第三幕 組織の掟 Ⅶ

「なに! 貴様、防衛装備庁をリストラされただと!」

 緑茶の湯飲みを食堂のテーブルにドンと置き、的場先生が声を荒げる。杉原三尉は自嘲を口元に落とし、緑茶をすすって息をついた。

「笑え、三号。自分は即応予備自衛官に編入された。もはや自衛隊には戻れん」

 椅子に座る俺と先輩は、二人のやりとりを黙って見ている。『なるべく口を挟むな』と的場先生が指示したからだ。

 的場先生は眉間みけんを指で押さえると、視線を杉原三尉へと戻して続けた。

「……すまんが、先ほどの話をもう一度頼む。疑うわけではないが、確認のためだ」

「ああ、何度でも言ってやる。防衛装備庁が旧軍から承継した装備品『人造戦鬼一号』に対する不用決定が、本日付けで下された。度重なる任務失敗も大きな要因だろうが、最大の理由は自分が零号に加勢するのを恐れたからだ。……零号とは、戦前に少し因縁いんねんがあってな」

 ……因縁、か。さすがの杉原三尉も、まさか零号が自分の恋人だったとは言いづらかったようだ。

「今は自衛隊の内部も大変なのだ。貴様ら兄妹にも分かるだろう? 冷戦時代、東と西の違いはあれど、共に実力組織に属した身だ」

「聞き捨てならんな。我が栄光のソ連軍と、を一緒にするんじゃない」

 そう返した的場先生はアラレを口に放り込み、ボリボリとかみ砕いた。

 ふと見ると、杉原三尉は何か言いたげにモジモジしていた。的場先生は目を一つしばたくと、離れたところに置かれた灰皿を手に取る。そしてそれを、先生と三尉の間にドンと据えた。

「ふふん、こいつが欲しかったのだろう?」

「下品な言い方をするな、気色が悪い。――吸ってよいのだな?」

「ああ」

 家主の許可を律儀りちぎに確認し、杉原三尉はタバコに火をつける。的場先生もいつものタバコを取り出し、同様にマッチを擦った。

 杉原三尉のほうからは、やたらと甘い香りがただよってくる。それに気付いた先生が、あざけるように三尉に告げた。

「貴様、まるで女のような甘い香りのタバコを飲んでいるのだな」

「……」

 的場先生の皮肉にも反応を見せず、黙り込む杉原三尉。先生はモウモウと煙を吐き出し、火のついたままのタバコを灰皿に置いた。

「……で? まさか茶飲み話をしにアポなし訪問を敢行かんこうしたわけではあるまい。用件を聞こうか」

「自分は、防衛装備庁の後ろ盾を失った身だ。だからこそ、零号を倒すために残された手を尽くしに来た」

「……ほう?」

「端的に言おう。貴様ら三名と同盟を結びたい」

 な、なんだって? あれだけ俺達とドンパチを繰り広げた杉原三尉が、よりにもよって同盟だって……?

 先生と先輩も、杉原三尉の真意を量りかねているようだ。先生はタバコを一口吸い、続けた。

「……せんな。防衛装備庁を去った今、貴様に零号と戦う義務はない。なぜそこまで、打倒零号にこだわる?」

 先生の疑問はもっともだ。話によれば、零号はかつての杉原三尉の恋人……。守ろうとするなら分かるが、そこまで零号を倒すことに執着する理由が分からなかった。

 杉原三尉はテーブルの上の拳を握りしめ、わななかせながら問いに答えた。

「戦場という世界は、戦う者だけが知ればいい。銃後の人々を戦火に巻き込むのは、断じて許されることではない。――だが零号は国のために作られた改造人間であるにもかかわらず、人々に牙をいている」

「貴様に協力して、我々に何の利益があるというのだ? 零号問題は防衛省と警察の連中に任せておけばよいだろう。我々が口を挟む道理はない」

「三号、思い出せ! 自分ら人造戦鬼があの戦争を戦ったのは、この国の笑顔を守るためだった。ならば、譲れぬものもあるはずだ! 守るべき人々がいる以上、自分らの戦争はまだ終わっておらん!」

