第四幕 この国が戦争に導かれる時 Ⅱ

「実に美味であった。貴様は家政婦の鑑だ。的場家が滅亡したら、添い寝付き出張メイドでも開業するがいい。生活の心配はなくなるだろう」

 山のような料理を完食した的場先生はそう言って、和服の上からかっぽう着を重ね着した杉原さんにナプキンを渡した。

「恐縮でございます、旦那様」

「しかし手際が良かったな。自衛隊では何をやっていたのだ?」

「本籍は技術研究本部でしたが、部隊出向時は需品じゅひん科を指定されていました。需品科とは炊事から裁縫洗濯、果ては風呂の仕度までこなす職種でございます」

「それに夜伽よとぎまで加われば、職種名はさしずめ慰安いあん科とでも呼ばれるのだろうな」

 杉原さんは頬を赤く染め、目をつぶって咳払いした。

「……コホン。旦那様、わたくしたち戦中派の良識を疑わせる発言はお控えくださいませ。お坊ちゃまの前でございます」

 杉原さんは空になった食器をワゴンの上に重ね上げ、厨房へと戻っていった。

 テレビでは新聞記事の解説番組が、『未確認生命体』による犠牲者が警官を含めて二十人を超したと伝えている。一刻も早く酒呑を倒さないと、さらにその数は増えてしまうだろう――。


「では、佳奈子奪還についての会議を始めたい。よろしく頼む」

 そう告げた先生は、テーブルについている俺と杉原さんを見渡す。俺達はまず、先生が倒された後の出来事を説明し始めた。

「ふむ。零号が佳奈子を『イバラ』と呼んでいたのは私も覚えている。そして奴は確かに『カンナギノミソ』を着て『巣』に来いと言ったのだな?」

「意味、分かるんですか?」

「ああ。独断と偏見で華麗に翻訳すると、恐らく奴は巫女装束をリクエストしたのだ。必要ならバイクにも乗れるよう、袴がミニスカサイズで馬乗り仕立てのものを手配してやるが」

 ……は? 俺は先生が言っている意味が一瞬分からなくなり、あんぐりと口を開けてしまった。

「分からんか? 早い話が、貴様はプリンセスとしてに招かれたということだ」

「先生先生、そういうあらゆる意味でギリギリの発言は……ってか、古すぎますよ」

「問題ない。マイケル何某なにがしという名の黒人Nワードなど、少年好きなミュージシャンの数ほどいる。そうだ、嫁入りの際には女物の下着も持たせてやるからな?」

「……ふ、ふざけないでください!」

「なんだ貴様、ノーパンで嫁に行きたいのか? さすが、男心をくすぐるのが巧いな」

「違います! 俺はそういうのはして、一人前の男になるんです。絶対に着ませんっ!」

 ……最低すぎる。佳奈子先輩といい酒呑といい、どうして俺を男のにする方向に話を持っていこうとするんだ?

「し、失礼……想像したら鼻血が……」

 あろうことか頼みの綱の杉原さんまで、後ろを向いてポケットティッシュで鼻をぬぐい始めた。俺は今、ブルータスに殺されたシーザーの気持ちが少しだけ分かった。

「と……とにかく! 俺は、巫女さんの格好なんて絶対にしませんからね!」

「むう。残念だが仕方がないな。佳奈子もきっと喜ぶと思うのだが……」

 キッと先生をにらむと、先生は俺から視線をそらして話題を急転換させた。

「ま、まあよい。この話はこれまでだ。ところで貴様らの証言によると、零号のオリジナルたる酒呑童子しゅてんどうじ茨木童子いばらきどうじは恋仲だった――ということになるな」

