第三幕 組織の掟 Ⅱ

 身支度を調えた先輩と小食堂に降りると、的場先生がおなじみの袴姿で俺達の起きるのを待っていた。

「おはようございます。先輩を連れてきました。……そういえば先生、仕事はどうしたんですか?」

「体調不良による年次有給休暇、だ。牧原先生の年休申請とともに、学校には連絡を入れてある。貴様らの欠席もだ」

 どうやら先生は、姉貴が欠勤したことで不利益にならないよう手続を取ってくれたらしい。何だかんだで面倒見のいい人だった。

 先生はテーブルの上に置いてあったパッケージからタバコを一本取り出し、火をつけた。

「――さて、二人とも。何があったのかを食事の前に訊かせてもらうぞ。助けにおもむいた私には、その権利があるはずだ」

 先生の問いに、俺と先輩は顔を見合わせる。俺が視線で先輩に先を譲ると、先輩は学校を出てからの経緯を訥々とつとつと語り始めた――


 先輩のあとを受けた俺の説明を聞き終えると、先生は灰皿にタバコを押しつけた。

「……貴様らの事情はよく分かった。牧原先生に零号を打倒しろと言われたらしいが、それはしなくていい。あくまでも防衛省と神祇院が片付けるべき仕事だ」

「で、でも……」

 ――俺は、姉貴と約束したんです。そう反論しようとしたが、先生に軽く手で制された。

「それよりも言っておかねばならんことがある。――いいか牧原、貴様は昨日、傷ついて意識を失った佳奈子を残したままで牧原先生と戦った。それがどれだけ危険なことか、分かっているか?」

「……え?」

「あの場にはもう一人の敵、杉原たかねがいた。いくら手は出さないと約束していたとしても、それを真に受けるやつがどこにいる」

 ……そうだ。よく考えれば、あそこで杉原三尉が傍観したままという保証はどこにもなかった。一歩間違えれば、佳奈子先輩と俺はこの場にいなかったかもしれないのだ。

「やるなら完璧にやらねば片手落ちだ。分かったか、牧原?」

「……はい」

 俺は自分の甘さを悔いると共に、心の中で固く歯噛みした。普段はひょうひょうとしている佳奈子先輩は、ここぞという時に詰めを誤る傾向にある気がする。あまつさえ、昨日は俺を守るために殺されかけたのだ。

 これから先輩は、俺が守らなければ。それがパートナーとしての俺の義務だ。俺はそう決心し、深くうなずいた。

 俺の答えに満足した先生は、今度は自分が昨日あそこに現れたいきさつを手短に話し始めた。ロシア大使館経由で『人造戦鬼一号』の正体を知った先生は、恒正に埋め込まれた発信器で俺達が駒高にいることに気付き、悪い予感がしたので現場に急行したそうだ。

「……で。結局どういう人物なんですか、あの杉原三尉は?」

 先生は新しいタバコをくわえて腕を組むと、歴史の闇に埋もれていた昔話を始めた。

「杉原たかねは、戦前の満州で満州国の非正規軍『安国軍』の参謀職を務めていた人物だ。女性ではあったものの、腕利きの参謀として高名だった。父親の名は杉原すぎはらしげる。満州で活動していた大陸浪人だ」

 ということは、杉原三尉は戦前の中国東北部出身ということになる。やたらと不可解な言動が多いと思ったら、そういうわけだったのか……。

「彼女は昭和八年の熱河ねっか作戦などで関東軍に協力し軍功を上げたものの、女性であったため正規の軍人にはなれずにいた。そんな彼女に目をつけたのが、人造戦鬼計画の初代責任者だった関東軍の軍医大尉・北川小五郎だ」

「北川小五郎――つまり人造戦鬼零号ね?」

 先輩の問いに先生はうなずき、一呼吸置いて続けた。

「もともと北川は人造戦鬼計画の素体にするために杉原に近づいたのだが、二人はすぐに恋に落ちた。男と女にはよくある話だ。北川は結局、杉原を最初の素体にするという当初の計画を変更し、自らを最初の実験台に選んだ。北川の改造手術は失敗したが、杉原は北川の後を追うように人造戦鬼一号への改造手術を受けたようだ」

「つまり杉原三尉もわたしたち兄妹と同様、戦争中のハルビンで改造された身……『悪魔の飽食ほうしょく』の生き証人というわけね」

 『悪魔の飽食』――? 確か、戦争中のハルビンで捕虜ほりょに対する人体実験が行われたとかいう話を聞いたことがあるけど……。ひょっとして、それが人造戦鬼計画と関係しているのだろうか?

「さて。話を零号に戻すが、最初に暴走した零号は暫定的ざんていてきに内地に運ばれ、終戦まで東京の戸山とやまに保管されていたらしい。後に零号は紆余曲折うよきょくせつを経て、防衛庁の前身となった保安庁の技術研究所に保存されることになった」

「――それで、杉原三尉が零号こいびとの墓守を務め始めたのはいつ?」

「昭和二十七年、保安庁発足と同時だ。戦後は警察予備隊のとして運用されていた杉原三尉は、その時点で保安庁に移籍したことになる。その後、昭和四十二年の婦人自衛官制度発足と共に彼女には三尉の階級が便宜的に与えられた。なお、現在に至るまで昇任歴はない」