「……話はそれだけか?」

 先生はこれ以上の議論は無用とばかりに、そこで席を立った。

「私は人造戦鬼である前に、兄であり、教師でもある。そんな一文にもならんことで、妹と教え子を危険にさらすわけにはいかん。……やりたいのなら貴様一人でやることだ、リストラっ。我々は貴様には協力せん。お引き取り願おう」

「三号ッ!」

 杉原三尉は唇を噛みしめて立ち上がる。そして、思いを吐き出すような叫びを発した。


「頼む、三号。!」


 ――その言葉に、食堂が静まりかえる。杉原三尉が並べたどんな言葉より、今の慟哭どうこくが胸に響いたからだ。

「……」

 的場先生はポリポリと頭をかき、私もまだまだ甘いな、と呟いた。

「……仕方がない。特別に協力してやろう。ここで貴様が無茶をして戦死でもしたら、目覚めが悪い」

「あ……ありがたい! 恩に着るぞ、三号」

 折り目正しく頭を下げる杉原三尉。そんな彼女を、先生は手で軽くいなした。

「気にするな。それと、その二号やら三号やらというのはやめろ。『一号』と記号化して呼ばれるのは貴様だって嫌だろう? やられて嫌なことを、人にするんじゃない」

「……正論だ。貴様、まるで学校の先生のようなことを言うのだな」

「『のような』ではなく、私は学校の先生だ。……そうだ佳奈子、『あの服』を持ってこい」

 言って、先輩に耳打ちする先生。先輩は小さくうなずいて二階へと戻っていった。

 ……一体、何を取りに行ったのだろうか。非常に気になるが、今はおとなしく先輩を待つことにしよう。


 先輩は二階から紙包みを持ってきたかと思うと、眠くなったと言って自室に戻っていった。小食堂には、俺と先生と杉原三尉だけが残された。

「杉原。貴様、家事はできるか?」

「ああ。自分はもともと川島司令の付き人だったのでな。料理洗濯裁縫掃除、なんでもござれだ」

 マグニフィセント、と言って先生は何度もうなずく。正直、杉原三尉にそんなスキルがあるのは心底意外だった。

「……ところでその紙包みはなんだ、的場?」

「佳奈子がアルバイト先からもらってきた制服だ。秋葉原のメイドカフェで働いていたのだが、気持ち悪い客に『お帰り下さいませご主人様』と言ってしまってクビになった」

 は……はは、先輩らしいや……。

「で、先生。どうしてそれを持ってこさせたんですか?」

「決まっているだろう。杉原三尉殿にしてもらうためだ」

 ……は? 唐突な的場先生の言葉に、俺も杉原三尉も呆然となる。

「私の見立てでは、サイズを直さずとも着られるはずだ」

「な――じ、自分にまた家政婦をしろと言うのか?」

「ああそうだ。リストラされた以上、どうせ官舎も追い出されたのだろう? 同盟するとは言ったが、タダ飯を食わせるとは言っていない。幸い、我が的場家は経験者優遇で家政婦を募集中だ」

 俺はそこで手を挙げ、初耳です、と言った。

「当然だ。たったいま決めたからな。――さて失業者。文句があるなら、路上アウトドア生活を堪能たんのうすることだ。私の見たところ、選ぶべき答えは一つしかないと思うが?」

 先生は紙包みからメイド服を取り出してガバッと広げる。白いフリルが至るところについた、やたらとファンシーなデザインだった。

「! うあ……か、可愛いじゃないか……っ」

 杉原三尉は頭を抱えてしゃがみ込み、うなりながら苦悩を始めた。

「私も鬼ではない。三十分ほど猶予をやろう。その間に、貴様自身の意思で身の振り方を決めるのだ。決心がついたら、私のことは旦那だんな様、佳奈子はお嬢様、そして牧原はお坊ちゃまと呼ぶのだぞ」

 うう、と言葉にならないうなり声を上げ続ける杉原三尉。そんな彼女を尻目に、先生は俺の肩に手を置いて食堂からの退室をうながす。

 しかし、『お坊ちゃま』はないだろう。俺は、自分がいつの間にか的場ファミリーの中に組み込まれつつあるのに気付いた。いや、別にそれが不快なわけじゃないんだが……。

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