第二幕 国家の罠 Ⅳ
スペアの制服に着替え、痛む尻を押さえながら登校したころには、女装の噂は俺の所属する一年二組にまで広がってしまっていた。運悪く写真まで撮られていたようで、女子の間を『あの姿』が飛びかっていたらしい。ちなみに、俺と先輩が事実上の恋人関係になったことは、すでに校内で知らない奴がいないほど有名な話になっていた。
昨日と同じようにクラスメイトから散々イジられながら、俺は地獄のような四時間を過ごした。十二時二十分になると同時に教室を飛び出したのも、昨日と変わらない。一つだけ違うのは、行き先が藤棚ではなく特別教室棟の屋上だということだ。
約束をしていたわけではない。だが、俺の足は先輩が待っているであろう屋上へとまっすぐ向かっていた。
授業が始まり先輩と離れて初めて気付いたことだが――頭ではなく『感覚』で、先輩のいるところが分かってしまうのだ。恐らくこれも、遠隔衛生の効果なのだろう。
ガラス張りの引き戸の向こうには、風に揺れる髪を押さえる先輩の姿。俺が息せき切って屋上の引き戸を開けると、先輩はゆっくりと振り返った。
「……やっぱり。何も言わなくても、わたしのいる場所が分かるのね」
黙って、コクリとうなずく。先輩のそばのベンチには、二人分の弁当箱が置かれていた。先輩はスカートを後ろから押さえながら弁当箱の脇に座り、そのまた隣のスペースを俺に勧めてきた。
「ほら、食べましょう? 待ちくたびれてしまったわ」
先輩はそう言って、膝の上に弁当箱を広げる。俺も先輩にならい、自分の手さげカバンを足元に置いて俺の分の弁当箱を膝に乗せた。
……吹き抜ける風が気持ちいい。俺は青空を見上げて一つ伸びをすると、いただきますと言って弁当を開けた。
中身を口に運びながら、俺は先輩にたずねる。
「――ところで、今日も四時間目はなかったんですか?」
「ええ。高三にもなると、空きコマが多くてヒマね」
「……それは先輩だけだと思います。仮にも受験生なんですから、普通はもっと授業を入れます」
「ダメよ。時間は有限なのだから、効率的に使わないと。高三になったら必修科目なんてほとんどなくなるんだから、自分に必要な授業だけ取ればいいの。……ところで潤」
先輩は自信満々に持論を展開すると、隣に座る俺の膝にサワリと手を伸ばしてきた。
「せ……先輩? 何を……」
「これからわたしと、『秘密のデート』をしてみる気はない?」
「これからって……授業をサボってですか?」
そうよ、と答えて先輩は俺の持ってきた刀袋に目をやった。中には先輩のエモノである『恒正』が入っている。
「……潤。お弁当箱をカバンの中に片付けて、わたしの前に立ちなさい。校舎を出るなら、早い方がいいわ」
言って、自分の弁当箱をしまった先輩はベンチから立ち上がり、俺に向き直る。俺はその言葉に従い、先輩の目前で背筋を伸ばした。
「先輩、どうしました?」
「真面目な質問よ。正直に答えなさい?」
先輩は真剣な眼差しで、俺を見つめてくる。
「は……はい」
俺は思わず直立不動になり、先輩の言葉を待つ。先輩は真顔を崩さないまま、俺に質問した。
「――あなたは今、何色のぱんつをはいているの?」
「…………は?」
一瞬、頭が真っ白になる。先輩……今、何とおっしゃいましたか?
「どうなの? 白よね、白のブリーフよね?」
「いや、どうと言われても……」
先輩はグッと両手を胸の前で握りしめ、俺を見つめる。
「も、もし持っていないなら、」
先輩の息遣いがハァハァとうわずり、興奮したように早口になっていく。そして反論を許さないとばかりに、鼻息を荒げながら一呼吸で続けた。
「渋谷でカルバンクラインのを買ってあげるから一緒に来なさいさあ行くわよ潤いいわね?」
「へ、変態だぁー!」
……どうせ買ったら買ったで、目の前ではきかえさせるに決まっている。
「言葉を慎みなさい? わたしは断じて変態などではないわ。仮に変態だとしても、変態という名の淑女よ!」
先輩は右手でカバン二つと刀袋を、左手で俺の手を掴み、ものすごい力で俺をズルズルと引っ張り始めた。
……この人いつか、そのへんの子供に『ここから赤ちゃんが生まれてくるのよ。はい、くぱぁ♪』とか詳細にレクチャーしたりする気がするぞ。
「お願いします先輩、いっぺん死んで下さい……」
俺は先輩に聞こえないように呟いたが、当然ながら先輩の力は少しも緩んでくれなかった。
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