第一幕 文明人のテーブルマナー Ⅲ
駒場四丁目の的場邸から駒高に行くには、東西に走る
駒場野公園を過ぎると、大学入試センター脇の細い通路がまっすぐ南北に伸びている。それを突き当たりにあるNTTデータ研修センターまで進み、少し曲がって100メートルほど離れた
俺と姉貴が暮らすアパート『アイズフラット』は、大学入試センター脇の通路に沿って建てられている。高校まで徒歩二分弱の、天国のような通学環境だ。
朝食を食べた俺は佳奈子先輩と連れ立って、駒高への道を歩いていた。的場先生は、屋敷でいくつか片付けものをしてから出勤するそうだ。俺は、自分の傷とやらが完全に治るまで二人の世話になることに決めた。これから登校の途中でアパートに寄り、制服などの当座の服や日用品を回収するつもりだ。
「潤、大丈夫? 重くないかしら?」
「これくらいなら平気ですよ。たかが長物一本ですから」
俺の肩には、屋敷から持ってきた刀袋がかけられている。中には先輩が委員会の仕事に使うという軍刀が入っているという。昨日の戦闘にも使ったそうだけど。
俺達が所属している『SCC委員会』というのは聞き慣れない言葉だが、これは『セキュリティ・クリーニング・クラーク』の頭文字である。もともとは五十年前にあった学生運動期に創設された文化祭防衛部隊で、他校で言えば風紀委員会が最も近い。しかし駒高には校則があってないようなもののため、校門での立ち番とか他校のような仕事はない。
駒高と警視庁の間には学園自治を守るための協定が結ばれており、構内に警察官を入構させる際には警察側の事前通告を要する。つまり不審者の侵入事案などは原則、学校側で刑事訴訟法第二一三条『私人逮捕』によって制圧し、警察に引き渡さなければならない。そういった事態に備えるためSCC委員には『敷地内での』帯刀が特権として許可されており、部活動の名目上は『剣道部居合班』ということになっているのだが……やっぱりズレてるよな、この学校。
と。駒場野公園の中にある駒高所有の『ケルネル田んぼ』の脇を通った時、先輩が思い出したように話を始めた。
「そうだ、潤。一つだけ大事なことを言い忘れていたわ」
「……ま、まだ何かあるんですか?」
「ええ。その軍刀は
つまり……ミもフタもない言い方をすると、『えっちなライトセイバー』ということだろうか。
「……ま、まさか」
「朝はごめんなさいね。あんまり潤が可愛かったものだから、つい」
そこで、先輩が手を引いて俺の足を止めた。彼女は振り返った俺を真面目な表情で見つめ――、
「潤。この戦いが終わるまで、わたしのペットになりなさい? 悪いようにはしないわ」
な――ちょっと先輩、何か言葉を間違えてませんか?
言葉を失った俺に、涼しげな目つきの先輩が歩み寄ってくる。朝のすがすがしい空気が揺れて、姉貴とは違うシャンプーの香りが聞こえてきた。
「ひょっとして、利用されてるみたいだと思っているのかしら? わたしに失望してしまったの?」
くい、と俺のアゴを細い指ですくい上げる先輩。思わず、俺の肩がビクリと震える。
「い、いえ、そんなコトは……」
必死で目を反らしながら、辛うじて答えた。朝もキスしたとはいえ、やはりまだ慣れない。心臓の鼓動は、天井知らずで間隔を縮め続けている。
そりゃ、憧れの先輩にとって特別な存在になれるのなら、恋人だってペットだって俺は構わない。だが、敵と戦うための便宜的なパートナーとして必要とされているということ。それが面白くなかった。
「――潤。なにか誤解があるようだけど、わたしはお願いしているわけではないの。よくお聞きなさい? わたしが上で、あなたは下。――お分かり? これだけは、絶対に譲れない定理よ」
温度を感じさせない視線で、先輩が俺を射抜く。俺はそれで何も言えなくなり、刀袋をかついだまま硬直してしまった。
「『はい』、それとも『YES』? 答えが決まったら、自分から態度で示しなさい?」
瑞々しく
しばし考えた俺は磁石に引き寄せられるように、少しだけ背伸びして先輩の唇に口づけた。
「ん……っ」
果実のような甘さで、先輩の
俺が舌で先輩の歯をなぞっていると、先輩が急に顔を離す。
「――っ。あんまりがっつかないの、潤。わたしはどこにも逃げないから」
「……す、すみません」
「聞き分けのいい子は嫌いじゃないわ。ごほうびよ」
言って、先輩は泣きぼくろの上の長いまつ毛を閉じ、俺の頬にそっと温かいキスをくれた。
「あ……」
キスされたところに、思わず手をやる。それを見た先輩は満足そうに微笑み、スカートのすそをクルリと翻した。
「行きましょう、潤。学校に行く前におうちに寄って、荷物を取ってくるのよね?」
まるでエスコートするように、俺の手を優しく握る先輩。俺は熱に浮かされたような気分で、先輩の手をそっと握り返した。
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