察用という感じだった。ここからだと見えないが、当然のように自衛隊ナンバーをつけているのだろう。

 左の側車にはカバーに包まれた筒のようなものが搭載されているが、たぶんこれは機関銃か何かだと思う。側車の座席にもカバーがしてあって、何か載せてあるみたいだが……その時、杉原さんが何かに気付いたように目を剥いた。

「主任。このサイドカーはまさか、技術研究本部が開発していた雷光らいこう号では? これをわたくしに……?」

「ええ。悪路での運用や走行中の射撃を考えて、特殊なサスと姿勢制御装置を取り付けてあります。しくも、雷光という音は酒呑童子を退治した源頼光みなもとのらいこうにも通じます。退職金代わりの品としては、縁起がいいでしょう?」

 エンジンに目をやると、左右に大きく張り出したシリンダーが目を引いた。

「あの……この水平対向ボクサーエンジン、ひょっとしてベース車両はBMW《ビーエム》ですか?」

「そうです、よく知っていますね。R1250GSアドベンチャーを使っています」

 そのモデルは、新車で三百万近くする高級オフロードバイクだ。側車や機関銃、サスペンション……いったい幾らつぎ込んでいるのだろう。この開発予算の一部だけでも、杉原さんの給料に回してあげれば良かったのに。

 佐藤一尉は側車の横に回り込み、カバーの上から筒をなで回した。

「側車には軽機関銃ミニミと、届きたての自由射撃弾フライクーゲルを搭載してあります。――これは、私達プロパー自衛隊員の意地と考えてください。警察には表向き逆らわず、独自の省益も守らなければならないのが、の泣き所です」

「これがあれば確かに零号と戦う上で強力な武器になりますが……わたくし、二輪車オートは……」

 佐藤一尉はタバコを携帯灰皿に投げると、場違いなほど穏やかな笑みを浮かべた。

「誰も、貴女に操縦させるとは言っていません。貴方達の中には、ちゃんと適任者がいるでしょう?」

 とたん、その場の視線が俺に集中した。

「……え? マジですか? 俺、大型二輪の免許なんて……」

差動装置デフつきのフルタイム二駆なので、サイドカー特有のクセは軽減されています。本来なら大型二輪どころか普通免許が必要ですが、貴方が十八になるまで待つわけにはいきません。……乗りこなす自信はありますか、牧原君?」

 正直、自信はない。250ccのホーネットと1250ccのサイドカーじゃ、まるっきり別次元の乗り物だ。だけど目の前のこのマシンは、誰かに乗りこなされるのを待ち望んでいるように見える。そして……何よりも俺自身、このマシンに強くかれているのは確かだった。

「……もし俺が『自信がない』って言ったって、乗せる気でしょう?」

「よく分かっていますね、話が早くて助かります。では、側車の射手は杉原三尉が務めてください。……それと杉原三尉、貴女のためにこれも持ってきました。貴女には、これのパイロットになってもらいます」

 佐藤一尉は側車の座席カバーに手をかけ、フックを外して開帳かいちょうした。中に収まっていたのは自衛隊の戦闘服とヘルメット、それにボディアーマーと顔全体を覆うメカニカルなマスクだった。マスクからパイプが伸びているところを見ると、酸素マスクか何かも兼ねているのだろう。

「……これは、『先進個人装備システム』の試作機ではありませんか。モニターとして、何度か装着したことがあります」

「そうです。技研本部あなたのふるすからデータ収集の名目で借りてきた、次世代型強化服です。詳しい使用方法は、同梱どうこんの取扱説明書を参照してください」

「……了解」

「マスクのヘッドアップディスプレイHUDには生体レーダー……ミニミと連動した照準モニター、GPS情報、残弾数、バッテリ残量及びダメージ状況が表示されます。アーマーのスイッチで、表示は切り替え可能です」

 佐藤一尉はそう言ってサイドカーから離れると、もう一度俺達のほうに戻ってきた。

「それと、もう一つ伝えなければならないことがあります。私達は零号の所在を掌握しました。――建物の名は東大駒場寮、ここから1キロも離れていない学生寮です。間取りを確認しましたが、雷光号のサイズと性能なら階段を上がることも充分に可能です」