「……酒呑童子はさすがに知ってますけど、茨木童子ってのは何者ですか?」

「佳奈子が取り込んだ鬼で、酒呑童子に最も重用された家来だ。性別については諸説あるのだが、そもそも人造戦鬼の技術は妖怪と性別が同じ素体マルタにしか使えない」

 そう言えば確かに、杉原さんのオリジナルとなった妖狐・玉藻前はめすだ。なら――。

「つまり、茨木は女の鬼というわけですか」

「ああそうだ。零号の様子から判断するに、やはり二人は恋仲だったに違いない。すると零号は――」

「先輩に、茨木童子の面影を重ねている……?」

「恐らくそういうことだろうな。まったく、迷惑な話だ」

 先生はタバコに火をつけると、鼻をティッシュで押さえたままの杉原さんに話を振った。

「しかしおかしいな。杉原、人造戦鬼一号きさまの製造年は昭和十三年だったな。ならば零号は、何年の製造だ?」

「昭和十二年――つまり、八十六年前のことでございます」

「だとすると、零号のは間近ではないのか?」

「防衛装備庁の調査によると、意識を失っている間は耐用年数の消化が止まるとの話でした。零号は製造後すぐに暴走して意識を失ったので、耐用期限はおよそ八十八年後と推定されます」

 置き去りにされたまま話が進んでいくので、俺は慌てて口を挟んだ。

「……あの、『耐用期限』ってなんですか?」

「佳奈子が伝えているかと思ったが、その様子だと初耳のようだな」

 タバコを灰皿に置き、先生は煙を深く吐き出した。

「色々と細部の異なる人造戦鬼シリーズだが、共通仕様がないわけではない。その一つが、約八十八年を目安に設計されている耐用年数だ。その期間を超えた個体から、静かに活動を停止していく――つまり死んでいくことになる」

「え……? 死ぬ、って……?」

「我々は不老だが、残念ながら不死ではない。杉原はあと三年、佳奈子は七年、私は九年で理論上の耐用期限が到来するはずだ」

 ……先輩が死ぬ? そんな……そんな、馬鹿な。

 その事実を認識したとたん、胸が押しつぶされそうに痛みだした。昨日先輩が俺を拒絶した《理由》が、はっきりと分かったからだ。

 先輩は、自分の死期が近いことを知っていた。だからこそ、俺に寂しい思いをさせないよう突き放した態度を取ったのだろう。でも、そんなのはイヤだ。このまま先輩の死を待つなんて、そんなのは耐えられない。俺は、先輩と、先輩と……!

「……先生。先輩を無事に助け出せたとして、耐用期限を延ばす方法は何もないんですか?」

「我々も色々調べてみたが、少なくとも私は知らな……ん、待てよ……? 杉原、貴様は自らを『強化』するために我々兄妹を狙っていたはずだ。ひょっとしてその『強化』の方法を取れば、耐用期限も延ばせるのではないか?」

 杉原さんは人指し指をアゴにつけながら、何かを思い出そうと宙に視線を泳がせていた。

「そういえば……牧原主査がそんなことを言っていた記憶があります。ただし、『強化』のためにはの新鮮な死体が必要だとか……」

「人造戦鬼の死体……つまりそれは、零号の死体でも――ということだな」

「! さすがは旦那様、素晴らしゅうございます。恥ずかしながらわたくし、その発想はございませんでした」

 いや、気付くだろ普通。杉原さんって、ひょっとしてアホの子なんじゃないだろうか……?

「訊いてみるものだな。私も佳奈子も、既に滅びの運命は受け入れていたのだが。して、肝心の強化の方法とは?」

「それが……その……申し上げにくいのですが、わたくしは存じておりません。主査の離反は想定の範囲外だったので、防衛省としても掌握していないのです」

「……なら、神祇院調整課に直接照会するのはどうだろうか?」

「難しいと思います。主査の逃走で先方は大混乱しておりますので、とても真っ当な対応は望めません。防衛省と神祇院は離反の件で冷戦状態ですし、たとえ警察を動かしたところで神祇院が関与を認めるとは……」

 逃走中の姉貴が、電話やメールでつかまるはずもないか。くそ、あのバカ姉貴、こんな肝心なところで……!

