第三幕 組織の掟 Ⅲ

 俺の住むアパートの隣には、一軒家が立っている。その家の塀の脇に、俺はホーネットを停めた。遊びに行く前にアパートに顔を出して、姉貴が何か残していかなかったかを確認するためだ。

 後部座席には、ゴスロリ? とか言われるファッションに身を包んだ佳奈子先輩が乗っている。先輩に言わせると黒くないからゴシックではないらしいが、俺には詳しいことはよく分からない。対する俺は、いつもの学ランのままだった。

 先輩の服は緑と赤のチェックで仕立てられ、白いフリルがゴテゴテとついたワンピース。足元は黒のハイソックスに厚底ブーツだ。正直なことを言うと、背が高い先輩には似合わないと思う。戦闘時に不便なこともあり、俺は屋敷を出る時にもっとおとなしい服と靴をすすめたのだが、


「まだまだね、潤。もっと女心が分かるようになれば、いい男になれるわよ」


 先輩はそう言って、俺の進言しんげんを頑として聞き入れなかった。

 バイクから降り、恒正と大石丸の入った刀袋を先輩から受け取る。肩にかかる刀袋の重さは、まさしく俺達の命運を左右しかねない命綱だった。

「さあ行きましょう、先輩」

 いつまでも歩き出そうとしない先輩を不審に思い、後ろを振り返る。先輩はまんじりともせず、ハンドバッグを両手に持ったままで俺を見つめていた。

「……先輩?」

「あの、あのね、潤……」

 頬を赤らめ、手をもじもじさせながら、目で何かを訴えてくる先輩。察しがついた俺は、先輩の手をつかみそれを引いた。

「……ん。いい子ね」

 気のせいかもしれないが、一夜あけたら先輩が少し幼児化した気がする。昨日までグイグイと俺をリードしていた先輩とは、まるで別人だ。

 いつもとは違う靴を履いた先輩の歩調を気遣いながら、俺は先輩の手を引き続ける。

 ただでさえ俺のほうが背が低いのに、これじゃまるで『白雪姫と七人の小人』みたいじゃないか――。

 と。

 アパート入口の門を通ろうとした時、部屋の前に一人の女が立っているのに気付いた。

「!」

 俺はとっさに先輩をかばい、そいつの出方をうかがう。そんな俺に気付いて、その女はゆっくりとこちらに顔を向けた。

「あ……あなたは……」

 真っ黒でさらさらのミディアムヘア。カッターブラウスに細身のネクタイ。すらりと足を映えさせるパンツスーツ。

 ……立っていたのは、ベイブリッジで杉原三尉を指揮していた防衛省情報本部主任分析官の佐藤一尉だった。

「おとといは失敬しました。待っていましたよ?」

 言って、佐藤一尉がこちらに近づいてくる。

「ち、近寄らないでください、佐藤一尉。ここは白昼の住宅街です。……今ことを構えるのは、お互いの利益にならないはずです」

 俺は警戒感も新たに、彼女をきつくにらみ付けた。

「嫌われたものですね。ですが安心してください、貴方達に手出しする気はありません。……そうですね、今は――、とだけ言っておきましょう」

 立ち止まった佐藤一尉からは、敵意のかけらも感じられない。このあたりに伏兵を仕込めるような物陰はないし、恐らく彼女に敵意がないというのは本当だろう。

 そうだな……自信はないけど、一つカマでもかけてみるか。

「風向き――ですか? じょ、冗談がきついですね、佐藤一尉?」

 緊張で脈拍が跳ね上がるのを感じる。言ってる自分でもたどたどしいのは分かっているが、口火を切った以上は仕方がない。腹をくくって、続く言葉を一息に告げた。

「令状が発行されて……に門外漢が乱入してきたんでしょう?」

 俺の言葉に、佐藤一尉の目元がピクッとれる。……間違いない。的場先生の予想がさっそく当たったみたいだ。

「貴方達がそれを知っているということは、やはり的場中尉の差し金でしたか。――仕方がありません。遅かれ早かれ耳には入るでしょうし、話してあげましょう。昨日の深夜、警視庁が極秘裏に我が社に家宅捜索をかけました。技本に保管されていた人造戦鬼関連の資料が全て押収されたことに伴い、彼らは事件解決の主導権を完全に掌握しました」

 佐藤一尉の話をさえぎって、先輩が割り込んできた。

「待って。主導権を掌握って、今の防衛省あなたたちは……」

「ええ。今後は警察の指示に従ってサポートに徹することになりました。当然、手持ちの人造戦鬼を利用した零号の討伐計画は封印です。神祇院の関与を辛うじて隠蔽いんぺいできたのが、不幸中の幸いでしたね」

「ということは、わたしたち兄妹は……」

「晴れて自由の身です。これからは、普段通りの生活に戻って構いません。この事件にピリオドを打つのは、私達防衛省と警察の仕事です。鬼とか神祇院調整課とか言ったオカルト話は、これにて終幕とあいなったわけです」

 言って、たそがれた視線を宙に泳がす佐藤一尉。彼女は取り出したバージニア・スリムを口にくわえると、ライターで火をつけた。

「警察は我が社のことを、広域指定暴力団・市ヶ谷組くらいにしか思っていません。夜を徹した高級官僚の折衝は、結果的に現場の今までの努力を水の泡にしてしまいました」

「……なぜ、わたしたちにそんな話を?」

「空しかったんですよ。私達の信じた正義は一体何だったのか……貴方達に会えば何か分かるかもしれないと思ったのですが、どうやら無駄足だったようです」

 問いかける先輩に、自嘲じちょう気味に答える佐藤一尉。

「お役人も大変なのね。……これからどうするの、佐藤一尉?」

「……私は、防衛省という『暴力装置』の構成員に過ぎません。与えられた任務を、唯々諾々いいだくだくと消化するだけです」

 そう言葉を切った佐藤一尉はタバコを唇から離し、携帯灰皿へと放り込む。彼女は不本意そうな表情のまま、俺達をまっすぐ見つめてきた。

「ですが勘違いしないでください。それが組織の論理で、それが現行体制の本義です。私達は、国益のために身を捧げた歯車に過ぎません。――

 その時、俺の後ろの先輩が、髪を軽くかき上げながら歩み出てきた。

「あら。そうは見えないわよ、佐藤一尉? 歯車にも歯車なりの意地がある、とでも言いたそうな目をしているわ」

「……貴女、まるで私の上官のようなことを言いますね」

「当然よ。だてに九十年以上も生きていないもの」

「ふふ、そうでしたね。老人は国の宝です。ご無礼をお許し下さい。――では」

 佐藤一尉はバージニア・スリムの残り香を散らしつつ、俺達の横をすり抜けようとする。すれ違いざま、彼女は肩越しに自らの名刺を渡してきた。

「こいつは――?」

 渡された名刺には横書きで、『防衛省情報本部 統合情報部統合情報第一課 主任分析官 佐藤さとう優理也ゆりや』と打ってあった。

「的場中尉に渡しておいてください。ひょっとすると、近々私にコンタクトを求めるかもしれません」

 それだけを言った佐藤一尉は、後ろ髪をさらりと揺らしながらその場をさっそうと去っていった。彼女の黒髪からは、先輩と同じシャンプーの香りがふわりとただよっていた。

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