シモーヌ編 地面を移動する意義

新暦〇〇三六年七月一日




F-2からビクキアテグ村までは直線距離にして六百キロ強。実際に走る距離は七百キロほどと推定されている。


その行程を、移動電源と自走式浮橋は順調に消化していく。河に突き当たれば水中用プローブで河底の様子や水深を調べ、そのまま渡河が可能であれば突破し、それができない地形や水深の場所では自走式浮橋が前に出て、フロートを下ろして展開。フロートに付けられたアームによって自力で河に入って行き、それに合わせて車体も河に入って流れに拮抗するように河下側から河上側に向けてフロートを押す。と同時にアームも可能な限り河底に着けて踏ん張ることで、移動電源が渡れる仮の橋になる。


もちろん、ちゃんとした橋に比べれば多少は揺れるし、移動電源の重量によって沈み込み水を被って肉眼では見えにくくなったりもするものの、そういう点についてはロボットであるがゆえにきちんとセンサーや信号によって『見えて』いるので、問題はない。


すでに移動距離は三百キロ近く。明後日には到着の予定だ。こうして移動しつつ、そのルート上の詳細な地形データなども収集していく、それぞれの車体に付けられたセンサーによって互いの位置を正確に把握。同時にそれを<測量>という形でもデータに残していくんだ。いずれ道路などを作ることになるのを想定して。


こうしてわざわざ地面を移動するのにはそういう意味もある。単純に<移動できる電源>という意味でなら、ローターを付けて<ヘリコプター>の形にしてしまえば移動もスムーズだろう。でも、なんかワクワクするじゃないか。こうやって地面を踏み締めて乗り越えて地道に前に進んでいくっていうのは。


『空をひとっ飛び』というのに比べてもな。


この手の<ロマン>ってのはえてして理解されにくい面もありつつ。同時に失いたくないものの一つでもある。ロマン云々をやってられる余裕もなくなってきたらその時はその時だよ。


だが今度は、


「人が、倒れています」


先頭を行く移動電源に乗っていたホビットMk-Ⅱを通じてドーベルマンMPM六十三号機がそんなことを告げてきた。


「なんだと!?」


『人が倒れている』という言葉でまず頭に浮かんだのは、


『不定形生物由来のコーネリアス号の乗員の誰かのコピーか?』


って思考だった。しかしすぐ後に、


「訂正します。人ではありません。メイトギアと思しき機体です」


との報告。


「なにっ!?」


これはこれで驚かされる事実だ。しかし、こうやって地面を移動しつつ丁寧に見ていけば、発見の可能性はそれだけ高くなる。


今までにも上空から母艦ドローンなどで何度か通ったはずにも拘わらず発見されなかったのが、視点を変えるとなるほど草に埋もれるかのようにして倒れているメイトギアらしきものが見えたのだった。


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