第二幕 国家の罠 Ⅶ

 思わず目をつぶって身体をこわばらせた俺は、いつまで経っても決定的な一撃が訪れないことに気付いた。

 恐る恐る目を開けると、まるで居合の型稽古かたげいこのように、刃が首筋の直前で止まっているのが目に入る。姉貴はパニックに陥っている俺を見て、ニヤリと笑った。

「あ、姉貴……?」

 ……やられた。

 姉貴は俺が持つ『鬼の力』とやらを覚醒させるために、一世一代の大バクチを打ったのだ。恐らくは、それしか零号を倒す方法がないのだと考えて。

「私の弟は……牧原潤は、の。――分かる?」

 そのことを理解した瞬間――誰より近く、俺は姉貴の声を聞いていた。

「……私はこれから身を隠すわ。神祇院が後任を選任するまでには、最低でも数日以上かかるはずだから。その間に、的場先生たちと協力して零号を討って」

 それだけ言って、姉貴は手にした大石丸を渡してくる。

「姉貴。こいつは……」

「貸してあげる。すでに零号は童子切安綱どうじきりやすつなという国宝の刀を手に入れているの。日本刀の中でも名刀中の名刀、天下五剣てんかごけんのうちの一振りよ」

 なるほど。そういう事情なら、確かに素手で立ち向かうのは自殺行為だろう。俺はおとなしく好意に甘え、太刀を拝借することにした。

 ――その時だ。撃鉄を起こす冷たい音が、前触れもなく俺の耳に届いた。

 慌てて音の出所へと振り返ると――今まで国旗掲揚ポールに寄りかかって事態を静観していた杉原三尉が、オートマチックの拳銃を手に姉貴の脳天を狙っていた。

「……裏切ったな、牧原主査」

「当初の目的は果たすわ。私の見たところ、潤の潜在能力は私をはるかに凌駕りょうがしているもの。零号は、私の潤が必ず倒します。それより杉原三尉、潤にとどめを刺さなかったのはどうして?」

「裏切り者だろうが何だろうが、自分は貴様と約束を交わした。二号とこの少年に手は出さん」

「あら、律儀なこと?」

「だが、貴様については相応の罰を下さねばならん。貴様の行いは重大な反逆だ!」

 丸腰になった姉貴は、拳銃を構える杉原三尉へと向き直る。その、まぶたのわずかな動きすらも見逃すまいとにらみ付ける。

 固く止まる時間。冷たくこごえる空間。――均衡きんこうを打ち破ったのは、横合いから放たれた一発の銃弾だった。

「!」

 銃声が夜を刺した瞬間、杉原三尉の手から拳銃が弾き落とされる。

 拳銃を握っていた右手を呆然と見下ろす杉原三尉。そこに飛んだ声は、よく聞き慣れた人物のものだった。

「……間一髪だったな。動かないでもらおう、この銃には自由射撃弾フライクーゲル装填そうてんされている。。この学舎まなびやでこれ以上の狼藉ろうぜきは、控えてもらいたいものだな」

「ま、的場先生……?」

 的場先生は硝煙しょうえんをたなびかせ、古ぼけた自動拳銃を片手で構えている。

「次は脳天直撃だぞ? 今はもう、善良な市民は眠っている時間だ。これ以上近所に迷惑をかけるのは、貴様としても本意ではないだろう」

「く――この杉原、ここでむざむざと引き下がりは……」

「ほう? ではその拳銃を拾い上げて、無駄な抵抗を試みるかね? 是非にと望むなら私は構わんが……その行為が有意義だと考えるほど、貴様もバカではあるまい」

 懐から片手でタバコを取り出し、火をつける的場先生。その一瞬の仕草に俺と杉原三尉が気を取られた瞬間、姉貴が超人的な跳躍力で飛び上がり、ポールの先端に着地した。

「な――待て、牧原主査ッ!」

 杉原三尉が叫ぶも、的場先生に狙われた彼女はその場にい止められたままだった。

「牧原先生、この女は私が足止めしておきます。ご心配なさらず」

「――恩に着ます、的場先生。この借りはいずれ……」

 それだけを言い残すと、姉貴は黒衣をゆらりと風に乗せ、闇に沈む校庭へと消えていった。

 姉貴の逃走を悔しげに見送った杉原三尉は、的場先生に向かって声を荒げた。

「人造戦鬼三号、貴様……ッ!」

「こうして直に話すのは初めてだな。令名れいめいは聞き及んでいるぞ、川島かわしま芳子よしこ司令付き満州安国軍あんこくぐん参謀さんぼう・杉原たかね。歴戦の勇士に会えて光栄至極だ」

 ま、満州安国軍って……? 事情がよく飲み込めないままの俺を尻目に、杉原三尉は毅然きぜんと言い放った。

「その肩書きで呼ぶのはやめてもらおう、三号。今の自分は防衛装備庁技術研究本部の、杉原たかね三等陸尉である」

「これは失敬。ではそうだな、貴様のことはとでも呼べばよいか?」

「ッ! 貴様……なぜ、そんなことまで……!」

 な、なんだって……杉原三尉が人造戦鬼一号……?

 正体を暴露されて狼狽ろうばいする杉原三尉を嬉しそうに見つめ、的場先生は続けた。

「我が偉大なるロシア連邦の諜報網は、貴様ら日本国自衛隊の内部にまで深く食い込んでいる。対外情報庁チェーカーの連中に借りを作ってしまったのはしゃくだがな。今も昔も、この国の政府機関は防諜ぼうちょう能力が低すぎる。アメリカの核にヌクヌクと守られてきたの貴様らでは、無理もないことかもしれんが」

 事態は、完全に的場先生のペースで進んでいた。先生は撃鉄が起きたままの拳銃を構え直し、冷徹に言い捨てる。

「これ以上の戦闘は、双方とも望んでいないはずだ。速やかにこの学校から撤退しろ」

没法子メイファーズ――だな。覚えていろ、ほえ面かかせてやる。次は容赦せんぞ!」

 まるでB級映画の悪役のような台詞を残し、人造戦鬼一号――杉原三尉は、姉貴と同じように校庭へと飛び去っていった。

 残されたのは、気絶したままの佳奈子先輩と俺、そして的場先生だけだ。我に返って自分の格好を見ると、制服の袖もすそも無惨むざんに破れて肌があらわになっていた。

 と。助けに来てくれた先生に礼を言おうと思ったとたん、俺の身体がぐらりと崩れた。まるで、膝から下がすっぱりと無くなってしまったかのように。

 疲労からだろうか、意識も段々と明瞭めいりょうさを失っていく。

「おい、牧原! 気を確かにしろ!」

 倒れ込みそうな俺の背中を腕で支え、的場先生が必死で語りかけてくる。だが俺にはもはや応える力もなく、


 先輩の泣き顔を思い出しながら、そこで意識がブラックアウトした。

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