スノームーン

 月が綺麗な夜ですね、先輩。


 学年末考査に向けての勉強の暇、マグカップいっぱいに注がれたホットココアを片手にベランダに出た。二月も明日で終わりだというのに、まだまだ寒さは緩みそうにない。


 世界史の勉強を終えたばかりでカタカナに埋め尽くされている頭の熱を冷ますには、これくらいの寒さがちょうどいいのかもしれない。湯気の立つココアをズズズとすすって、大きく吐き出した息もまた白い色をしていた。


 髪をそよそよとなびかせる風は私の体から徐々に熱を奪っていく。暖をとるようにまたココアを口にして空を見上げると、そこには大きな満月が居座っていた。太陽から光をもらって輝いている分際のくせに、いくら見ないフリをしても消えてくれることはない。厄介だ、本当に。


 もこもこパジャマのポケットからスマホを取り出して、月の写真を撮った。先輩とのトーク画面を開いて写真を送りつけようとして、散々悩んだあげく送信ボタンは押せなかった。


 明後日が卒業式なのに月の写真なんて送ってる場合じゃないなんて、自分に言い訳をして。灰色のため息を吐いた後で画面を消した。受験だから、年末だから、先輩の誕生日だから。毎月毎月、結局同じことの繰り返しだった。臆病すぎるんだ、私は。


 毎晩月を見るたびに先輩のことを思い出してしまうのに、先輩は違う。私の事なんて思い出してくれるはずがないと分かっているから何も行動できない。告白まがいのことをして、結局風邪すらひけなかったあの日から何も変わらないまま。


 気づいたら先輩は卒部して、気づいたら先輩は学校に来なくなって、気づいたら明後日は卒業式だ。今年の卒業式に在校生は出られない。会う機会もないまま、先輩は遠くに行ってしまう。


「くしゅん」


 また可愛げのあるくしゃみが飛び出して、慌ててココアを飲んだ。無意識に萌え袖になっている私は本当に先輩のタイプとはほど遠い。舌に纏わり付くココアはさっきよりも熱を失っていて、ほのかに苦い味がした。手も足も寒さにやられてかじかんできたけれど、まだ部屋に入る気は起きなかった。


 ——先輩、二月の満月はスノームーンっていうらしいんです。知ってましたか?


 スノームーンと名付けた人はきっと、雪がはらはらと舞う中で淡い光を放っていた月の美しさに目を奪われたのでしょう。先輩の名前は達月たつきで私の名前は雪。まるで二人のための月みたいじゃないですか。


 隣で一緒に見てみたかったなんて全然、ぜんっぜん思ってないですから。でも何ででしょう。曇っているわけでも雪が降り出したわけでもないのに、月がぼやけてよく見えないんです。


 先輩に告白したいなって気持ちが芽生えたとき、なんだか絶対に成功しちゃう気がしてたことなんて今思い出さなくてもいいのに。


 それでも過去の自分には、黒歴史が一つ増えるって事は教えてあげないんだから。だって、先輩を好きになって、告白して良かったと胸を張って言えるから。たとえその告白が先輩に届いてなかったとしても、それでも。


 熱を含んだ涙の滴もココアも身体も、全てが完全に冷え切ったころに私は自室に戻った。先輩に何も言えない代わりに、最後のあがきにと、LINEのアイコンをスノームーンに変えた。先輩が同じ月を見ていてくれることを祈って。


 先輩とのトーク画面には、「ご卒業おめでとうございます」の文字を打って準備しておいた。明後日の自分には頑張って欲しいから、少しでも勇気をあげられるように。


「月が綺麗な夜ですよ、先輩」


 未練を残さないように、あと二日後には笑っていられるように。先輩との会話を遡ってみつけた先輩の写真を目に焼き付けて、思い出を反芻していった。


 長い長い夜、いつまでも光り輝く満月が彼女を優しく照らしていた。

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