「……貴様らも知っていたのか。こちらでも、つい先ほど特定したところだ」

 驚きの色をわずかに浮かべ、的場先生がそう返した。

「掌握とは言っても、情けないことに我が社ではなく警察の仕事ですが。――ともかく、私達は今夜をもって零号討伐に踏み切ります。その件に関して、杉原三尉にお土産があります。警察を説得するのには、非常に骨が折れました。ありがたく受け取りなさい」

 佐藤一尉はそこで咳払いをすると、一枚の書類を杉原さんに差し出した。慌てて書類を確認する杉原さんに、佐藤一尉は姿勢を正して告げる。

「杉原たかね即応予備三等陸尉、招集命令書です。建前上の区分は災害派遣さいがいはけん害獣がいじゅうであるトドに対する実弾発砲の前例があります。出頭日時は明日みょうにち〇〇三〇まるまるさんまる。出頭場所は、東京大学駒場キャンパス正門前です。なお、招集期間の終期しゅうきは零号の脅威が消滅するまでとします」

 招集命令書……つまり早い話が赤紙だ。時代錯誤もいいところだが、どうやら杉原さんは招集されて深夜から自衛隊の任務につくらしい。震える手で書類を見つめながら、杉原さんはうっすらと涙ぐんでいる。的場先生が杉原さんの肩に手を置き、言った。

「おめでとう、杉原。招集と聞いて、思わず万歳しかけてしまったではないか。戦中派の悲しい習性を利用するとは、自衛隊も味な真似をしてくれる」

 俺もとりあえず、杉原さんに頭を下げておくことにした。

「おめでとうございます、杉原さん」

「あ……ありがとうございます」

 ……でも、分からない。杉原さんを招集するなら、サイドカーを運転する俺はどうすればいいんだ? そんな俺の疑問を見透かしたかのように、佐藤一尉が話を続けた。

「牧原君、お土産は貴方にもあります。側車の中の服があることに気付きませんでしたか?」

「……え?」

 慌てて側車の中身を改めると、確かに戦闘服とヘルメットが二人分入っている。と、佐藤一尉が満悦まんえつの表情で俺に第二の書類を差し出してきた。なになに、陸上自衛隊高等工科学校採用通知書……だって?

「おめでとうございます、牧原潤。貴方は本日付けで、我が陸上自衛隊に強制採用されました。志願書類は私が謹んで代筆しておきましたから、安心してください」

「な……それは私文書偽造でしょう! それに一介の高校生を徴兵するなんて、どう考えたってアウトですよ!」

「徴ではありません。ふざけた話ですが、その言葉はこの国ではご法度はっとです。……これはあくまで、行動終了までの超法規的措置と思ってください。じ、牧原君には私達の掌握下に……訂正、指揮に従ってもらいます」

「じ、自衛隊のことなんて、俺は何も――」

「杉原三尉から説明を受けなさい。自衛隊のことについては、私より彼女のほうが遥かに年季が入っています。貴方達二人が闘っている間、杉原小隊に割り当てる別の隊員達が駒場寮を包囲します」

「――キャンパスからの人払いはどうするんですか?」

「対外的にはテロリスト籠城ろうじょう事案として処理し、警察のほうで報道協定を締結するそうです。治安出動扱いにすると事情が公になってしまうので、貴方達を含めた自衛隊員は書類の上でだけ警察に出向することになります。明日〇〇〇〇まるまるまるまるまでには、現場から全ての人間を退去させる予定です」