「どうしますか、先生? ……強化の方法が判明するのを待っていたら、先輩に危険が及ぶかもしれませんよ」

「奪還を取るか延命を取るか、難しい選択だな。延命には零号の新鮮な死体が必要らしいが、たとえ奴を倒したところでそのとき姉上が行方不明ならアウトだ。牧原、自分の気持ちを素直に答えろ。貴様はどうしたい?」

 どうしたいか……そんなことは考えるまでもなく、始めから決まっている。

「俺は……これからも佳奈子先輩と一緒にいたいです。ちょっと変なところもあるけど……先輩は俺にとって誰よりも大切で……すごく……可愛い人です」

「……それは盲目の愛とともに一生を添い遂げるという意味か? 貴様、間違いなく尻に敷かれるぞ? それでもいいのか?」

「望むところです。このまま先輩と別れるなんて、俺には考えられません」

 ……『娘さんを下さい』と恋人の父親に挨拶あいさつする気分だが、これはまぎれもなく俺の本心だ。俺は洗いざらい先輩への思いをぶちまけ、先生に頭を下げた。

「俺の担任としてじゃなく、先輩の肉親としての先生にお願いします。俺は命に代えても酒呑を倒して、先輩を助け出します。だからそれまでに、うちのバカ姉貴を捜し出してください」

 そう告げきって、顔を上げる。眼鏡の奥の目が一瞬優しくなったかと思うと、先生はまっすぐに俺を見すえてきた。

「……よく言った。それでこそ男だ。二言はないな?」

「はい」

 俺は確信と決意を込めて、強くうなずいた。対する先生は新しいタバコを取り出し、火をつける。

「承知した。考えうる全ての手段を尽くして、牧原先生を捜し出そう」

「……ありがとうございます、先生。よろしくお願いします」

「気にするな。妹の幸せを願わない兄など、この世にいない。こちらこそ、うちの佳奈子を大切にしてやってくれ」

 言って、俺に向かい頭を下げ返す的場先生。

「お坊ちゃま、ご立派でございます。わたくしはただいま、猛烈に感動しております……」

 俺達のやりとりを黙って見ていた杉原さんはいつの間にか涙ぐんでいて、取り出したハンカチで目元をぬぐっていた。


 姉貴の捜索を各方面に依頼するため書斎に戻った的場先生は、大小さまざまな地図と文房具を持って小食堂へと帰ってきた。そしてそのまま小食堂のテーブルに東京近郊を網羅する大きな地図を広げ、俺の顔を見る。

「作戦会議に戻ろう。牧原、貴様がまだ生きているということは、遠隔衛生の力は途切れていないな?」

「はい、確かに先輩との繋がりを感じます。だから少なくとも、先輩の無事は間違いありません。俺が近くにはいないから、鬼の力は使えないと思いますが――」

「位置は分かるか? おおよそで構わない」

「――ちょっと待ってください。いま感じ取ってみます」

 俺は目を閉じ、先輩の気配に意識を集中させる。椅子から立ち上がり、その方向へと慎重に身体の向きを変えた。

「あっちの方角……だと思います」

 目を開けると同時に腕を挙げ、人指し指をまっすぐ伸ばす。

「ふむ。真東から南に十五度といったところか。距離はどれくらいだ?」

「! ……かなり近いです。1キロもありません。たぶん……700メートルくらいでしょうか」

 俺が先生に向き直って告げると、先生は慌てて駒場周辺の地図を取り出した。

「な――何だと? では奴は、目黒区どころか駒場すら出ていないではないか!」

 分度器と定規を手に取り、地図の上に鉛筆を走らせる的場先生。俺も身を乗り出し、その線の行き先に目を飛ばした。

 文教地区である駒場には学校が多く、駒高以外にも駒東こまとう都立駒場トリコマなどが点在している。その中に一つ、地図の上でもひときわ目を引く大きな校地がある。東京大学の教養学部などが所在する、駒場キャンパスだ。

 的場邸から東南東に700メートルと言えば、その駒場キャンパスの中になる。定規に沿って伸びていた鉛筆の線が、ある一点でピタリと止まった。

「おい……ここは……」

 鉛筆の先端は、とある学生寮の上に縫い止められている。

「間違いない。その角度と距離が正確なら、奴の『巣』はここ――駒場寮こまばりょうだ」

 駒場の住人には有名な話だが、東京大学駒場キャンパスの中には駒場寮という廃墟はいきょのような建物がある。取り壊しが決まっていて、住人も今はほとんどいない。キャンパスの中に堂々とそびえながら、色々な意味で危険なために一般の学生はまず立ち入らない場所だ。

