第二幕 国家の罠 Ⅵ

 重力に身を任せた俺は、全身で風を切って地面へと落ちていく。加速度を上げて落下する中で、俺の身体は明らかな変化を始めた。

 熱い血流が身体を巡り、体中の筋肉が内側から焼けてきしみを立てる。五感がみるみるクリアになり、時間の流れ方が遅くなっていくのを明確に感じる。

 制服の上着とズボンがはち切れそうにふくれ、袖口とすそが弾けるように破れた。中から覗いたのは、は虫類のように脈打つ異形いぎょう四肢ししだった。

「――!」

 膨張した足に耐えきれなくなったスニーカーが、縫い目から派手に裂ける。右手に握った恒正は、俺の叫びに応えたかのように赤く輝き始めた。

 さっきまでとは違う右手の感覚。まるで、刀身自体に俺の神経が通っているかのような一体感だった。

 そして――俺は変化した四肢をバネにして、校舎横の地面に難なく着地した。

 経験したことのない力が、俺の身体にみなぎっている。さっき受けたばかりの左腕の傷は、まるで何事もなかったかのように治癒ちゆしていた。

 ――これなら行けるかもしれない。姉貴を、今度こそ倒せるかもしれない。溶岩のように煮えたぎった思考が、を亡きものにしろと声高こわだかに叫んでいる。いつもの俺では考えられないほどの闘争心が、身体の奥からふつふつとき上がってきている。

 ふと横を見ると、保健室前の藤棚がある。そして校舎の壁面へきめんには、一階ごとに出っ張りがせり出していて――、

 頭が考えをまとめる前に、身体は藤棚の上へと飛び、それを足場に屋上めがけて宙をけていた。

 まるで何でもないことのように、俺の両脚が壁面の出っ張りを蹴り、世界新記録間違いなしの跳躍ちょうやくを見せる。

 あっという間に屋上の高さまで到達した俺は、赤熱する恒正を屋上の端に突き立てて軌道を変え――、

 その勢いを殺さず、恒正を引き抜くと屋上のど真ん中めがけて着地した。

 俺には分かっていた。いま俺が実行したのが、さっき先輩が見せた以上の動きだったのだ――と。つまりこれが、本物の『鬼の力』だというのか――?

「……荒技で鬼の力を覚醒させたわね。でも、待った甲斐かいがあったわ」

 姉貴はそう漏らし、白熱する大石丸を正眼に構えた。ポールに寄りかかったままの杉原三尉も、さすがに驚いた表情を浮かべている。

 実際に鬼の力を呼び起こしてみて、感覚的に分かったことがある。それは人間の理性が、鬼の力とは根本的に相容れないということだ。

 鬼の力は、それを使役する者の人格を侵食する。俺がこんな無茶をしながら自我を保っていられるのも、それが『遺伝子のレベルで』あらかじめ組み込まれた力だからだろう。

 人の技術で後天的に鬼と融合した人造戦鬼では、恐らく鬼の血を先天的に引く者に太刀打ちできない。『理性』と異質な鬼の力を無理やり取り込んで、ひずみが出ないわけがないからだ。

 ならば酒呑童子に肉体と人格を乗っ取られたという零号は、俺や姉貴より強いのではないだろうか。なにせ、人格からして平安時代に生きた鬼そのものなのだから。邪魔する理性ものがない以上、奴は鬼の力をいかんなく発揮できる。混血ハイブリッドとも呼べる俺達姉弟と奴では、その力に歴然とした差が――

「え――?」

 ――身体から気力が流れ落ち始めたのは、突然のことだった。同時に特撮のように変わり果てていた四肢が、どんどんと見慣れた俺自身のものに戻っていく。

 ま――まさかこれは、無理に鬼の力を呼び起こした反動か? 力が……手足にぜんぜん入らない。

 あ……やばいぞ、これ……。そう思っている間に、俺の四本の手足がごくごく常識的な形状になる。そして手にした恒正からも、さっき目にした輝きが失われていた。

 ――くそ。これで振り出しだ。

 焦燥しょうそうに歯を噛んで姉貴をにらみ付けたが、姉貴は余裕を保ってたたずんだままだ。

 まずい――と思う間もなく、姉貴は太刀を振り上げて俺に向かってきた。

「ぐ……っ」

 とっさに構えて一撃を受けたが、袈裟けさ斬りの一閃いっせんにあえなく恒正が吹き飛ばされる。

 ああ、俺はここで死ぬんだな、と悟った瞬間、白熱の刀身はツバメのようにヒラリとその身を返し――、


 俺の首を刈り取るべく、横薙よこなぎに夜を跳ねた。

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