 側車の横に戻った佐藤一尉は、座席の中に制帽を入れてカバーをかけ直した。

「――さて、さっそくですが取り扱いを説明します。牧原君、後ろのタンデムシートに乗りなさい。普通車扱いなので、ヘルメットはかぶらなくても構いません」

 佐藤一尉はそう言って俺の両脇に手を差し入れ、見た目からは想像もできないほどの力で俺を持ち上げる。

「さ……佐藤一尉、何するんです、やめてください!」

「やめません。言ったでしょう? 指揮に従ってもらうと」

 俺の抗議と抵抗もむなしく、一尉は問答無用で俺を後部座席に座らせる。そして運転席にまたがると、キーを回しイグニッションスイッチを押してエンジンに火を入れた。

「牧原君をしばらく借りますよ、的場中尉。車体に若干のクセがあるので、操縦を教えてきます」

「分かった。夜までには帰してくれよ」

「ええ。――では行きますよ、牧原君。貴方は今からパンダです。私を遊び道具のタイヤと思い、しっかりと抱きついていなさい」

 それだけ言うと、佐藤一尉はアクセルを開いてギアをニュートラルからローに踏み落とし、クラッチを繋ぎ始める。

「……お、お手柔らかにお願いします……」

「了」

 マシンが発進すると共に、後ろに引っ張られる感覚が俺を襲う。思えば他人の後部座席に乗るのは、教習以来だ。俺は振り落とされないよう、必死で佐藤一尉の体にしがみついた――


 しばらく運転して学んだのは、サイドカーという乗り物の特性だ。サイドカーは単車のような体重移動ではなく、ハンドルで動きをコントロールしなければいけない。その意味では二輪よりむしろ、四輪に近いと思った。

 学生服で大型を運転していると警察に止められる恐れがあるので、戦闘服を上から着てハンドルを握ってみたが、側車に振り回される感覚が独特だった。発進時はともかく、減速時はなるべく後輪ブレーキを使わないと時計回りに車体が回ってしまう。だけど佐藤一尉いわく、これでも一駆のサイドカーに比べれば運転は楽らしい。

 佐藤一尉が防衛省に直接帰るというので、俺は市ヶ谷まで彼女を送っていった。防衛省の前でサイドカーを停め、先に降りていた佐藤一尉に側車から取り出した制帽を渡す。制帽をかぶった佐藤一尉は、サイドカーの脇に立つ俺にまっすぐ体を向けてきた。

「頼みましたよ。貴方と杉原三尉の働きに、この国の人々の平和がかかっています。――残念ながら、生身の人間で零号を討つことはほぼ不可能です。的場兄妹と牧原主査が戦線から外れた今、この国を守れる正義のヒーローは貴方達しかいません」

「――佐藤一尉、俺は……正義のヒーローなんかじゃありません。佳奈子先輩にとってのヒーローでさえあれば、それで構わないんです。もちろん、酒呑を許せないという気持ちもありますけど……」

 俺の言葉に、佐藤一尉は頬を緩めた。

「ふふ、牧原君。貴方は杉原三尉に似ていますね。愚直ぐちょくなまでに自分の気持ちに正直なところがそっくりです。……防大でも一般幹部候補生でも構いません。東大に入って、防衛官僚になるのもいいでしょう。この事件が無事に片付いたら、我が社にお入りなさい。貴方のような人こそ、この国を守る上で必要な人材です。私達の仕事は、人生を捧げるに値するものです」

「ま、前向きに検討する所存です……」

 こんなところでリクルートされるとは思わなかったが……この人、本当に自衛隊が好きなんだな。

「貴方は自衛官せいふく官僚せびろに向いているかもしれませんね。……では、このマシンは貴方に預けます。スジがいいので心配はしていませんが、事故のないよう帰宅なさい。そうそう、今の話ですが――」

 佐藤一尉は不意に俺の体に腕を回し、一瞬の早業はやわざで俺にキスしてきた。あまりのことに、俺の顔にパッと火がともる。

「な、な……」

「いけませんね。あまりに可愛い顔をしているので、思わず『品位を保つ義務』に違反してしまいました。……牧原君、これは手付け金です。この続きは、貴方が我が社に入社してからのお楽しみとしましょう」

「ふ、不況期の保険売りみたいなことを……」

「……貴方はまだ高校生なのに、とんでもないことを知っていますね。では今夜、現場でお会いしましょう」

 そう言って佐藤一尉は見事な敬礼を残し、機敏な動作でその場を去っていった――

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