「でも……いくら駒場寮に誰も入らないと言ったって、無人じゃないですよね。住んでいる人だっているわけだし、誰か気付いたって……」

「恐らくは……人払いの結界けっかいでございます」

 ――と。今まで黙って話を聞いていた杉原さんが、ポツリと漏らした。

「結界を張れるのは、妖怪の中でも上位のものに限られますが……零号の力をもってすれば、造作もないと思います」

「じゃあ……もし酒呑が駒場寮に隠れ住んでいるとしたら、住人は……?」

「残念ながら、既に零号のエサではないでしょうか。まったく、うまい場所に隠れたものです。人払いの結界を張っておけば、そう簡単には気付かれない……。獲物を持ち帰ってゆっくり味わうのにも、最適の場所です」

 杉原さんは苦々しげな表情を隠さず、地図に視線を落とした。

 確かに国立大学の施設なら、警察も自衛隊も目をつけないだろう。学校の敷地内にある取り壊し予定の建物に、防犯カメラなど設置する理由もない。まさに奴の拠点としては、うってつけの場所だ。

「……先生、酒呑の居場所を、警察か自衛隊に知らせますか?」

「いや。佳奈子が人質に取られている以上、それは最後の手段だ。それに杉原は、自分の手で零号を倒したいのだろう?」

 話を振られた杉原さんは、先生をはっきり見つめてうなずいた。

「はい。わたくしは零号の素体マルタなった北川大尉と、支那事変が終結したら結婚しようと約束しておりました。わたくしは、彼の犠牲を冒涜ぼうとくする零号を決して許しません。零号は必ずや、この手で打倒します」

 ぐ、と固く拳を握る杉原さん。やけに自分で酒呑を倒すことにこだわると思ったら、そういうことだったのか。敵だった時には分からなかったけど……この人、本当に純情一途じゅんじょういちずの人なんだな。

「――当然、俺も一緒に行きます。杉原さんに譲れないものがあるように、俺にも守りたい人がいますから。先生はどうしますか?」

 先生は決まり悪そうに目を反らすと、タバコに火をつけた。

「残念ながら私は戦えるほど傷が癒えておらんので、牧原先生の捜索に全力を注ごうと思う。それに私は、戦争末期の簡易版だ。正直な話、これ以上の戦力インフレにはついていけん」

 そうすると、現状で戦いに出られるのは俺と杉原さんだけか。ちょっと心細いけど、仕方がない。

「決戦は今夜だ、二人とも頼んだぞ。我が的場家の命運は、貴様らにかかっている。……ところで杉原、貴様も若干ダメージを受けたようだが、具合はどうだ?」

「耐用期限の関係でさすがに昔のようには参りませんが、大丈夫です。あと一回だけなら、最終形態も発動できると思います。次に最終形態を取った時に身体がつかどうかは分かりませんが、それで零号を倒せるなら本望ほんもうでございます」

 なら、杉原さんが最終形態を使わなくても済むように俺が頑張ればいい。だけど昨日の戦闘を思い出す限り、そう簡単に行くかどうか……。

 俺と杉原さんで酒呑を倒し、それまでに的場先生が姉貴を見つければ全て丸く収まる。それが理想だが、形勢が不利になれば杉原さんは躊躇ちゅうちょなく『最終形態』を発動するだろう。

 ――と、そこまで考えた時、不意に何者かの来訪を告げるチャイムが鳴った。俺と杉原さんが口をつぐんだのを確認し、的場先生がインターホンを取る。

「はい、的場ですが……なんだ、貴様か。いま行くから、玄関で待っていろ」

 言って、的場先生は乱暴にインターホンを切った。

にお勤めの優理也ちゃんから、『同伴出勤』のお誘いだ。そろそろ若さで売るのも辛くなってきて、少し焦っているのかもしれん。哀れな奴だ。……用事はよく分からんが、貴様らも来い。もしロクな用件でなかったら、ジェントルな給仕で特製のぶぶ漬けを馳走ちそうせねばならんからな――」

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