「昔の夢を、そんな形で叶えたのね。なんて皮肉かしら」

「まったくだ。実にやるせない。杉原たかねについて私が話せるのはこんなところだな……そうだ二人とも、こいつを見てみろ」

 そこで言葉を止め、的場先生は懐から水色の写真入りカードを二枚取り出して渡してきた。

「なんですか、これ?」

 見ると、そのカードの発行元は日本国外務省と書いてある。写真は的場先生と佳奈子先輩で、官職名欄には三等書記官サード・セクレタリーとタイプしてある。

「ミハイル・ミキオヴィチ・マトバスキー……?」

「そうだ。それが私のロシア名だ。佳奈子は『カーナ・ミキオヴナ・マトバスカヤ』と名乗っていた。こいつは日本国外務省から発行された外交官の仮身分証だ。ロシア大使館に旧恩きゅうおんをちらつかせて、我々兄妹を外交団リストの隅っこに入れさせたのだ。ロシア国籍を残しておいて助かったよ」

「……つまり、どういうことですか?」

「日本国は我々兄妹に対して、外交特権剥奪ペルソナ・ノン・グラータ以外のいかなる法的手段も取れなくなったということだ」

「ペルソナ・ノン・グラータ……? 聞き慣れない言葉ですけど」

「ラテン語で『好ましくない人』を意味する言葉だ。外交官の受け入れ国には、いつでも理由無くして外交官を追放する権利がある。だがそいつを発動すれば一斉に報道の的となり、戦時中の人造戦鬼計画が公にされてしまうことにもなる」

「なら良かったですね。これで敵は手詰まりです」

「ああ。だが今のはあくまで法的な話だ。実際問題として防衛省と神祇院がどう出るか、油断はできん。を懲らしめる圧倒的かつ絶対的な集団暴力に、良心の呵責かしゃくが存在する余地などないのだからな」

 ……確かにそうだ。二つの組織は、『人々を零号の魔手から守る』という使命を信じて俺達を狙っているのだから。


『国家というシステムが万人に正義をもたらすと考えるほど、あなたも子供ではないでしょう?』


 ――昨日の夜、ポールの上の姉貴はそう先輩に言い捨てた。俺だって子供じゃなし、彼女達の流儀が分からないわけじゃない。

 だが狩られる側にとってみれば、これほど理不尽なことはない。少なくとも今の俺達にとって、『悪の怪人』とは防衛省・神祇院に他ならない。しばらくは身の回りに用心しなければならないだろう。

「……さて。遅くなったが、これから朝食を温め直して持ってこよう。今朝は昔なつかし一銭洋食だぞ」

「一銭洋食? 先生、何ですかそれ?」

 聞き慣れない言葉に問い返すと、先生は大げさな仕草で頭を抱えた。

「OH SHIT! の牧原君には、この単語は少し高度すぎたか。一銭洋食とは、我が国におけるワンコインフードの始祖だ。昔は札幌の中島公園でも売っていてな」

「懐かしいわね。兄さん、プールの帰りによく買ってくれたわ」

「……え? 二人とも、札幌出身なんですか?」

 何をいまさら、とばかりに先生がうなずき返す。

「知らなかったのか? 私も佳奈子も生まれは札幌だぞ。私は庁立一中ちょうりついっちゅうから東京高等師範に、佳奈子は山鼻やまはな小から私の勤務先だった満州の高等女学校に進学したのだ」

 ――なんだ。したら、同郷でないかい?

 一中ということは、今の南高校の出身ということになる。こんな都内のお屋敷に住んでいるから、てっきり東京の名家の出だと思っていたのだが……

 なら、この屋敷はどういった経緯で的場家のものになったのだろう。まさか賃貸ということもないだろうし、一度その辺りは訊いてみる必要があるな。

「――さて。今日の予定だが、貴様らは外で遊んできていい。だが、恒正を持っていくのは忘れるな。幸い牧原先生も大石丸とやらを残してくれたようだし、杉原に至ってはご丁寧にその鞘まで置いていってくれた。そいつも持っていけ」

「先生はどうされるんですか?」

「私は屋敷に残る。前もって打っておいた、工作の行方を見届けるためだ」

「……工作?」

「ああ。食人事件の捜査本部に、この屋敷に残されていた人造戦鬼計画の書類のコピーを送付しておいたのだ。私の読みだと、昨日の深夜あたりに人目を避けて防衛省に捜索差押そうさくさしおさえ――いわゆる家宅捜索かたくそうさくが入ったのではないかと思う。その反応待ちだ」

「な――!」

「そう驚くな。一つ教えておいてやる、牧原。大人の世界では、そういうことは自己責任でな。……ああ、それから佳奈子。牧原の言うことをよく聞くんだぞ」

「分かったわ」

 いや、違うだろう。そこは俺に『佳奈子の言うことをよく聞け』と言う場面だと思うのだが……。

「先生、俺達は登校しなくていいんですか?」

「構わん。貴様らが学校にいると、敵が駒高にちょっかいを出してこないとも限らん」

「……確かに。俺達のせいで、無関係の生徒を危険にさらすわけにはいきませんね」

「そういうことだ。聞き分けがいいな、二人とも。――よし、私が小遣いをやろう。そいつでどこか遊びに行ってこい。佳奈子はすぐに物をなくすからな、牧原に渡すぞ」

 先生はそう言うと懐からガマ口を取り出し、ぽん、と二万円を渡してきた。

「こんなに……いいんですか、的場先生?」

「佳奈子の子守り料も込み込みだ。色々とワガママを言うと思うが、うちの愚妹ぐまいをよろしく頼む」

「分かりました。ありがとうございます、先生」

 俺はありがたく小遣いを受け取り、財布に入れた。子守りという言葉が激しく気になったが、先輩はそれに異論を差し挟まなかった。

 せっかく先生のお墨付きもあるのだし、今日は楽しませてもらおう。それに、佐藤一尉にもらったホーネットの具合も確かめないといけない。いい天気だし、朝食を済ませたら先輩を後ろに乗せて遊園地にでも行ってみようか――。

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